札幌の出版社・寿郎社で編集をしている下郷沙季です。
昨年の秋、「第21回出版梓会新聞社学芸文化賞」を寿郎社が受賞したとの連絡を受けました。
まったく期待していなかったので驚くと同時に、賞金が出ることに気づき、借金返済などといった他の用途に使われないうちに急いで画面の大きいパソコンを注文しました。今まで自前のノートパソコンを使ってちまちまと装幀や組版をやっていたので、眼精疲労で目がどうにかなりそうでした。
ちなみに、この賞は特定の書籍ではなくこれまでの出版活動に対して与えられるものだそうですが、選考の段階では下記3点が対象となりました。
嶋﨑尚子・西城戸誠・長谷山隆博編著『芦別——炭鉱〈ヤマ〉とマチの社会史』(2023年12月)
髙崎暢編『〈戦争法制〉を許さない北の声——安保法制違憲北海道訴訟の記録』(2023年7月)
青木理・竹信航介・ヤジポイの会編著『ヤジと公安警察』(2024年5月)
年が明け、今年の1月27日に東京で授賞式がありました。
寿郎社からは私と社長の土肥さんが参加しました(ウチとソトを分けるのが苦手なので「さん付け」です)。
受賞のスピーチで土肥さんが何か変なことを口走るのでは……と心配でした。控え室で「大丈夫ですよね? ちゃんと練習してきましたよね?」と授業参観に行く親みたいな問い詰め方をしてしまったほどです。実際、壇上で土肥さんは賞金目録を握り締めて「もはや出版はビジネスではない、博打だ!」と力強く言い放ったので一瞬焦りました。ところが、その一言に拍手が起きました。会場で拍手し、しきりに頷いていたのは、他の版元の社長たちです。なんだか見てはいけないものを見た……という気持ちになりました。
[授賞式でスピーチをする土肥さん]
この日、私と土肥さんはそれぞれ原稿に追われ、疲労がピークに達していました。
博打もビジネスも骨身を削ってやるべきではない! と思いつつ、スケジュール管理に失敗しがちなので、たいてい下版前はへろへろになっています。
それでも出張の前日ぐらいは休息をとっておくべきなのですが、私は北海道大学でも働いていて、前日はイベント運営の仕事がありました。『そこにいない私だからできること——ミャンマーの軍事クーデターに台湾・北海道から抵抗する人々に学ぶ』という一般公開のシンポジウムです。
[北大で開催したシンポジウムの様子]
ミャンマーにルーツを持ち、台湾や北海道で軍事クーデターに対抗する運動を展開している方々をスピーカーとして招きました。スピーカーも参加者も、ミャンマーにいない人たち=「そこにいない私」たちとして、これから何ができるかを考える取り組みです。
2021年2月1日に今回の軍事クーデターが起きてから、私自身も抵抗運動に関わらせてもらってきました。その縁もあって、これまで何度かミャンマー関連のイベントを北大で開催しています。
寿郎社からもミャンマーを扱った書籍を3点刊行しています。
昨年10月に刊行した漫画『2月1日早朝、ミャンマー最後の戦争が始まった。』(脚本フレデリック・ドゥボミ、作画ラウ・クォンシン、翻訳ナンミャケーカイン)はその一つです。
作画を担当したラウ・クォンシンさんも、ミャンマーの軍事クーデターに関しては「そこにいない私」の一人です。ラウさんは一度もミャンマーに行ったことがなく、ミャンマー人の知り合いもいませんでした。それでも時間をかけて多くの情報にあたることで、さまざまな立場の人の思いをすくいとる作品づくりに成功しています。
ラウさんは香港で生まれ、日本や中国で生活したあと、香港に戻りましたが、反体制的な言動を取り締まる香港国家安全維持法が成立したため、自由な創作活動ができなくなることを危惧して2020年に台湾に移住しています。そのような経験もあって、自由を奪われたミャンマーの人々の心情をより細やかに描くことができたのかもしれません。
次の2点も、寿郎社が刊行したミャンマーに関する書籍です。
玄武岩・藤野陽平・下郷沙季編著『ミャンマーの民主化のために——立ち上がる在日ミャンマー人と日本の市民社会』(2023年3月)
自由と平和な表現活動を支援する団体WART編『WART CARTOON——〈1コマ漫画〉で読み解くミャンマーの苦しみと願い』(2025年2月)
安保法制や公安警察の恐ろしさを訴える本を作って表彰してもらえる国がある一方で、ただ「クーデター反対」と口にするだけで捕まってしまう国もあるということ——。
日本で反体制的な本を作っても、命や生活が脅かされることは基本的にありません。作れば作るほどお金も時間の余裕もなくなり苦しいですが、それは本の持つ主張のせいというよりは、私たちに博打とビジネスのセンスがないせいです。
こんなふうに安全な場所からものを言って時折褒めそやされることが無性に恥ずかしく感じられ、自分の仕事を隠したくなるときもあります。しかし、安全にものを言える場所は世の中に当然必要です。
ミャンマーの件に限らず、安全地帯で本をつくる自分をただ恥じたところで状況は何一つよくなりません。どんな本なら渦中にいる人たちが納得できるか、どんな本ならその人たちの声がより正確に多くの人に届くか、想像力をできる限りはたらかせて本をつくる——それが「そこにいない私だからできること」の一つと考えて、淡々とやっていくしかありません。
と、真面目なことを言ったところで、余裕のない博打ばかりやってパソコンの買い替えを賞金に頼っているようではぜんぜんだめです。
今回の受賞を寿郎社の転機と考え、今後はいろいろしっかり計算し、博打要素を極力減らす努力をしたいと思います。