本とみかんと新曜社と
新曜社営業部に入社して4年が経ちました。はじめまして、林智洋と申します。
版元日誌を書くにあたって、前職のことも書けば面白いんじゃないかとN部長よりアドバイスもいただいたのですが、新曜社にたどり着く前に3回も転職したので、前々々職から振り返っていきます。
仕事として本に関わるようになったのは大学生時代です。
よく行っていたTSUTAYA WAYガーデンパーク和歌山店で求人の貼り紙をみてアルバイトに応募し、採用されました。
そのうち社員さんから棚の欠本チェックを任せていただけることになり、
自分が売れると思って発注した本が売れる喜びを知りました。
もっとジャンル担当を持ちたいと学生バイトながらに思っていたのですが、担当者の空きがない状況。
そんな折、イオンモール和歌山に未来屋書店が出店、募集もしていたので応募、競合の新店に転職したことになります。
この店舗では児童書を2年担当しました。
就活がはじまり、当然未来屋書店も受けたのですが落ち、「来年再度面接を受ける、内部登用を目指す」ということにして就活を放棄しました。
しかし翌年の試験も落ち、田舎あるある?のフリーターのプレッシャー(なぜ正社員で働かないのか)に耐えられず、書店正社員を探していたところ、広島のフタバ図書さんに拾っていただきました。
一年遅れの社会人生活のはじまりです。
TERA広島府中店に配属されましたが、初日にカゴ車1台から溢れんばかりに高く積まれた『ONE PIECE』(ジャンプコミックス)のすごい入荷量を見て「えらいところに配属されてしまった」と呆然。
のちに知りましたが中四国で1番売上が高いお店(当時)でした。
1年3か月で転職しましたが、店舗改装が2回あったり、防府、岡山、呉、五日市など色々なお店の改装にいったり、カープが25年ぶりに優勝したりして、ほんとうにいろいろと経験させていただきました。
あの頃の広島駅は南北の通路が不便で、行き来するには地下通路を通らなければならず、少し怖かったのを覚えています。2025年には新駅ビルの2階部分に路面電車が乗り入れるというのですから、ここ数年で大きく変わったなと思います。
なぜ転職したかというと、同期がタリーズ部門に異動させられたりで、「本以外はやりたくない、本だけ関われる仕事に就こう」、と考えたからです。そのとき出版社の営業が思い浮かびました。
ふらっと来てちょっと喋って帰っていく、ラクそうでええやん。東京、出たいやん。
転職先は東京、イースト・プレス営業部。ここで「ふらっと来てちょっと喋って帰っていく」ことがいかに難しいか、思い知ることになります。
まず、はじめての上京で土地勘がないので、最初は書店さんにたどり着くのも一苦労。
そしてほとんどの店員さんは忙しくて話せない。
「ちょっとだけ喋る」には、事前にデータを調べて情報を仕入れた上で手短に話さないといけないので、準備が大変でした。
入社して半年後担当エリアの変更で千葉を回るようになり、そこから2年千葉を担当しましたが、多くの書店員さんに様々なことを教えていただきました。妻にもこの頃某書店で出会い、「注文書ではなく婚姻届に番線印をもらったんだね」と同業者に揶揄されました。
地方では北関東、甲信越、中国、四国地方を担当。途中からコロナ禍となり、鳥取、山口、徳島、高知には足を運べなかったのが残念です。
イースト・プレスでは様々な会社から売上データを購入していたため、営業に出る前にそのお店の売上実績を調べることが定番となっていました。個店に行く際は競合店で何がどんな売り場でどのように売れているか等を調べておくと、書店員の方によろこんでいただけました。
個店で実績が出たら、法人本部の方に掛け合って展開店舗を広げていただくことも出来たため、新刊案内の際から主要店はおさえるなど、いかに売上を広げていくかを考えていました。
そのさい、1番売れるお店はもちろん、中規模のお店への営業もたいせつにしていました。売上上位店では「あの店舗は売れて当然」と言われることも多いため、中規模店で売れた方が法人本部担当様の反応がよかったです。
一方で、売上データを頼りにしすぎると「置いたら売れるのに入荷がなくてデータでは上がってこないお店」を見落とすので、あまり先入観を持ちすぎないようにもしていました。
当時様々な書店を訪問した経験がいまも生きています。
さて、そんなにお世話になったイースト・プレスには4年つとめて、また転職、新曜社に。
理由は同僚が新曜社に転職、営業で募集があると聞いたため。三省堂で手に取ったこの本がきっかけで、どんな会社なのか興味をもちました。
『新体感する社会学』
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一読、めちゃくちゃおもしろい。なぜ大学で社会学を専攻しなかったんだと後悔。
このジャンルの本の営業をやってみたい、と面接に挑みます。
夢中で話したので内容はあまり覚えていませんが、採用していただきました。
2024年4月までは神保町に倉庫を借りていたため、1日の半分は出荷作業をしていました。
「間違えずに本を出荷する」当たり前のことを毎日継続する大変さ。
前職のときはほぼ書店営業のみ担当していたので、新曜社入社後は伝票の作成や献本発送など、仕事内容が変わって戸惑ったのを思い出します。
書店営業はそうした社内の業務の合間を縫って行っています。
前職ではあまりご縁のなかった大学生協へも足を運ぶ機会が増え、フェアなどもやらせていただきました。感謝です。
転職して驚いたのが売上データを丸善ジュンク堂書店さんと大学生協さんしか購入していないこと。
前職の時のように「ここで売れているからこちらでもどうか」といった営業がすぐには出来ません。
また、返品了解が必要のため平積みの提案を直接行わないと、よほどの規模の書店さまでない限りは専門書の既刊書は注文が来ません。営業するのに一言付け加える必要があり、最初は戸惑いました。
また、売上を広げるためにかかせなかった法人本部営業についてはほとんどできなくなりました。
元書店員として、「返品了解が必要な版元の本を本部から送られる」ことがいかにストレスか、身をもって実感しているからです。
前職の際は文庫・新書・コミック等のフェアを展開いただいたり、出たばかりの新刊を平積みしていただくことに注力していました。対して専門書は、既刊書をどう売るかが求められます。
専門書の棚が多いお店では、いかに既刊書を面だししてもらうかを考えて、書評などの営業機会をのがさないようにしています。
また、好評だったのは書店様に在庫データを出してもらって、返品した方がよい書籍と注文した方がよい書籍を記載して送ること。なかなか棚のメンテナンスに時間がさけないそうで、よろこんでいただけることが多いです。
専門書の棚が少ないお店に行った際は、まずはこの5点を棚に1冊入れてみてください、といった風に営業を行っています。次に訪問した際に1冊売れていたりします。これがたまらなくうれしい。1冊の売上ですが、次につながる可能性があるからです。
前職の際のフェア展開や平積み、仕掛け販売も楽しかったですが、現在はこの「棚で地道に売る」が楽しくなってきました。
最後に個人的な話になりますが、やはり自分でも本屋がやりたいと思い、3年前から「はやしの本屋」の屋号で活動しており、千葉県佐倉市のシェア型書店に参加したり、ネットショップで本や実家の有田みかんを売ったり、一箱古本市に参加したりしています。
N部長からは「そっちを本業にしたらどうだ」「お前は和歌山で農業をやった方がいい」と言われています。
パワハラ案件ですが大目に見てあげたいと思います。
以下サイト、Twitterご覧ください。
はやしの本屋ネットショップ(https://hysnobooks.base.ec/)
はやしの本屋Twitter(https://x.com/hayashinobooks)