作者来日、版元は何をするのか?――『ブリクセン/ディネセンについての小さな本』――
出版社子ども時代とは?
北欧専門出版社、子ども時代の田中(枇谷)玲子です。2005年から翻訳者として北欧語の書籍を70冊強翻訳してきました。(参考:北欧語翻訳者枇谷玲子HP)
依頼者としても経験を積んだ方が、出版社の立場や都合も理解できるようになるだろうと考え、2021年に合同会社子ども時代を設立しました。(参考:子ども時代HP)翻訳者としての活動と並行しながら、2022年6月にデンマークの育児書『デジタルおしゃぶりを外せない子どもたち』(ウッラ・デュアルーヴ 著、ナシエ イラスト、 枇谷玲子 訳)を出版。著者とオンラインイベントも行いました。内容を視覚的に示すため、イラストレーターのナシエさんに挿絵をたくさんつけていただいたり(参考:試し読み)、作品紹介漫画を描いていただいたりしました。
そして2024年12月2日に第2作目、『ブリクセン/ディネセンについての小さな本』(スーネ・デ ・スーザ・シュミット=マスン 著、枇谷玲子 訳)を刊行するに当たり、長年の夢だった著者来日を実現することができました。
著者来日に向け、8カ月前から準備開始
著者のスーネ・デ ・スーザ・シュミット=マスンさんの主な渡航目的は、ヨーロッパ文芸フェスティバルに参加することでした。2024年の2月ぐらいからデンマーク大使館と著者と弊社の間でやりとりを重ね、準備してきました。
航空券、ホテル予約にまつわるデンマークと日本の文化の違い
4月の終わり頃、スーネさん自ら航空券の予約をしてくださいました(航空券代はとりあえず立て替えていただき、来日後お渡しすることに)。
そうしていよいよ10月になり、スーネさんが4日の金曜日、現地時間13時15分(日本時間20時15分)にコペンハーゲン空港からスカンジナビア航空の飛行機に乗り、ヘルシンキ経由で成田空港に到着したのは5日(土)の12時55分(日本時間)。16時間40分(ヘルシンキ空港での待ち時間を含む)という長い時間をかけ、日本まではるばるいらしてくださいました。
スーネさんは奥様とティーンエージャーの娘さん2人とご家族でいらっしゃいました。成田空港に昼の12時55分に到着した後、スーツケースを引きながら浅草寺を観光した後、浅草のホテルに到着。
その日の夜、私はホテルにうかがい、スーネさんご一家に挨拶することができました。ホテルはスーネさん自ら予約してくださりました(後から1人4日間分のホテル代をお渡ししました)。日本人から見ると、航空券の予約はパスポートなどないとできないので、ご本人のご希望とはいえ、ご自身でしていただくのは仕方がなかったとしても、ホテルまでご自分で予約していただいたのは申し訳なかったとお詫びしたところ、「日本人にはもてなしの心があるので、そのように感じるのかもしれないが、デンマークでは普通のことだよ」というお言葉をいただきました。文化の違いを感じました。
翌日6日から10日まで、スーネさんご一家はチームラボプラネッツや原宿の竹下通りなど東京観光を楽しまれたそうです。
アテンドにまつわる文化の違い
11日(金)の8時半に東海大学前駅でスーネさん一家と再会。早朝、浅草のホテルから湘南まで本当にきちんと来られるのか、東海大学の先生もとても心配していらしたので、「朝お迎えに参りましょうか?」とスーネさんにうかがっていたのですが、「子どもではないので大丈夫だよ。旅慣れているから、当日までホテルから鉄道駅に行ったり、新宿駅で乗り換えたりする練習をしておくから大丈夫」というお返事をいただいていました。そして当日、難なく、東海大学前駅までいらっしゃいました。柴山由理子先生が駅まで迎えに来て、教室まで案内してくださいました。
そうして北欧学科の100人近い生徒さんたちの前で、『ブリクセン/ディネセンについての小さな本』についてお話する機会をいただきました。スーネさんは事前に準備していたパワーポイントを生徒さんたちに見せながら、カレン・ブリクセンの生涯と作品について講演を行いました。私は事前に翻訳しておいた原稿を読み上げる形で通訳を行いました。1箇所、上倉あゆ子先生がその場で通訳してくださった部分もあり、大変助かりました。
講演の後、デンマークの教育などを研究されている原田亜紀子先生の授業にスーネさんの娘さんたちが参加されて、デンマークの文化や生活について学生さんたちからの質問に答えました。
授業の後、柴山由理子先生が大学内を案内してくださいました。
時差に注意
とても楽しい時間でしたが、スーネさん一家のまぶたが再びくっつきそうになっていることに気付かされました。デンマークは日本より7時間遅れで(冬時間中は8時間遅れ)、日本の午後13時はデンマークの朝6時なので当然です。奥様と娘さんたちががっくんがっくんなりながら眠気と戦う中、スーネさんと私と柴山先生で他に相談しなくてはならないことがあり、急ぎお話しました。ヨーロッパからゲストをお迎えする時、国によるかもしれませんが、お昼ぐらいに眠気のピークが訪れる可能性があることを考慮に入れられたらと感じました。柴山先生とお別れした後、電車に乗り、乗換駅の新宿に向かいました。
予期せぬ予定変更も
スーネさんご家族は一度ホテルに戻って、17時からのヨーロッパハウスでのヨーロッパ文芸フェスティバルのレセプション・パーティーまで一度休まれる予定だったのですが、意外に時間が残っていないことに気が付きました。娘さんたちは疲れてしまったので先にホテルに戻り、ご夫妻だけパーティーに参加することに。新宿駅のデパ地下で娘さんたちの夕食を購入しました。私にも高校生の娘がいるので、「うちの娘はこれが好きなんだよ」などと紹介しながらお総菜を選ぶのはとても楽しかったです。
メールのやりとりだけでは分からないことも
娘さんと新宿駅で別れ、恵比寿駅へ。タクシーを呼びましょうか、などと言ったのですが、スーネさん一家は歩くのが好きだそうで、ヨーロッパハウスまで歩いて行くことに。デンマーク人と一口に言っても、歩くのが好きかどうかは人によるように思えます。こういったことはメールでのやりとりではなく、会ってみないと分からないと感じました。
デンマークのベテラン編集者さんから学んだこと
ヨーロッパハウスでデンマーク大使館の担当者さんと落ち合い、池澤夏樹さんの『コンスタンティン P. カヴァフィ- 20世紀ヨーロッパ文学のアレクサンドリアの道標』という講演を拝聴しました。
レセプション・パーティーでビュッフェ・スタイルの夕食やお酒、飲みものをいただきました。スーネさんと私は、池澤夏樹さんに『ブリクセン/ディネセンについての小さな本』の紹介をするため、池澤さんの前にできていた列に並びました。いよいよ順番が来ると、さすがベテラン編集者のスーネさん、池澤さんに本の紹介をよどみなくされ、ブリクセン/ディネセン談義で盛り上がってらっしゃいました。
河出書房新社から出ている『アフリカの日々/やし酒飲み』(池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-8)を編集をされた池澤さんに、今回の作品を是非ご献本したいと私は考えていたのですが、このように直接対面でお話して本の紹介とご献本の可否を事前に確認できたのは大きな収穫でした。
現金をほとんど使わない国デンマーク
現金をほとんど使わないデンマークからやって来たスーネさんたちは、謎のビニール製の袋(後にそれは娘さんが買ったスマホが入っていた袋であることが判明しました)に入れた硬貨を慣れない手つきでじゃらじゃらいわせながら家族全員分の切符を買ってらっしゃいました(Suicaを買ってはとお勧めしたのですが、電車も数回しか乗らないので、よいとのことでした)。
スーネさんご夫妻が娘さんたちの待つホテルに早目に戻られた後、私は翻訳仲間の中村冬美さんとスウェーデンの『おばあちゃんがヤバすぎる!』の著者、エンマ・カーリンスドッテルさんとしばらくお話した後、帰りました。
インタビュー、取材に来てもらえるよう準備する
翌日10月12日(土)11時ぐらいにスーネさんご一家と通訳のリセ・スコウさんと落ち合いました。この日の講演は前日よりもより自由に生き生きとできたようです。時間配分もぴったりでした。私も事前に用意していた訳文を前日よりはよどみなく読むことができました。質疑応答の部分はリセ・スコウさんが通訳してくださりました。「『イサク』というペンネームは、笑いという意味のヘブライ語だそうですが、どんな種類の笑いですか?」など、非常に知的な質問が多く、スーネさんは大変喜んでいらっしゃいました。
また講演の後、文学ラジオ空飛び猫たちさんがポッドキャスト向けにインタビューをしてくださり、スーネさんもとても嬉しそうでした。
食事会のアレンジの注意点――ベジタリアンへの配慮
スーネさんご一家は、その後、ご家族でホテルに戻られました。
そして夕方ホテルの近くの中華料理店で夕食会兼打ち上げをしました。スーネさんとご家族と私の他に、翻訳仲間の中村冬美さんと喜多代恵理子さん、前日お話したスウェーデン人作家で同じくヨーロッパ文芸フェスティバルに登壇されたエンマ・カーリンスドッテルさんとそのご家族もいらっしゃいました。
仲良くしていただいている翻訳仲間がいてくれたお陰で、ホストとしての慣れない会食の場でもリラックスできました。エンマ・カーリンスドッテルさんと旦那様はベジタリアン。中華料理屋さんでは野菜だけを用いたメニューを難なく見付けることができました。食事の席をアレンジする際には、ベジタリアンかどうか事前に確認できたらよいのかもしれません。スーネさんご夫妻もエンマさんご夫妻もお酒を飲まず、北欧人のイメージが覆されました。お酒メインのお店にしなくてよかったなと思いました。皆さん白米をたくさん食べておられました。デンマークやスウェーデンにも中華料理屋さんはたくさんあって、白米を食べるのに慣れておられるのかもしれません。
メニュー表に料理の写真があると注文がスムーズ
タブレットに表示された料理の写真を見ながら食べたいものを好きに注文してもらうスタイルにしました。翻訳仲間の中村さんはスーネさんのティーンの娘さんたちにメニューの補足説明をしてくださいました。
会食中、デンマークの図書館が主体となって様々な文学フェスティバルが行われていることや、デンマークのボードゲームやK-POPの話、デンマークで人気の絵本など多岐に亘りました。
私はスーネさんたちに「デンマークで2番目に大きい出版社に勤めているあなたの本を、日本一小さな出版社から出すことを許可していただき、私はラッキーでした」と伝えました。スーネさんは、デンマークにも小規模出版社は多くあり、本の多様性を保つため、そのような出版社の存在に敬意を覚えているとおっしゃってくださいました。「小さな出版社なので本を売るのが難しいけれど頑張りたい」と言う私に、「実は大きな出版社にとっても難しいことなんだよ」とエンパシー溢れる答えをくれました。そんな風に相手の目線に合わせてお話できるのは、スーネさんのお人柄と、編集者として様々な作家さんと関わってきた中で培われたコミュニケーション能力の賜物なのでしょう。
私は文学の面白さを言葉で伝えるスーネさんの力を今回の本から感じ取り、デンマークの文学評論の自由さ、面白さを日本の読者に伝えたいと思いました。『ブリクセン/ディネセンについての小さな本』の日本での出版の成功をスーネさんから強力に後押しされたような気がして、胸がじんとしました。
スーネさんはその翌日、息子さんが日本で暮らしているデンマーク人作家さんと会食のご予定があるとのことでした。
3日後、スーネさんご家族は帰国されました。帰国後すぐにフランクフルトのブックフェアに向かい、その後、国際アンデルセン賞の授賞式に参加予定のマーガレット・アトウッドさんのアテンドをし、さらにコペンハーゲン・ブックフェアに出展する予定とのことでした。
そんな過密スケジュールの中、日本にいらしてくださり、感謝感激でした。
作者来日について得られた新しい視点
北欧の本を訳すと、作者さんが日本に来たいとおっしゃってくれることがあります。そんな時、日本の出版社さんは作家来日に及び腰な場合が多いです。そのことを私は歯がゆく思ってきました。
ですが、今は出版社さんの事情が少しだけ分かるような気がします。
作家来日の準備は大変です。今回、在デンマーク日本大使館にスーネさんが確認の上、日本側の都合でビザをとらず、旅行者として来日するという簡易的な道をとってくださいましたが、招致する側である文学フェスティバルの主催者または出版社あるいは在日本大使館がが招致理由や目的を示す書類を用意するのが本筋なのかもしれません。日本への渡航のためのビザの取得には多くの時間を費やし、書類もかなり煩雑と聞きます。
講演料も出す必要があるでしょう(今回のヨーロッパ文芸フェスティバルの講演料は助成金から、東海大学での講演料は東海大学から出されることになりました)。各国の助成金が必ずしも通るとは限りません。編集業務に忙殺される中、ゲストのアテンドに十分な時間を割けるかご不安もあるでしょう。
これまで感じていた出版社さんへの疑問やちょっとしたフラストレーションが、共感へと変わりました。
同時に著者をお迎えし、貴重なお話をたくさんうかがえたことに深い喜びと感謝も覚えました。
スーネさんの書かれた『ブリクセン/ディネセンについての小さな本』をどうぞよろしくお願いします。