Seventy-one years ago
昨年「版元日誌」に投稿した際、原子力船「むつ」のことに触れた。「むつ」は原子力船として就航することなく引退した後、原子炉をディーゼル機関に載せ換えるなどの改修を施し、海洋地球観測船「みらい」として今も活躍しているという。先の「版元日誌」でわたしは、船名を「きぼう」としたが、これは誤りであったのでこの機会にお詫びして訂正する。
原子力船「むつ」は原子力の平和利用の一環として製造された実験船であるが、“平和利用”があるなら“軍事利用”もあるわけで、今から71年前の8月6日(広島)、そして8月9日(長崎)に投下された原子爆弾は、まさに軍事利用そのものだった。
長い時を経て原爆投下国であるアメリカの現職大統領、オバマ氏が5月27日に広島の地を訪れ、“Seventy-one years ago”で始まる演説をした。未来に向けて核兵器のない世界を目指すとの決意を語ったこの演説は、多くの人の胸を打つものであった。しかし同じ演説の中でオバマ氏は、自分が生きている間にそれは叶わないかもしれない、大変困難な道のりであることをも吐露していた。「核兵器なき世界」実現への長い長い旅がようやく始まったのかもしれない。
さて、話は変わるが久しく旅をしていない。あらゆるしがらみを捨て放浪の旅に出ることに、誰しもが憧れるものである。そんなことを考えていた矢先、NHK朝の情報番組「あさイチ」の「イチオシ書籍-思わず旅に出たくなる!? 旅にまつわる本」というコーナで、小社より刊行されている『アジアに落ちる』が紹介されたので、今回はこの本を取り上げてみる。本書はタイトルにもあるように、著者である杉山明(AKIRA)氏のアジアを巡る放浪記である。
この放浪の旅はババチョフと呼んでいた母親が病院で死ぬところからはじまる。ババチョフの最期を看取ったAKIRAは思う。
「ババチョフの旅立ちを見送ることが、とりもなおさずオレの新しい旅のはじまりだったんだ。」「きっと世界のどこかには、この国が失くしてしまったパズルのかけらがころがっているかもしれない。行ってみるか……アジアへ。」
こうしてAKIRAの「パズルのかけら」を探す放浪の旅がはじまる。東京から神戸へ、そこから船で中国大陸に渡る。中国からチベット、ネパールを経てインド各地を巡り、そしてタイを経由して神戸に戻るまでの、「パズルのかけら」を探す旅の記録である。
本書の魅力に一つに、AKIRA自身が描いた35点のスケッチがある。先々で出会った人の姿や心揺さぶられた風景をリアルに描いたその絵は、AKIRAが辿った旅の記憶を明確なイメージとして読者に伝えてくれる。
さて、この旅の最中、思いがけないニュースが飛び込んでくる。ブッダが悟りを開いたと言われるインドのブッタガヤに滞在しているとき、「神戸で大地震」が発生したというニュースが届いたのである。急いで神戸に戻ったAKIRAがどのような風景を見たのか、詳しくは書かれてはいないが、その惨状を描いた1枚のスケッチが全てを物語っていた。
そしてAKIRAは言う。
「この国が失くしてしまったパズルのかけらを探しに、アジアへ出かけたはずなのに、一番大切なひとかけらを見つけたのは神戸だった。生きている喜びを全身にみなぎらせ、逆境を笑い飛ばす圧倒的な笑顔だ。
循環するアジアの輪がここでつながり、今……旅は終わった。」
オバマ大統領が広島を訪れたのも、もしかしたら71年前に失してしまった「パズルのひとかけら」を見つけるための旅だったのかもしれない、そんな風に思った。