ハルビン学院と内村剛介
皆さん「ハルビン学院」という学校をご存知ですか。
今年も4月16日の「ハルビン学院記念碑祭」には全国から150名を超える関係者が東京多摩の高尾霊園に参集します(出席する卒業生は82歳以上、遺族も参加)。正確には「満州国立大学哈爾濱(ハルビン)学院」といって旧満州国のハルビン(現・中国東北部)に後藤新平がつくった学校で、1945(昭和20)年8月、終戦で満州国の消滅とともに閉校になった、歴史に翻弄された悲運の学校です。
ハルビン学院同窓会は21世紀を迎えるにあたり、卒業生が高齢になり同窓会活動が不可能になるため「ハルビン学院」の名を後世に残すべく基金を集め、上智大学ロシア語学科に「ハルビン学院顕彰基金」を寄付、その基金により毎年同学では「ロシア研究シンポジウム」が開かれ、「奨学金」制度が設けられすでに50名近い奨学生が「ロシア語」の世界で活躍しています。その功績が認められ昨年(2007年)12月には「上智大学ロシア語学科創設50周年記念行事」で上智大学から「感謝状」と「記念メダル」が贈られました。
1999年4月同窓会の幕引きとともに東京多摩の高尾霊園に「ハルビン学院記念碑」を建立し、カロート(地下収納室)には卒業生の「分骨」や「遺品」「校旗の燃え残り」や「学院史」その他思い出の品などが収納されています。今年も収納希望者から分骨や遺品が送られて来ているところです。特に今年は記念碑祭10周年記念で出席者には特製DVD「松花の流れ―哈爾濱学院記念碑除幕式と学院生の記録」(1時間10分)をプレゼントすることになりました。恵雅堂出版内に「同窓会」の残務処理を引き継いだ「ハルビン学院連絡所」があります。
(余談ですが学院記念碑のすぐ近くに劇作家寺山修司の墓が有ります)
ハルビン学院の21期卒業生に上智大ロシア語学科元教授 内村剛介がいます(本名、内藤 操 評論家、ロシア文学者)。恵雅堂出版ではかねてより内村氏の業績を後世に残すべく大型企画「内村剛介著作集 全7巻」(A5判、各巻平均600頁)を準備していましたが、いよいよ第1巻の発行が近づいて来ました。(5月末予定)
そのシリーズに付随して、単行本「内村剛介ロングインタビュー」も同時に発行します(近刊アクセスランキング第1位)。どちらも内村氏の良き理解者陶山幾朗氏が編者として全勢力を傾けて実現したものです。
ありがたいことに「著作集」には、吉本隆明、佐藤優、沼野充義の3氏から推薦文を、「内村剛介ロングインタビュー」には吉本隆明氏から推薦文と「はしがき」をいただくことができました。 3氏の推薦文を全部紹介したいのですが、紙面がないので吉本隆明氏の推薦文を記します。
「内村剛介は、はじめその無類の饒舌をもってロシアとロシア人について手にとるように語りうる人間として私の前に現われた。以後、ロシア文学の味読の仕方からウオッカの呑み方に至るまで、彼の文章や口舌の裂け目から、いつも新鮮な角度でロシアの大地が見えるのを感じ、おっくうな私でもそのときだけはロシアを体験したと思った。
私のような戦中派の青少年にとって、実際のロシアに対する知識としてあったのはトルストイ、ドストエフスキイ、ツルゲーネフ、チェホフのような超一流の文学者たちの作品のつまみ喰いだけと言ってよかった。太平洋戦争の敗北期にロシアと満洲国の国境線を突破してきたロシア軍の処行のうわさが伝えられたが、戦後、ロシアの強制収容所に関して書いたり語ったりしている文学者の記録について、私はもっぱら彼が記す文章から推量してきた。
内村剛介にとって十一年に及んだ抑留のロシアは、この世の地獄でありまた同時に愛すべき人間たちの住むところでもあったが、この体験をベースとした研鑽が作り上げた彼のロシア学が、ここに著作集となって私たちを啓蒙し続けてくれることを期待したい。」