ごま書房からごま書房新社への50年
小社の前身である「ごま書房」は、ちょうど50年前、1971年2月に誕生しました。
当時は第2次ベビーブーム(団塊ジュニア世代)の真っ只中であり、景気もバブルにむかう時代でした。
マクドナルドの1号店が銀座にオープン、日清カップヌードルの発売も、この年です。
その前後に、曽野綾子『誰のために愛するか』、塩月弥栄子『冠婚葬祭入門』、イザヤ・ペンダサン『日本人とユダヤ人』、奈良林祥『HOW TO SEX』、などの大ベストセラーが生れ出版界隆盛の時代が訪れます。
その牽引の一翼を担ったのが「新書シリーズ」を発行する出版各社でした。光文社の「カッパ・ブックス」、ベストセラーズの「ワニの本」、青春出版社の「プレイブックス」、祥伝社の「ノンブック」など、小説からハウツウまで、手軽に読める新書が読者の圧倒的な支持を得ました。取次各社の「週報」「速報」のベストセラー上位の
常連でした。
このような時代背景の中、光文社出身の編集者であった篠原直、福島茂喜の両氏が「ごま書房」を設立しました。ソニー創業者の井深大氏と、大ベストセラー『頭の体操』の心理学者・千葉大教授多湖輝氏らの出資と助力を得てスタートしました。
満を持しての「ゴマブックス」シリーズ第1弾は、井深大著『幼稚園では遅すぎる』
です。ソニーが世界的企業に成長した当時、井深大は幼児教育と東洋医学に傾倒していました。ちなみに「ごま」は「セサミストリート」からとった井深氏の命名でもあります。
シリーズ刊行にあたって、本書の奥付には以下の文章が載っています。
「あなたは、ゴマという名まえをお聞きになって、何を連想なさったでしょうか。(略)私たちは、食物のゴマのように、たとえ小粒でも、中身のすばらしい栄養価にあふれた本を皆さまにお届けしたいと思っています。アラビアンナイトで有名な「開けゴマ!」の呪文のように、あなたの新しい未来を拓く鍵になりたいと思っています。私たちの願いをこめてつけたものです」。ごま書房創業者篠原・福島両氏の意気込みが伝わります。
そして、先に挙げた有力出版社に負けじと、ゴマブックス・シリーズからも多くの著者と書籍が輩出されました。
井深大『0歳からの母親作戦』、多湖輝『心理トリック』『ホイホイ勉強術』、宮城まり子『ねむの木の子どもたち』島田一男『女心のつかみ方』、落合信彦『世界の読み方』、邱永漢『株入門』、五味康祐『オーディオ教室』、福富太郎『強運のつく本』などコンスタントな売れ行きをした新刊の刊行が続きます。
「六星占術」が日本中を席巻することになる細木数子『六星占術による運命の読み方』、池波正太郎の書下ろしエッセイ『男の作法』
も刊行されました。『鬼平犯科帳』『剣客商売』などのヒット作を執筆中の大先生の書き下ろしを出版化できたのは、後見人ともいえる井深・多湖両氏の人脈と篠原・福島の企画力の賜物でした。
1991年12月、年も押し迫った時期に刊行した、井深大『わが友 本田宗一郎』
は、NHKTVで同名番組が放映された直後から膨大な注文が殺到します。刷っても刷っても追い付かないという状態が続き、1年間で33刷という大ヒットとなります。今にして思えば、運が向いているというか、運に乗っている時期でした。本郷3丁目に自社ビルを立てたのもこの時期になります。
その翌年(1993年)の12月には『ジーコのリーダー論』
を出版します。この年の5月にJリーグが開幕し、開幕戦でハットトリックを成し遂げたジーコには日本中が熱い視線を送っていました。そんなジーコに、「サッカーではなくリーダー論を」という企画を提案したところ、「サッカー関連の依頼はたくさんあるが、組織論についての依頼はない、ジーコはこの依頼を受けると言っている」という返事をもらい出版が実現しました。
その後も健康書、学参関連と幅広いジャンルの本を出し続けますが、バブルの崩壊と時を同じにして、「読書離れ」が加速します。とくに一時代を為した各出版社の「新書シリーズ」の売行きも右肩下がりになりました。
2008年、「ごま書房」としての歴史に幕と閉じ、1973年入社で「ごま生え抜き」の池田雅行が事業を受け継ぎ代表となり、ごま書房新社として再出発をします。
同年刊行の『ココロの授業』はシリーズ累計30万部を記録し、『日本一心を揺るがす社説』シリーズは、今なお売れ続けています。また、2011年3月、東日本大震災後のACジャパンのTV広告で繰り返し流れた『行為の意味』の詩は、日本中の老若何女から多くの共感を集めた1冊となりました。
このように振り返ってみると「栄枯盛衰があった50年」と言えます。コロナ禍で先行のわからない時代ですが、今年から「新しい50年」は始まります。創刊時のことばを今も心に刻み、小粒ながら、「著者」と「読者」を結ぶ「鍵」になるような出版を目指していきます。(文責・池田/文中敬称略)