ぼちぼちではありますが、闘っているのだ
弊社は2016年5月から現在まで7冊刊行してきた。まだ7冊、シリーズ本を4冊と詩集2冊、そして写真集を1冊。ぼちぼちというわけでもないけれど、まわりみちよりみち、能力の問題等々により当初の予定から遅れている。決してコロナのせいとはいえない。
新刊の写真集「女、美しく わが旅の途上で」
は3月末の刊行で、予定していた書店やギャラリーでのイベントが中止になった。休業か時短か全国民自粛なのかまだ定かでない頃で今のようにオンラインでのイベント開催など思いもよらなかった。ただ不穏な空気のなかで手をこまねいていた。やったことといえば書評を期待し自筆の手紙を添えた献本をたくさん送ったことくらい。それは少しだけ功を奏したのか、新聞と雑誌に数回紹介された。注文が若干だが増え、読者からのお手紙はおおむね好評だった。だが…作品がどう鑑賞されるかは読者によってさまざまなのは当然だが、ちょっと残念さを感じたこともあった。
著者の写真家長倉洋海さんは「マスード 愛しの大地アフガン」(第12回土門拳賞受賞)という作品で知られ熱烈なファンもいる。ほぼ人が行かないような辺境の地、極寒の地でトナカイ橇を撮ったり、フクシマの少年少女の無邪気な瞳をカメラに収めたりと現在も変わらず旅する写真家だ。今回の企画は女性にフォーカスし、いってみれば「女性讃歌」をテーマにした。だがその意図は果たして伝わったかどうか心もとない。取材の際、女性のさまざまな表情、自然体の女性の美しさに感嘆しつつ記者は、旅や紛争地の危険についてあるいは異境、異民族の地での珍しい話、苦労などを訊いた。従来ならば取材は弊社かあるいは著者のオフィスだが、感染予防のために著者の自宅で電話や一対一のオンラインで行われた。で、そこじゃないんだなあ…普遍性なんだよなあ…という私の内なる声を差し挟む機会はないまま記事となった。記事にセレクトされた写真は、華奢な肩に銃を提げたフィリピンの少女ゲリラ、彼女が草むらにしゃがんで花を摘んでいる。はにかんだ表情とのギャップ……。校正を見て嗚呼と思ったけれど差し替えの要求はしなかった。掲載に感謝しつつ、トークショーをしなかったことが悔やまれた。制作中に著者の女性観を聞き、ジェンダーについてもずいぶん話し合った。これまでの作品とは違った切り口の試みをという提案に著者自身もその「新しさ」にとてもはりきって取り組んでくれた。紋切り型というとよくないが定着したイメージに左右されず、場所や国籍や人種の線引きをせず目の前の女性を見てほしいという思いがあった。しかし、できあがった作品は言葉による説明ではなく一人歩きしていくものだ。これからは一冊でも多く届けられるよう努めたい(たくさん刷ったことだし)。
さて弊社のメインは珍しい本である。始めに刊行した「先代旧事本紀大成経伝」は、元になっている先代旧事本紀大成経が全72巻の大著である。それを22巻に圧縮して解説をつけたものだ。現在4巻まで刊行し、予定より2巻遅れている。
先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう)は古伝書でありわが国最古の古典といえる。推古天皇のもと、摂政 聖徳太子によって編纂が始められ622年太子が亡くなった年に側近の秦河勝と儒学者学哿、中臣御食子によって完成した。古事記、日本書紀(以後、記紀)よりも古い。神代から人皇本紀(天皇記)まで詳細で記紀にはない記述も多い。そして文化、芸術、いわゆる産業の始まりから国土(道)造り、太占、暦、医、礼、詠歌、軍旅、当時の神社一覧、そしてかの有名な十七条憲法の原典である聖徳五憲法も含む。比較すると記紀には国家の理念、思想が抜け落ちていることがわかる。なにゆえか…と考えるだけでも面白い。この本について書店員の方と話すとき、名称の読みかたから始めなければならない。旧事をクジと読むと。表紙のタイトルにルビを振らなかったのがいけなかった(本文にはルビあり)。読むのも売るのも難しいと痛感した。そういう本だが記紀の原本云々ということを除いても、なにせ知の宝庫のような書物だ。この世にきちんと出版して遺したいという強い思いで始めた。ちなみに記紀と似て非なるこの古伝書をちらっと知っている人は、「偽書」という不名誉な烙印を以て認識していることだろう。ウィキペディアで検索すれば現在もそのように記載されている。
「先代旧事本紀大成経伝(一)」ではその成り立ちと歴史、そして数種類ある旧事本紀という名称がつく本について説明しており、それにより紛らわしい同名他本の成立についても述べている。次に「先代旧事本紀大成経伝(二)憲法本紀」はいわゆる十七条憲法の原典である。聖徳五憲法といい通蒙、政家、儒士、神職、釈氏の五つがそれぞれ十七条の構成である。日本書紀と印象も内容も異なる。次の「先代旧事本紀大成経伝(三)宗徳経」「先代旧事本紀大成経伝(四)神教経」は無いものとされてきた神道の教義である。伝は解説書なので大成経の順どおりではなく読解に必要な順序で刊行している。神道教義がわからなければ、先代旧事本紀大成経は読み解くことができないからである。
偽書説をいう学者は、たとえば先代旧事本紀大成経とは別の「先代旧事本紀」通称十巻本の国造本紀に中世に使われ始めた漢字が用いられているため旧事本紀という書物は後世の作だとしている。だが先代旧事本紀大成経は編纂から1400年近い歳月が流れた。深く広大な原生林のすそ野に一本の外来種の樹木を見つけても森全体をわかったことにはならない。その間に渡り鳥が落とした種から成った木が育ったとしても何の不思議もない。その際、鳥はどこから飛んできたのかに興味を持ち、森ではなく若い木の来歴を考えるべきではないだろうか。実際にこの写本の全巻を通じて読むと誤写とおぼしき箇所は一つや二つではなくみつかる。それが何を誤って書写されたのか、元を突き止める作業をするには他の巻も目を凝らして見なくてはならない。すると誤写の理由が判明する。誤字を以て書物全てを否定するのは短絡過ぎもったいないことかと思う。全巻入手が困難という理由もわかるが一方、折口信夫は先代旧事本紀大成経を実際に見たことがなく私はわからないと書いた、大家は正直かな。
翻ってこの数年、国民に隠れて行われてきた公文書の書き変えや破棄が明るみになってきた。(これを書いている今、安倍総理の辞任会見が行われている。)是が非でも数で押し切ろうとする政府、雇い主を間違えた行政官の追従という堕落を、日々これでもかと目の当たりにして思うのは、時は千数百年も遡るが、記紀の成立経緯と先代旧事本紀大成経の関係である。今起きていることと同じではないか。想像するに難くないほど、あれもこれも改ざんが行われ、バレたら塗りつぶし押し通す。ルールを作り替え、行使する。するとどうなるか。
時の権力者は歴史を書き変える。記紀の成立については古事記序文、続日本紀の記述から天武天皇による修史事業であるとされている。推古朝以前の文書の類は乙巳の変の際、蘇我蝦夷と共に灰燼に帰したが、船史恵尺が炎の中から国記、天皇記を拾いだし中大兄皇子に奉じたと日本書紀に記されている。たが、現存しないため無いことになってきた。天武天皇に始まり元正天皇まで続いた修史事業という記紀編纂は、親王や公卿たち、今でいう官僚たちが筆を執った。つまり記紀は彼らが作った「正しい歴史」だということだ。
先代旧事本紀大成経第70巻憲法本紀のなかには神職憲法として、人を神として祀ってはならない、勝手に社を作ってはならないと書かれている。だが武将や明治の軍人を論功行賞で祀った神社は全国にたくさんある。身近な話でいえば靖国神社問題だ。推古朝までは、人は神にはなり得ず、人と神の境界は歴然としていた。
神道は延喜式、明治政府の社格制度と変えられるたびに根本から外れてきた。明治政府による国家神道は国民を統制し飼い慣らす道具に堕した。それは多くの国民を戦争の犠牲にし、戦後、国民の神道離れが進んだ。だが近年再び、ご利益信仰、パワースポットだと惹句と観光化した祭で神社が盛り返そうとしている。本来の日本人の心性とはかけ離れたものだが、その裏に、神道政治連盟、神道政治連盟国会議員懇談会など憲法改正を企む組織がある。彼らは記紀の言葉を引用して政治を語る。また彼らは公文書改ざん事件、隠蔽問題に登場する人々とも重なる。こうした神社本庁と一線を画したいという神社も少数だがある。だが先代旧事本紀大成経に元々あった神道(古神道)が明らかにならないかぎり、多くの人々は作られた疑似神道しか知らない。神社では神道には教義はなく、歳時ごとの祭事がおつとめだといわれる。その無いはずの教義が先代旧事本紀大成経に書かれ、日本古来の道が確かにあったことを知るのは、彼らの横暴に抗する知恵と力になるのではないか、そういうふうに考えている。いかに戦さをせずに民の命を守るか、それが天皇の役目とも記されている。明治天皇以降、戦さ続きのこの国でそんなこととは誰も知らないし、信じてはもらえないだろう。だが確かに書かれている。それも後世を憂いて書き遺されたもので、人はなぜ生きるかに答え、生老病死の意味を説く。他のすぐれた古典と同じようにこれらもまた人生を照らす一助になるのではないかと思う。全22巻(予定)刊行はまだ緒についたばかりで、骨の折れる仕事だが、闘志を絶やさないようにしている。
(何と闘うか、もちろん千数百年間の改ざんです)