「走った距離は35万キロ」
もうすぐ18期が終わります。
大阪は摂津の友人の出版倉庫の片隅で、家賃タダ、社員1名で立ち上げたのが2002年。
計算が合わないのは、決算というものを早く経験してみたくって、第一期を4月創業7月決算にしたから、当時はひとり出版社という言葉もなく、細々とした船出でした、すいません二人ですけどね。
先日フェイスブックに、書店員だった友人から「多くの友人たちが意気揚々と出版社や書店をはじめました、でも、みんなどこかに行ってしまいました。正直なところ内山さんもそうなるだろうと思っていました」といった書き込みがありました。
そうなんだろうなと思います。
僕自身、起業本によく書いてある長期計画などとんでもなく、時間軸は「今」しかありませんでした。
「今」が積み重なっていって、知らぬ間に「今日」になりました。
以前ここに、「うちは出会い系出版社」「うちは旅系出版社」と書かせていただきました。
概ね酒席で人と出会い「この人、おもろい」「この人の本を作らなあかん」。
なので、どの本も著者のほぼデビュー作。
概ね2年から3年「ああでもない、こうでもない」と言い合いながら、作っては壊し、壊しては思い直して、組み直し、「なんかちゃう」
「もっかいやんなおそか」
その繰り返しで130点ほどの本を産み出しました。
作った本は、日本中車で旅しながら、本屋さんをまわって営業し、置いてもらって読者に届けています。
最初のロゴと今のビッツで、走行距離にして35万キロ。
ファミリーカーの両車、まさかこんなに走らされるとは思ってもみなかったことでしょう。
電話、ほんと苦手なんですよね。
メールも、顔が見えないのでダメなんです。
だから、出向く。
アポイントを取るのが苦手なんで、飛び込む。
書店さんは、もちろんなんですが、新聞社や出版社にも、車で走っていて見かけたら伺って、「この著者、面白いんです」「この本、めっちゃええんです」と話し込む。
日本は捨てたもんやない、みなさん「ほんまや、ほんまや」を標準語で返してくれながら、「呑みに行こう」となって、新聞紙面や雑誌で紹介してくださいます。
中学生の時観た映画「原子力戦争」。
この時思った「原発、あかん」が原点なので、『関西電力と原発』
を作ったとこで、「もう、ええかな」と思ったとこもありました。
でもね、出会うんですよ、素敵な人と。
最近はSNSでの出会いもあります。
寮美千子さんや谷口真由美さんもフェイスブックで出会いました。
そして、もちろん呑みます。
寮美千子さんは、「奈良少年刑務所の写真集を作りたいけど、どこの出版社もいい返事をくれない」と書いていました。
とにかく観てみたいと思い、刑務所前で落ち合いました。
そこから「美しい刑務所 明治の名煉瓦建築奈良少年刑務所」
が生まれ、「あふれでたのは やさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室」
が生まれました。
「これ、自費出版なんか」とデザイナーに言われた「美しい刑務所」は、本体1800円は初版4000部を売り切り、重版1000部が残りあとわずか。
刑務所の写真集、そんなんふつうないですもんね。言われてもしゃあない。
新潮文庫「空が青いから白をえらんだのです」の背景を書いてくださいと何度も呑みながらディスカッションをしたのちできた「あふれでたのは やさしさだった」は、一人でも多くのみなさんに届けたいと、新書にし、本体1000円にしました。今、4刷16000部です。
谷口さんとは、「憲法講義」を作っています。憲法を変えるという議論がでているなか、普通の人はなんら興味がない、こらあかんと焼き鳥大吉で呑みました。
ある本屋さんに営業で伺った際、渡したうちの目録を見ながら、初対面の店長さんが一言「売れるとは思えない本ばかりですね」
がっくーーーんと、肩を踵まで落としていると、
「いや、今どこの出版社も売れそうな本ばかり作ってるんで、これは、いいなと思ったもので」
「この店に赴任したばかりで、まだ店のことがよくわからないんで、少ししたら、西日本出版社のフェアをやりましょう」
出会いの数だけ本が生まれ、本が読者の手に届いています。
もちろん、伺った書店さんで「西日本出版社、知らんわ、帰って」と言われることもままあります。店の人たちが談笑しているところに、「西日本出版社です」声をかけると嫌な顔をされることももちろん。
それは、しゃあない。無名ですもん、でも、それ以上に楽しい出会いがある。
一昨年、いしいあやさんと「ニジノ絵本屋さんの本」
を作りました。
知る人ぞ知る、本屋さんで、出版社で、パフォーマーの女の子です。
東京のブックイベント「ブックマーケット」で出会い、呑み仲間になったとこから、「この話は、みんなに聞いてもらわな」と本を作りはじめました。
内容は・・、これは本書を手にとって読んでください。本体1400円、初版4000部です。
去年は、演歌歌手とマネージャーのごとく一緒に全国行脚し、店頭やイベントでパフォーマンスをして本を売りました。
一緒にいて思ったのは、ホームグラウンドとしての「場」を持っているのはいいなということ。
「いしいあやのゆるーい会」というのがあります。
文字通り、自分のお店でお客さんと、絵本の話をゆるーく語り合います。
「絵本描きたいんです」「映画作りたい」「彼氏が・・」話題は、あちこちに飛びながらも、ニジノ絵本屋さんの店舗が、みんなの居場所になっています。
ええなあ。
僕も、毎月第一月曜19時からやっているトークイベント「版元ドットコム西日本 本を作るってどういうこと」で、やってみました。場所は森ノ宮まちライブラリー、すごく楽しかったし、みなさんも喜んでくださったとは思うのですが、ここやないんですよね。自分のお店でやるから価値がある。
広島で虎視眈々と書店革命を模索する、ウイー東城の佐藤さんも、近隣のお客様の居場所になっている。
なんか猛烈に嫉妬します。
そのせいだからというわけではないんですが、今期週末はできるだけ、読者の所に出向いて本を売っています。
著者の講演会が多いのですが、マルシェも多くなってきました。
書店さんの店頭での販売というのもあります。
ガイドブックなら、大きな声を出して呼び込んで、「このガイドブック、僕らでつくったんです、なんでも聞いてください」
単行本なら、「この著者、すごいんですよ」とお声掛け。
お客様と話をしながら本を買ってもらうのは何とも楽しいわけです。
意識してやっていると、17期に50万円ほどだった出張販売の売り上げが、今期300万円を超えそうです。関西圏ばかりではないですから、経費もそれなりにかかっているのですが、「旅系出版社」としては、それもあり。ちなみに遠方は研修旅行と呼んでいます。
今、興味があるのは「講談」、それも上方講談。
東京は松之亟さんが売れまくっているけど、上方にも20名ほどの講談師がいます。
今作っているガイドブック8月下旬発売の「くるり丹波篠山京都丹波+舞鶴」には、女流講談師旭堂小南陵さんに、「明智光秀丹波時代の思い(仮)」という新作講談を書き下ろしてもらって掲載予定です。続いて、彼女と、ほぼ30年ぶりに上方講談の真打になった、旭堂南龍さんで、単行本も作ろうと画策中。このお二人、松之亟さんとはつい3年前まで一緒によく会をやっていた仲間、東に負けじと、うちも一緒に頑張ります。
この「くるり」、15年ほど前、僕が丹波にはまって通っているうちに「なんで、ガイドブックがないねん」となって作った、AB判128Pオールカラー掲載件数300件以上のガイドブック。行政が作ったチラシは、「何種類あんねん」というぐらいあるんですが、情報がかぶっていて使いにくいし、地元に行かないと手に入らない。
製作費と印刷費でおおよそ700万円ほどかかるのと、コンビニを意識したら、税込定価980円が上限。なので、15000部が採算分岐点。毎回死にそうになりながら、書店さんをまわって注文を取っています。
それも、気が付くとシリーズ10点を超えます。地元では、この本から丹波ブームが起こったと言っている人がいるとかいないとか。ぼくも今、営業の合間にロケハンに取材に走り回り、発売前一か月になると、毎夜、深夜まで事務所で校正作業に突入予定です。
そうなる前までに、25000部は、受注しておかないと。
他にも万葉集の本、日本書紀の本、瀬戸内の島の本、奄美の酒の本、カニの本、自転車の本、本づくりの話は、ここから益々面白くなるのですが、丁度枚数が尽きました。この続きは次回、またどこかで。
西日本出版社の本の一覧