町の小さな出版社から
成城の町の小さな出版社(自宅兼)としてスタートしたのが3年前でした。1年目は仕込み段階で数冊しか刊行できませんでしたが、2年目の昨年(2018年)は、どうにか12冊刊行、ヘロヘロ状態でしたが、このペースでなんとか続けていければと。
ただ12冊といっても、流通でトランスビューさんにお世話になったのは、昨年5月刊行『なぜ日本はフジタを捨てたのか?』
1冊のみで、あとは直販とネット書店中心にやっています。
といいますのは、スタートの原点(2つあります)の一つが、地元(世田谷区)密着型といいますか、この地域在住の方々を対象にした出版事業を目指し、そこを起点にジワジワト周辺にも拡大していければいいかな、という初志があったからです。
それを具体化した活動として、地元の成城自治会館を会場に毎月1回、自分史の書き方セミナーを開催してきました。成城の地で出版社を起こしたからには、やはり地元(地域)貢献という意味で、私の長い編集者経験を生かせればという思いから1昨年から始めたささやかな活動です。今月で18回目を迎え、これまで多くの方(延べ60人ほど)にご参加いただきました。
なかには著作経験のある方もいらっしゃいましたが、多くは、自分史なりエッセイなりを書きたかったけれど、相談できる相手もなく方法もわからずにいました……という方々で、私や編集者仲間の拙い講義でもわずかながらでもお役に立てたようです。
これまで参加された方の中には、すでに書かれた原稿やテーマをお持ちで、出版を模索していたけど、どこに相談していいのかわからずにいたという人もいたりで、そんな中から昨年は3冊ほどが本になりました。打合せはおもに駅近くの喫茶店ですが、お互いの近場で美味しい珈琲でも飲みながら、打合せを兼ねてあれこれ本の中身にかかわる楽しい話でひと時が過ごせるのは、やはり地元出版社の強みでしょうか。
二つ目の原点は、社名の「静人舎」にも関係しています。私事で恐縮ですが、3年前、大学以来長い付き合いだった編集者仲間でもある友人を癌で亡くしました。彼が一時期在籍していた出版社では、『加藤周一著作集』や「東洋文庫」の担当をするなど、その博識には一目も二目も置く大切な畏友でした。
彼の葬儀は近親者と大学時代のサークル仲間数人が参列してひっそりと行われました。大きな喪失感を持て余していた私は、そのとき私は心の中である言葉を反芻していたのをよく覚えています。
「人は二度死ぬ。個体が潰えたら一度目の死。死んでも誰かが自分のことを記憶に残している限りは生きている。しかし誰一人として自分のことを覚えている人がいなくなったとき、二度目の死を迎える……」
という永六輔さんが残した言葉でした。私は彼を忘れまいと誓いました。そしてそのためには彼の生きた軌跡を記録した文集を作らねばという気持ちに強く駆られました。私は友人やご遺族から、残っていた彼の写真をかき集め、彼の個人史と事績をまとめた文章を大急ぎで書き上げ、四十九日法要に間に合うようにどうにか一冊の追悼集を作り上げました。時間や経費の制約もあり満足のいくものはできませんでしたが、仲間やご遺族、関係者にお渡しすると、みなさんとても喜んでくださいました。
薄い冊子でしたが、手作りの本が直接お渡しした方々に感謝されたことは、私にとっては思いのほかうれしい体験でした。
それからしばらくして、私の中で、自分の手で納得のいく本を出せたらどんなに素晴らしいだろう……という気持ちがムクムクと湧き上がってきました。出版社を立ち上げた動機の二つ目の原点はここにありました。
ちょうどその頃だったでしょうか、天童荒太さんの『悼む人』を読み、とても感銘を受けました。自殺や事故死など不慮の死を遂げ、だれにも看取られず悼まれもせず寂しく死んでいった人々の最期の地を訪ね歩き、追悼の意を捧げる一人の奇特な青年の物語です。
静人舎はその主人公の名前「静人(しずと)」からお借りしました。友人を亡くした当時の私の気持ちにぴったり合ったものでした。
実は前述の『なぜ日本はフジタを捨てたのか?』 も、ある意味で、藤田嗣治の追悼集かもしれません。従来の定説では、藤田が日本を嫌って自分の意思で去っていったことになっていますが、実はそうではなく、日本の画壇や世論が一致団結するようにして、藤田を海外に追い出したのが真相だった、というのが著者の辿り着いたところです。
戦後の日本は、いろいろな面で戦争中の“くさいもの”に蓋をして発展してきました。新生なった戦後の画壇では藤田こそが“それ”でした。著者は新たに公開された藤田の書簡や新資料を読み込み、音声テープを聞くなどして、そのことを見事に証明したのではないかと私は思っています。藤田の無念を晴らすために書き上げた力作です。
版元日誌なのに、余計な私事ばかり長々と書いてしまいましたが、今年は、そんな静人舎の名にふさわしい企画をいくつか用意していますので、この社名の本にどこかで遭遇することがありましたら、ちょっと覗いてみてください。