ルピ・クーアというできごと
『ミルクとはちみつ』という本の話をします。2017年11月に弊社から刊行した翻訳詩集で、原題は『milk and honey』。ルピ・クーア(Rupi Kaur)という現在25歳、インド系・カナダ在住の女性のデビュー作です。
この本が巻き起こした現象については『i-D』の翻訳記事「インスタ時代の詩人 ルピ・クーアは熱狂の的」にくわしく紹介されていますが、カナダ・アメリカで100万部を超える売上を記録し、「すべての女性が読むべき詩人」「同世代の声」などと評されています。アメリカの出版業界誌『Publishers Weekly』によると、2017 年上半期の売上部数は既刊書ながら47 万5000 部で、ノンフィクション部門1位。今年2月の同誌サイトには、「Can Instagram Make Poems Sell Again?」という、彼女が引き起こした「詩のブーム」をめぐる記事も載っていました。翻訳も相次ぎ、日本版に先立って中国版と韓国版が出ています。
なぜそんなに支持されているのか。さまざまな記事があり、作品に対しても賛否両論の見解があるようですが、『i-D』で紹介されている読者のコメントが印象的です。
「『ミルクとはちみつ』を読むまでは、詩が好きってわけじゃなかった」とミューレンは言う。「最初はこの本を買うことにも迷いがあった、詩にはほとんど興味がなかったから。でも読み終わった後、同じような本を探している自分がいました」
ところで、『ミルクとはちみつ』は、2015年10月にカナダの出版社から刊行されたのですが、もとは前年にルピ・クーアが自身で出版した本でした。彼女の公式サイト内の「faq」によると、こんないきさつだったそうです。
彼女は詩を書き溜めるうちに、作品を出版したいと考えるようになります。そこで大学の創作科の教授に相談すると、「詩の本を出すなんて難しすぎる」。雑誌に投稿しても、まるで採用されません。そうするうち、彼女は自分の詩が一編ずつ独立しながらも全体としてひとつの作品になっていることに気づき、自分自身ですべてをコントロールし、一冊の本にするのが正しい選択だと思うようになったといいます。
そこで使ったのが、アマゾンのCreateSpaceという自費出版プラッフォームでした。日本には導入されていませんが、印刷・製本からアマゾン以外の書店を含む販売までをサポートするというものです(『EBook2.0 Magazine』によると、今年の4月にサービス終了予定とのことですが)。
ルピ・クーアは、詩とイラストを4章に分類し、全体の流れを考え、インデザインでレイアウトと装丁を行ない、校正を発注します。それをチェックし、修正し、ようやくOKボタンをクリック。こうして『ミルクとはちみつ』が完成しました。2014年、21歳の女性によって世に送り出されたデビュー作は、刊行直後から一部で話題を呼び、先述したとおりカナダの出版社がオファーして翌年10月に再出版されることになったのでした。
ここまでは自力で本を作ったという話。出版と並行して、彼女はインスタグラムに『ミルクとはちみつ』の収録作や写真を投稿するようになります。そして2015年5月、経血が滲んだパジャマ姿のセルフポートレート(学校の課題で撮影した写真だったそう)をアップすると、利用規約に違反しているという理由で削除されてしまいます。彼女は激しく抗議し、インスタグラムが謝罪。これをひとつのきっかけとしてSNSで広く知られるようになり、『ミルクとはちみつ』もブレイクしていったのでした。「insta-poet」(インスタ詩人)という言葉がありますが、彼女はその象徴となり、現在では220万人のフォロワーがいます。
ルピ・クーアをめぐるできごとは、近年アメリカを中心に広がるフェミニズムの動向とも重なっているのでしょう。彼女が影響を受けたというソマリ系・イギリス在住の女性詩人ワーザン・シャイアが、ビヨンセの『レモネード』(2016年)に参加したことなどとも共通の何かがあるはずです。彼女がカバーに記した言葉を引用しておきます。
これは詩によって
生き抜いた旅
これは21年にわたる血と汗と涙
これはあなたの手の中にある
私の心
これは
傷つくこと
愛すること
壊れること
癒やすこと
この本の編集が進行している最中に、川上未映子責任編集『早稲田文学増刊 女性号』と野中モモ・ばるぼら『日本のZINEについて知ってることすべて』が刊行されました。前者は女性による文学作品を、後者はZINEに象徴されるインディペンデント出版の歴史を、ともに圧倒的なボリュームでまとめた本です。野中さんは前者にも参加されていて、そして『ミルクとはちみつ』の訳者でもありますが、著者・編者の熱意が注ぎ込まれた2冊が同時期に出たことには、とても励まされました。
自分の直感を信じること。インディペンデントであること。新しいものはそのようにして生まれるという真実を、ルピ・クーアはあらためて痛感させてくれます。この本について、いくつもの書店の方から「一人で買いにこられる女性のお客さまが多い」とうかがいました。日本語になった彼女の言葉が、買ってくださった一人ひとりを勇気づけるものであればうれしいです。弊社サイトに内容紹介や立ち読みページがありまので、ぜひアクセスしてみてください。そして、実物を手にとっていただければと願っています。