「とじていない」出版物
前回の版元日誌で、電子書籍ではページ概念が固定していないということを書きました。
紙の書籍や雑誌は文字の連なりをページごとに区切って印刷し、それを綴じることで成り立っています。
いま、人々の情報取得手段として、紙の書籍や雑誌から着々と可処分時間を奪っていっている電子書籍やwebサイト、SNSといったメディアの表現形式は、そうしたページの区切りから解放された「新しい巻き物」といえるでしょう。
webサイトはさまざまな制約や計測上の要求などから、擬似的にページで区切られたものもありますが、いっぽうでページ長に物理上の制約がないことを象徴するような、「無限スクロール」という手法も使われるようになりました。どれだけスクロールしても終わりなくコンテンツが更新されて出てくるさまは、まさに魔法の巻き物です。
決まった順序にしたがって「綴じられていない」コンテンツは、自由自在にワンタップであちこちにジャンプしていける「閉じられていない」コンテンツでもあります。その魅力が、電車内のみんながスマホに向かってうつむいている風景を生んでいるのでしょう。
しかし、この綴じていない形式、紙の出版物でも可能です。それも、よりダイナミックな経験ができるかたちで。
今回の版元日誌では、小社で出版している「綴じていない」出版物から2種、紹介させてください。
ひとつは「カルタ」です。
小社のカルタは「漢字」と「かな文字」を学習する教材のシリーズです。現在、『新版101漢字カルタ』『新版98部首カルタ』『108形声文字カルタ』『ようちえんかんじカルタ』『ひらがなカルタ50音』『カタカナカルタ50音』の6種類を販売しています。いずれも多く版を重ねたロングセラーです。最初に出版された『101漢字カルタ』から、今年で25周年を迎えました。
2010-2012年にリニューアルした新版を取次に持っていったときには「ニューメディア」「開発品」扱いと言われることがあったのですが、どうにも納得がいきません。20年ほどの経験からしても、冊子体の書籍といっしょに流通させて何の不都合もありませんでした。だいいち、カルタの出版は400年ほどの歴史があります。冊子体の書籍と同じくらいの年月にわたり出版物として商業流通してきたものが、あとから区分ができたからと「低反発枕」や「クーラーバッグ」といった新参者の雑貨品付録BOOKと同列にされてしまうというのは理不尽です。
ということで、現在もこのカルタシリーズは、書籍と同一の取引条件で流通しています。よく書店さんから「カルタは買い切りですよね?」と尋ねられるのですが、返品も可能です。年末年始に売れが伸びるといってもカレンダーや手帳のように時期が過ぎたら価値が落ちるものでもなく、前述のとおり歴年・通年売れてきたロングセラーですので、この記事をご覧の書店さまは、ぜひに積極的な展開をご検討ください。一覧の注文書はこちらです。
さて、さきほど「よりダイナミックな経験ができる」と書きました。その中身の説明に移ります。
『101漢字カルタ』は、漢字の成り立ちを簡潔にあらわした唱えことばと絵が書かれた「読み札」と、古代文字と現在の漢字が書かれた「取り札」で構成されています。
カルタの取り札が、一面に並んださまは壮観です。この「からだいっぱいで文字を探す」感覚は、紙の本でも電子メディアでも味わうことができない体験です。
(写真は大判の『幼稚園かんじカルタ』を東京国際ブックフェアで実演したさいのもの)
子どもたちは夢中になって札を探します。そして、何度もくり返すうちに、札の中身を覚えていきます。カルタの特徴は、取り札の並びもランダムなら、読みあげられて探す順序もランダムなところです。知っている札、いま見ている札がいつ読み上げられるかわからないところにゲーム性があり、読み札と取り札の関連がより印象的に記憶に残ります。
英単語などを単語カードで覚えた経験をもつ方ならわかるでしょうが、順序のシャッフルは英語と日本語訳の結びつきを1対1で強化するはたらきがあります。カルタが教材としてもすぐれているのは、そのダイナミズム、身体性、ランダム性という特性をもつからです。これらは、綴じられた冊子や、スマホやタブレットの小さな画面ではできない経験です。
逆に、順序にそって並べることで、より印象深くなるということもあります。
それが次に紹介する大人向けの商品、「卓上の生涯」です。
「卓上の生涯」は、一人の人物の生涯を16の場面カードに分け、イラストによる伝記と文章による伝記が表裏に書かれており、それを1枚に繋げたときに大画面の絵があらわれるというシリーズです。この、パズルのような紙芝居のような独自の形式を、小社ではconnect bookと名付けました。
第一弾は、「チェ・ゲバラ」です。
今秋に没後50年を迎えた伝説の革命戦士の愛と硝煙に満ちた生涯を、異色の形式にふさわしい、独自色ゆたかなイラストでたどります。
「なんでゲバラの肖像がこういうデフォルメなんだ」とまずツッコまれる方も多いでしょうが、ゲバラの高い志と転変していく遍歴を読みながらカードを並べていくと、ここからダルマというモチーフを創出した絵描きさんの慧眼が感得されてきます。
伝記の構成と文章は、ラテンアメリカの専門家であり、『チェ・ゲバラ──旅、キューバ革命、ボリビア』(中公新書)著者の伊高浩昭さんに監修していただきました。ポップな外見だからこそ、内容は骨太になっています。
と、説明されてもどんな内容か、ピンと来ませんよね? ここがなかなか難しいところです。
以下に、20秒ほどの「プレイ動画」が公開されていますので、ご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=_O7u_dQOAks
ウラ面の肖像は、デザイナーさんのアイデアです。せっかくの70cm四方の大画面ですから、やっぱりこちらの像もほしいですよね!
表面が一枚絵になったときの曲がりくねり方は、まさに「生涯」。何度か並べ直すうちに、違った味わいが出てきます。
2017年10月に読んで印象深いのはゲバラが広島を訪れて原爆の惨禍を知ったそのすぐあとに、キューバ危機が起きていることです。ゲバラの核兵器の暴虐への怒りと、侵略を防ぐためには大国の威を借りた核攻撃をも辞さないという表明は矛盾しているでしょうか。核保有国がなんの制約も加えられないままにじりじりと増えつづけていくこの世界にいるわれわれは、ゲバラの態度を糾弾することができる足場を持てずにいると感じました。
読むたびに違う発見があるのはふつうの本と同じですが、「順序」を能動的につくっていくこの形式は、伝記などの歴史描写を読み込んでいくのに向いているという気がしています。
この「卓上の生涯」は、シリーズとして続けたいとおもっています。「今度はそう来たか」と面白がっていただけると確信しているアイデアはあります。しかし、いかんせん第一弾が多くの人に届かないことには続編がつくれません。なんというかゲンキダマとかゲンナマとか、そういうものが不足してしまうのです。
「なんか面白そう」と意気に感じた方は、こちらの目利きな書店さんでご購入をお願いします。ゲバラ没後50年の今月の動きが大事です!
最後に、やっぱり「冊子体の本」にもふれておきます。
小社の最新刊、『こどもキッチン、はじまります。』の造本を手がけていただいた数藤裕子さんが、この本のみならず、本という媒体のよさについて、facebookで語ってくださっています。
「私が本っていいなと思うのは、こちらのペースに合わせてくれるところ。いつまでも待ってくれるところ。
好きなところ、ひっかかるところ、何度読んでもいい。待っていてくれる。気が乗らないところは読み飛ばしてもいいし。」(https://www.facebook.com/korohino/posts/1334817883307366)
どこに何が書かれているかが身体的にわかって、何十年たっても開けばまた、同じ内容がある。それが冊子体になった紙の本のよさですね。私はどうも鍛錬が足りないのか、電子書籍で読んだ内容は、その本のどのへんにあったかを忘れがちです。
また、電子書籍の配信企業も、フォーマットも、リーディングシステムも、大半が個人の寿命より短い寿命しかもたないでしょう。
紙の本は手の内に収まりやすい、内容とパッケージが一体化した表現形式です。とじてあるということによって、手にした人の多様な接し方、読み方の可能性がひらかれています。
ほかの器で出来ることに目移りしていろいろ試しつつも、まだまだ、紙の本を「出版の主力」としてやっていこうとおもいます。
出てきた「出版物」