生きる力が湧いてくる
株式会社rn pressは2023年で設立3年目になる。社員は私一人だ。アルバイトもいない。今回初めて版元日誌を依頼されたので自己紹介をしたいと思う。とはいえ、明るく楽しく自社を紹介したいところだが、なぜ私がいまの仕事を始めたかを語るにはどうしても生い立ちが深く関係していて、せっかくの機会なので自分のことを少し話そうと思う。42歳の若輩者の戯言だと思って、ぜひご一読いただきたい。
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私は母と兄を自死で亡くしている。父も十代で他界し、祖父母はもういない。一度結婚をして息子がいるが親権は離婚した元夫がもっている。私はおそらく多くの人がもつ家族観をもっていない。おそらくこれからももつことはできない。小説やドラマに出てくるような家族像は、私にとってはドラマや小説のなかの話だ。ほんのわずかな記憶から血縁への強い憧れはあるのに、それが自分ではうまくつくれないことにいつも不甲斐なさを感じている。
私の育った家庭環境は劣悪だった。(※とはいえ、もっと大変な環境に育った人もたくさんいるから贅沢は言っていられない)。私は高卒の両親のもとに突然生まれた“田舎のできる子”で、母の過度な期待を受けて育った。結婚前はデパートの美容部員をしていて派手好きだった母は”自分らしさ”を封印して、いつも地味な格好で子育てに没頭していた。“良い母親”のコスプレをしていたのだろう。しかし母が亡くなって四半世紀以上たつが、思い出すのは眉間に皺を寄せた顔ばかりで、笑顔はほとんど覚えていない。当然夫婦仲は冷え切っていて、父は家庭に寄り付かず、別の場所に癒しを求めた。そして私が15歳の時に母は自ら死を選んだ。あとを追うように父は病に罹り、私が19歳のときに父は死んだ。母の死後、しばらくは日常生活のなかでふと思い出したりして涙を流したものだが、今となっては母の気持ちがよくわかる。毎日が窮屈だったのだろう。自分らしくいたかったのだろう。ここではないどこかへ行きたかったのだろう。
私と母は顔も性格も似ていないが、唯一受け継いだのは「本好き」ということ。家庭がめちゃくちゃなときでも、私の傍にはいつも本があった。そして母の遺体の傍にも、本があった。当時世間を騒がせた『完全自殺マニュアル』だ。この本の出会いが私の編集者としてのスタートだったのかもしれない。
私は社会人3年目で『完全自殺マニュアル』の版元である太田出版に中途入社した。もちろん自殺遺児だということは誰にも言わなかった。太田出版には5年在籍し、書籍、カルチャー誌、漫画誌をつくりながら、いつも『完全自殺マニュアル』を担当した編集者を、そしてその会社に務める人たちをじっと観察していた。そして編集者としていろいろなことを学んだ。かっこいいこと、ダサいこと。面白いこと、つまらないこと。いまの私の軸はここでつくられたように思う。
私は太田出版を辞める時に、当時の同僚であり尊敬する先輩の北尾修一氏(現・百万年書房代表)にだけ、こっそり私の生い立ちを話した。北尾氏は「野口さん、それはホラーだよ」と驚いていた。恋人にも、友人にも話したことがなく、生まれて初めて自分のことを打ち明けたせいか、曙橋の鰻屋で盛大に泣いた。北尾氏はもう忘れているかもしれないが、そのとき「最高におもしろいな」と笑ってくれた。親族の中で可哀想な子だとずっと腫れ物扱いをされてきたから、付き合う人々にはたくさん「嘘」をついてきた。中途半端な同情はくそくらえ。私のことなんてほっといてくれとずっと思ってきた。でも、目の前に私の話を面白いと思ってくれる人がいる。茶化すのでもなく、真剣に。それはきっといろいろな人生に触れてきたからこそできるのだろう。私は北尾氏の「おもしろい」という言葉に救われたのだ。
2011年、初めて担当した漫画家が自殺した。2018年、兄も自殺した。ふたりとも社会のなかでいつも居心地が悪そうだった。私の周りにはなぜいつも死がつきまとうのかはわからないが、私はいつも本がもつ力を考える。この世には数えきれない数の本があり、それは毎日増え続けている。ひとつ言っておかなければならないのは、私は『完全自殺マニュアル』を恨んではいないということだ。本が与える影響力は大きい。しかし、みな本のせいで死んだのではない。社会のなかで生きづらさを感じ、自らの意思で選択した結果なのだ。だからこそ編集者はあらゆることを想定しないといけない。本が間違った方向に背中を押してしまうことがあるからだ。しかし一方で、彼らが生きづらさを感じていたこの社会を変える強い力もあるはずだ。
私は本作りで何ができるだろうか。私ができることはささやかだけれど、本の力で“生きる力”が沸いたらよいと思う。顔の見えない読者が、ひとりでも、ふたりでも、生きたいと強く思えるような本づくりをしたい。ちなみに余談だが、rn pressから出ている本は見た目が“かわいい本”が多いせいか、どうも私は「乙女ちっくな」編集者だと思われているようだ(自意識過剰だろうか。いや、実際、定期的に手伝いたいという若者から連絡をいただくが、みんな綿菓子のような人ばかりだ)。どうか本を読んでほしい。rn pressの作家たちはみなとんでもない熱気と狂気で書いている。私がついてきた嘘を吐き出すためにつくりはじめた文芸誌「USO」は今年で5年目になる。これから出版していく本も、いい感じに“こってり”している。
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と、こんな日記を書いていたら、北尾氏がガンの手術をしたという投稿を見た。私は背筋がひんやりとしてメッセージを送ったところ、北尾氏から「飲みに行ける!」と返信がきたので「行きましょう!」と渋谷に向かった。いざ居酒屋で話を聞くと、2週間前に手術をしたばかりで痛み止めを飲んでいるのだという。ああ、やっちまったな、空気を読まずに誘ったりして……。と反省していると「いやあ、飲みたいんだよ! たくさん食べたいし!」と大笑いしている。しかも自分の闘病記をZINEにして、週末には手売りをするために大阪に出張に行くのだという。目の前の人が元気なのか病人なのか、さっぱりわからないまま解散し、渋谷の坂道をくだりながらふと考えた。死の恐怖と隣り合わせになったとき、私は同じことができるだろうか。散々身近な人の死を見てきたが、いざ自分となったら怯んでしまうかもしれない。北尾氏の強さはどこから来るのだろうか。まだまだ、北尾氏にはとても追いつけそうにない。
私には家族はいないが、仕事や生き方を学べる先輩に恵まれている。北尾氏だけではない。たくさんの人の背中を見てきた。なかにはとんでもないクズで自堕落な先輩もいたけれど、みな人間臭く、本作りとなると真剣で、博識で、かっこよかった。私の会社はまだ3年目。まだまだこれからだ。自信をもって前を向いていけるよう精進していきたい。