本探しがしたい、たどり着いた結論が「出版レーベル立ち上げ」
皆様はじめまして。
北陸の富山県、その中でも南西部の石川県・岐阜県と境を接する山深い地、南砺(なんと)市で出版レーベルを営む、parubooksの佐古田と申します。入会して一年足らずで原稿依頼が来るとは思っていませんでしたので、少々緊張しながら書いております。
徒歩10分のところにある北陸地方最大のため池「桜ヶ池」
parubooksは、レーベルの立ち上げが昨年春のまだ新しい版元です。「出版社」ではなくあえて「出版レーベル」と名乗っているのは、会社自体は「一般社団法人地域発新力研究支援センター」というとても長い、聞く人が聞けば胡散臭い?社名で、公共施設管理やカフェ・ショップ運営を主業としています。余談ですが、版元ドットコムさんに登録した後、なかなかJPROの登録手続が終わらないため問い合わせたところ、「レーベル名と社名があまりにも違うので手続が漏れてしまっていました」と謝られたほどです。ちなみに会社名は辞任した前任の代表が、レーベル名もこれまたもう会社にいないスタッフが決めましたので、レーベルを立ち上げるときに悩みました。オリジナリティを発揮してまったく別のレーベル名にしようか、とも思いましたが、長い社名と思い入れのないレーベル名でISBNがすでに取得されていたため、結局そのままこの名前に落ち着きました(ロゴマークを新調する際に綴りが大文字ではしっくり来ず、小文字で「parubooks」としましたが)。
このレーベル名で2018年から電子書籍、2019年からPODと絵本の自主出版に取り組み、さあ2020年から紙書籍の出版・流通だ、と取り組んでいた最中にコロナ禍に突入し、会社の資金繰り確保のため出版計画はあえなく一年間凍結となりました。その年は緊急事態宣言でカフェやショップが営業できなかったり、施設を使ったイベントが消滅したりと、それまでの事業サイクルが崩壊した中で慌ただしく過ぎていきました。幸いこの期間で、出版事業に対する自分のスタンスをじっくり考えることができました。また2020年はコロナ禍で多くの人たちが出歩けなくなる中で、書籍や書店の価値が再発見された年でもありました。その中で出版という分野に本格的に船出するためには、どんな覚悟が必要なのかを問い直すことにしました。
parubooksは、琵琶湖とほぼ同じ面積に 5万人足らずの人々が暮らす、山里に本拠地を置いています。そんな田舎で苦労することの一つが、「自分が潜在的に欲しいと思っている本を、欲しいときに手に入れる」ことです。地方には書店が少なく、あっても棚に並ぶのはベストセラー本など、評価がすでに定まっている本が中心です。実は私はこの地域の出身ではなく、京都市郊外のベッドタウンで30年以上暮らしていた人間です。京都は自転車や電車に少し揺られれば、多種多様な書店の、いろいろなジャンルの本が無数にある空間に行くことができました。仕事の関係で10年前に富山に移り住んでからは、クリック一つで本が買えるネット書店や、デバイスがあればいつでも本が読める電子書籍にシフトし、恩恵にあずかっていましたが、2〜3年経つと何か物足りなく感じ始めました。ネット書店や電子書店では欲しい本をピンポイントで手に入れることはできても、本との偶然の出会いがなかったのです。書店の棚を眺めながらの本探しの時間が、自分の人生には欠かせないものだったということを、都会から離れて初めて知りました。
同時に、地方で多種多様な本が手に入れづらいことへの疑問も感じ、会社の代表になってからすぐに、運営するカフェに小さな書棚を入れ、小規模でも保証金なしで仕入れられる取次(Foyerという楽天ブックスネットワークのサービス)に申し込み、自分が読みたいと思う本を中心に仕入れてみました。しかし全く売れません。そして注文するぞ、と意気込んでリストアップした書籍も取次に在庫切れが多く、「出版社やAmazonでは在庫ありになっているのに何で仕入れられないのか?」と疑問に思いました(出版社と取次の関係や商慣習を知った今では解消しましたが…)。その頃ちょうど絵本を自主出版したので、関連書籍として絵本を多めに仕入れたところ、翌日から急に棚が動き始めました。それにつられて、全く動いていなかった他の書籍も売れ始め、コロナ禍を経て今ではショップの主力商品になっています。
出版業界でよく言われる「棚が動く」という現象を、売り手の側から実際に体験でき、出版というメディア産業や、出版社~取次~書店という独特の流通構造にも関心を持つようになっていきました。なぜカフェやショップに立ち寄ったお客さんに絵本が売れたのか?一つはテナント入居している施設が高速道路のサービスエリアに隣接していて、土日祝日は家族連れがたくさん訪れるため、その一行の中の子供たちのニーズに合っていた。もう一つは高齢者が多い地域なので、茶飲みがてら立ち寄った地元の方が、孫のために買い求めてくれた。共通点はなんだろう?と考えると、どちらも「行動範囲の中にあまり本との接点がない人たち」であると気付きました。
まず高速道路の本線上には、フードコートや売店はたくさんあっても、書店はありません。私にも小さな娘がいるのでわかりますが、クルマの中は子供にとってとても退屈で、親はあの手この手でご機嫌を取らねばなりません。家にあるおもちゃや絵本も持っていきますが、それにも子供は持て余す時間の中で新しい刺激を欲するのです。そんなときに子供が欲しがる絵本があれば、旅先の高揚感もあり、近所の書店では緩まない財布の紐も緩んでいるのではないかと思います。実際レジに立っていると(零細企業なのでオーナーがレジ打ちをすることもしばしば)、手に取りやすい判型の小さな絵本や、手頃な価格の絵本がよく売れています。一方地元の高齢者の方(ほぼ女性)は、じっくり選んで判型の大きな、少々値段の張る絵本を買っていかれます。私たちの地域では、少し規模の大きな書店へいくのにクルマで30分以上かかるので、よほど本好きの方か、「本を買うぞ!」と意気込んで出かけた時でないと、本と出会う機会がありません。その隙間に、飲食店という特性を活かしてうまくウチの店の絵本がはまったのかな、と思います。
※parubooksの紙書籍処女作「絵本 はじまりの木」(ISBNなし)
原案:ほりかわけんじ 作・絵:ごみたこずえ
ここまでツラツラと書いてきましたが、何が言いたかったというと、どんなに僻地で書店がないところでも、売り場と仕入れる人がいれば本を売ることが可能、そこには潜在的なものを含め、本へのニーズが確かにあるということです。確かに版元としては、都会の大きな書店で何十冊も売れて追加注文が入ってくる方が効率がいいのは間違いありません。けれどそれで本当に出版業を営む意味があるのか、とも思います。本は再版制度に守られ、全国どこでも同じ価格で買い求められる数少ない商品の一つで、日本中どこにいても手に入れられます。それを支えてきたのが全国に張り巡らされた取次の流通網と、かつてはどこにでもあった街の書店を含む売り手の人たちです。ここではあまり多くは述べませんが、そのどちらもが機能不全に陥りつつあり、末端の地方ではすでに多くの本を手に取るチャンスすらない、というのが偽らざる感想です。本を届ける役割を担う新たなプレイヤーが出てこないと、私の住む街ではあと10年もすれば手に取って本を買う機会はなくなると思います。この地域に拠点を置く書籍を扱う企業として、その状況を座したまま眺めていいのか、その思いに突き動かされて、出版レーベルを自ら立ち上げる、というところまでやってこられたのかな、と振り返ると感じます。
私は前職が印刷会社の営業、その前は郵便局で勤めていた、メディア産業一筋の人間です(郵便局も自分の中ではメディア産業という位置付けです)。どちらも地域密着の泥臭い仕事で、自分のやった仕事が全国の他の人たちに知られることもまずありませんでした。けれど出版レーベルの発行人になると、奥付に自分の名前が記され、書誌情報が公開され、全国各地の書店へと出荷されていきます。同じメディアの仕事でもこんなに違うのかと思いつつ、出版レーベルとしての責任の重さも感じています。同時にこの山深い地から全国へ本を送り出すことで、東京中心のメディア産業のあり方に一石を投じられるのではないかとも思い、日々企画や校正作業を続けています。
SNSなど個人発信の新たなメディアの隆盛が確固たるものとなる中、SNSでは難しい、本ならではの役割とは何か。私は中身次第では、どこにいても、どんな状況でも、パソコンとネット回線と書き手さえいれば作れる(紙と鉛筆だけでも)。そして取次や書店、売り手のみなさんに後押ししてもらうことで、その中身を求める人たちや、本との偶然の出会いを求める人たちのところへと送り届けられる、きわめて不確実な、けれども醍醐味のある、そんなメディアだと思います。それはSNSでは実現が困難だろうと思います。
本にはまだ可能性がある、そう信じながらまた新しいタイトルを世に送り出しています。
最後に、当レーベル初のコミックス『劇場版「SHIROBAKO」』コミカライズ版
の出版を記念し、クラウドファンディングを7/25まで実施中です。クラウドファンディングはもう3度目の挑戦ですが、出版の初期リスク回避とプロモーションの手段として、parubooksのような零細出版レーベルには有効なやり方だと思います。書籍以外にたくさん返礼品を作らないといけないので毎回悪戦苦闘していますが、グッズ製作やイベント開催のノウハウも溜まってくるので、組織としての成長にもつながっています。よろしければ覗いてみてください。