利休生誕から500年
今年は利休の生誕500年にあたる。利休居士の法要は行なわれているが、クリスマスや天皇誕生日のような行事は行われてこなかったようだ。宗教が生まれる前の旧石器時代から日本人は死者を弔ってきた。
ひょっとしたら生よりも死をより重要視してきたのかもしれないが、近代の日本人はおしなべて、祝事の節目を祝うことにより意味を感じているようだ。4月には国立能楽堂で狂言「雁礫」「茶壷」さらに新作狂言「宗旦狐」が演じられる。
茶室で共に茶を呑んだ人と再会することが保証されなかった戦国時代、「一期一会」は今以上に重みがあったのであろう。想定外のコロナまん延に遭遇し、何百年もの間、濃茶を回し呑みしてきた濃密な習慣を一瞬で諦めたのは止むを得ないとしても、戦争に巻き込まれ別離を余儀なくされる状況を考えると、我々も戦国とそれほど変わらない時代を生きているのかもしれない。
岡倉天心は『The Book of Tea(茶の本)』で「When will the West understand, or try to understand, the East?」と西洋文明が日本に押し寄せた時代に問いかけている。東洋と西洋、右と左、表と裏、光と影というように、すべてに相対するものが存在するが、この両端はどこかで交わるのであろうか。いや、交わる必要はそもそもないのであろうか。どうすれば互いに分かり合えるのだろうか。また、天心は茶室を「すきや」という。すきやは好き家(数寄屋)であり、空き家であり、非対称的な住居であるという。空とはなにか。私はこれらの答が見つからないし、それを求めることに意味があるかどうかも分からないが、向き合わないといけないと思っている。
馴染みのある歌が繰り返し流れている。On the Sunny Side of the Street。この歌が愛されたのは世界が大恐慌に苦しみ、第二次世界大戦に突き進んだ時代だという。
Grab your coat and get your hat
Leave your worry on the doorstep
Just direct your feet
To the sunny side of the street