生活のまちにひらいた不思議な本屋のはなし
東急東横線の各駅停車しか停まらない妙蓮寺駅徒歩2分のところに、新刊書店である「本屋・生活綴方」を開業した。オーナーは70年続く街の本屋「石堂書店」。その二階につくったコワーキングスペース「まちのしごとば 本屋の二階」とともに、石堂書店の経営再建が目的だった。ぼくは石堂書店の社員ではないので、責任者として石堂智之さんに店長になってもらった。ぼくは監修という立場で、仕入れ、イベントや展示の企画など全般の実務を担当した。開店は2020年2月15日。それから1年半の歴史は丸々、コロナ禍だった。その間の奇跡的に見える出来事をどこかに書いておかないと思って、本屋・生活綴方が発行する雑誌「点綴」に二回にわたって書き記した。本稿はその文章の一部の抜粋である。抜粋のわりに長いのは、綴るべき出来事があまりに多かったからである。
品揃えのはなし
本屋の売りものは本である。本屋はコミュニティの場であるよりも、本を並べることなしにはじまらない。品揃えは、詩歌を中心に据えることにした。書店のなかでも、とりわけ売上シェアの小さいジャンルである。ただ、近年SNSの普及とともに、短文の文芸作品である詩歌はそれと相性が良く、徐々に人気が広がっていると聞いていた。また詩歌に詳しいわけではないが、現代詩にはどうしては実験的・前衛的だったりまたは衒学的なイメージがつきまとう。しかし、近年では若い世代が詩壇と距離を置いて、オンラインで創作や発表する試みもある。また、ZINEとして面白い詩集をつくるひともいて、詩歌の市場は今後活況を呈するだろうと見込んだ。――というのは完全にあとづけで、妙蓮寺のような生活のまちに、詩集を売るお店があったらどんなに素敵だろうと夢想したにすぎない。
石堂書店が向かい側にあるので基本の品揃えはクリアしている(としよう)。〈まちの本屋〉には置きにくいけれど〈個性派書店〉には置ける本というのがある(わが三輪舎の本もその範疇に入る)が、そういう本ばかり集めてしまって個性的でなくなるのはよくある話だ。売り場面積は限られている。こういうお店では「何を売るか」より「何を売らないか」が仕入れの関心事となる。お店を実際に開いてみると、詩歌の売上は他のジャンルの棚効率と比べても遜色のない結果だった。売上がついてこなかったとしても売り場を縮小するという考えはない。効率の悪いところを圧縮して効率の良いところを拡大する、というのは小売業のセオリーで一理も二理も、たしかにある。でもやっぱり、問題は「何を売りたいか」なのだ。さっきと矛盾したことを言っているのは承知している。効率を考えたければ、坪効率のよいドラッグストアにしたまえ。粗利率の高いラーメンを売りたまえ。
仕入れのはなし
仕入れは原則、出版社との直接取引とした。石堂書店の姉妹店なので、本店で取次から仕入れた本を生活綴方に移動することができる。“独立系書店”なのに通常の書店と同じ仕組みで取引できるのは強みだが、返品ができるとはいえ納品の翌月に支払いが発生する。仕入れに支払いが発生するのは当然だが、困ったことに先立つものがない。
そこで思いついたのは仕入れをできるだけ〈実売精算方式〉にすることだった。一般的に言う〈委託〉であるが、出版業界では意味合いが異なる。大半の本は返品はできるが、所有権が出版社から書店へと発生するため、納品後早くて翌月には支払いが発生する。実売精算方式の場合、一定期間で販売した実績を出版社に報告し、その下代のみを支払う。納品済みだがまだ売れていない分については支払いの必要がない。つまり、キャッシュフローが良くなる。出版社からすれば、自社の既刊本を倉庫に在庫を寝かせているより、気軽に仕入れてもらって書店の棚に置かれる方がいいにきまっている。ただし、販売数を正しく報告するには定期的な棚卸が必要で、それなりに作業負担がある。また、出版社にとってはイレギュラーかつ面倒なやり方なので、どこまで応じてくれるかはわからなかった。せめて半数の出版社だけでも応じてもらえれば、少ない投資で品揃えができる。交渉の結果(そういえば小書店が出版社に対し条件交渉をするケースはあまり聞かない。出版社の条件に応じてばかりだ畜生)、一定数の出版社がこの方式に応じてくれた。その他の版元については、売上の推移を見ながら、キャッシュフローを悪化させない程度に、その他の条件で少しずつ仕入れた。
ちなみに、返品できるとはいえ、その前提で注文することはない。多めに仕入れて、最初の勢いが止まって売れなくなったら返品する、という考えは極めて前世紀的だ。そもそも、すべての商品は、「売れる」「売れない」で分けられない。「今日売れる」「今週売れる」「今月中に売れる」「今年中に売れる」「来年までには売れる」「再来年までには売れる」。どれだけのスパンで売れるかどうかだ。もちろん何年かかっても売れないものは存在する。しかし、少なくとも「売れる」「売れない」の二項では語れない。売り場面積に余裕はないし、リフレッシュのために返品することもあるが、売れないから返品するのではない。
運営のはなし
開業後もっとも困ったのはスタッフの確保だ。開業する時点で、監修を担当する自分と、オーナーであり店長の石堂さん、プロジェクトの初期からかかわっているグラフィック・デザイナーである伊従(いより)史子さんの三人しかいなかった。それぞれ本業があるから、三人でお店を回せるわけがない。協力者が必要だった。誰でもいいわけではない。理念を共有できる仲間を探すことにした。思い出して、これまでに何かしらのかたちで手伝ってくれていたひとに改めて協力を仰いだ。その後加わってくれたメンバーにも言えることだが、彼らとは雇用関係にはないし、金銭的な報酬もほとんどない。でも、無償というわけでもない。それぞれが本屋・生活綴方を、表現の場として興味をもってくれて、積極的に参加してくれる。詩人の佐藤yuupopicさんであればポエトリーリーディングをこの場所でやりたいとか、本屋志望の齋藤渉さんはここで経験を積みたいとか、そういう活用を考えている。情けや同情のような善意の活動だけでは長続きしない。かといって、100%ビジネスの論理でやろうと思ったら、成り立たない。
石堂書店はある意味、善意の経営をしている。もちろん、本屋のほかにやれることがない、また、本屋をやらないほかはない、という極めてネガティブな動機もある。それでも、目の前にいるお客さんのためにも、この街から本屋をなくしてはならない、という思いが石堂親子のモチベーションになっていることもたしかだ。「近所の子どもたちがレジで差し出すお金は、手のひらで握りしめられて、とてもあたたかいんです」石堂智之店長の持ちネタのひとつだ。土地と建物を活用して不動産経営をしたほうが明らかに安定する。でも、それで得られるつめたいお金より、子どもたちが握りしめるあたたかいお金を選ぶ。これこそ彼の人柄をあらわしている。それゆえに、ここまで借金が増えたともいえるのだが。ともかく、本屋・生活綴方も、その前身の「まちの本屋リノベーションプロジェクト」も、そのおおもとで動いている原理は、間違いなく石堂さんによる贈与である。その原理のうえに、私たちの活動がある。ビジネスの考え方は持ち込むけれど、それはあくまで手法にすぎない。
ギャラリーのはなし
本屋・生活綴方は本を売る、買うだけのお店ではない。その名のとおり、生活を綴ること、その延長として本をつくる(綴じる)ことができる本屋である。生活を綴り、本に綴じることができる。ひとによっては、本だけでなく、写真や絵などのかたちで発表することもできるように、ふたつある壁面の片側には本棚を置かず、ギャラリーウォールにした。経営を考えるならばレンタルギャラリーにしてレンタル料をとったほうが安定的な収入源になる。しかし、展示されているもの如何によってお店の価値は決まるわけで、お店のコンセプトに合わない展示やクオリティがいまちの展示になってしまったときに、受け取った金額を理由に何も言えなくなるのが心底怖かった。それならば、レンタル料はとらないことにして、展示してほしいひとにこちらからオファーして、一緒に展示をつくっていくほうがよいと思った。
開店のこけら落としは佐々木未来(みく)さんの「日めくりと私」。親友であり三輪舎の装丁のほぼすべてを引き受けてくれている矢萩多聞さんの出版レーベル「Ambooks(アムブックス)」から本を前年の一〇月に同名の作品集が出版されていた。佐々木さんは市販の日めくりカレンダーの数字のうえに、毎日筆を走らせて絵を書いていた。ひとつひとつは遊びのように見えるが、並べてみてみると、不思議と一連の物語のように見える。「生活綴方」というコンセプトにぴったりの展示ができると確信した。オファーのためにTwitterでメッセージをおくると、三分後には快諾の返事が届いた。たった三分である。
展示では、書き始めてから四年数ヶ月分、日数=枚数にすると約一五〇〇枚という膨大な数の日めくりカレンダーを布に貼りつけてギャラリーに設置した。土日には息をつく暇もないほどの来場者があり、多くの人が佐々木さんの作品集を買って帰った。
その後も、コロナ禍を除きほとんど間を空けずに展示をおこなった。安野光雅さんのパネル展(朝日出版社)や『90歳セツの新聞ちぎり絵』展(里山社)、nakaban展(サウダージ・ブックス)のように出版社が企画した巡回展として開催したものもある。しかし、本屋・生活綴方らしい展示はやはり、アーティストや作家と一緒に企画段階からつくりあげていく展示である。本屋・生活綴方の店番とともに一緒につくりあげ、開催するのはとてもやりがいがある。そういうものほど記憶に残っている。
コロナ禍のはなし
本屋・生活綴方の開業とともに開催された佐々木未来さんの展示「日めくりと私」展が三月上旬に終幕するとともに、ギャラリーはただの真っ白に塗装されたブロック塀と化した。次の展示は決まっていなかった。展示の企画が続かなかったのは、次の予定まで考える余裕がなかったといえばそれまでだけど、佐々木さんの展示が終わる頃にはすでに新型コロナウイルスの流行の兆しが見え始めていたことが主因である。展示がないと、客足は一気に遠のいた。
四月に緊急事態宣言が発令された。徒歩圏内にあるエンタテイメントを求めて石堂書店は例年の倍以上の客数で賑わった。一方で本屋・生活綴方は閑散としていた。「日めくりと私」展を開催中に来ていたお客さんのほとんどは地元の外に住む、わざわざ来店したひとだった。地元民からはまだ認知されていなかったのだ。
その当時はまだコロナウイルスの感染防止についての知見がいまほど明らかになっていなかった。宣言下において、売上が倍増している石堂書店はともかく、展示もできず客数が低迷している本屋・生活綴方を、リスクをとってまで営業をしなくてもいいじゃないかという話になった。実際、宣言が発令されて二、三日は様子見で休んだことがある。その後も、感染防止のための消毒用アルコールがまだ手に入りづらく、手袋を入り口に配置して、入店するお客様に着用をお願いした。ほどなく石堂さんがどこからか調達してきてくれたが、いまから思えば本当に異常事態だったと思う。
ある日、私はTwitterにこんなことをつぶやいた
書店がオンラインショップ経由で書籍を販売し、購入代金一万円以上で送料無料にしたとしても、利益はマイナスです。発送にかかる人件費や振込手数料を含めていません。利益をちゃんとだそうと思ったら諸経費を負担してくれる読者の「善意」に頼るしかない。それじゃおかしい。
コロナ禍で外出が難しいひとや、大手ネット書店ではなくリアル書店を応援したいひとが、二〇二〇年四月以降、リアル書店が運営するオンラインショップを利用し始めた。それまで積極的でなかった書店はこぞって自社のECサイトを充実させたため、オンライン市場が突如活発になった。その状況は読者にとってたいへん喜ばしいことだったけれど、書店にとってよいことだったかというと、必ずしもそうではなかった。少なくとも個人的には複雑な思いがした。問題は送料だ。大資本であれば送料を自社で負担しても、スケールメリットを活かして極限まで圧縮し、利益を確保できる(書籍単体では赤字だという話を聞いたことがあるが、ほかで利益を確保できる)。いち書店がECサイトを立ち上げて通販事業をする場合、送料は全部または一部を購入者に負担してもらわなければならない。読者が基本、アマゾンで送料なしで購入できるわけだから、書店のECサイトであえて購入するというのは善意ゆえだ。善意に頼らないと成り立たない商売って一体何なんだ? この厳しい状況で出版社ができることといえば、一時的にでも掛け率を下げることではないか? それは善意の強要じゃないかと突っ込むひともいるかもしれない。残念ながら、それは違う。このままの状況が続けば、書店は潰れる、間違いなく。書店が潰れれば、出版社も潰れる。現にそう思って投げかけたのが、上のツイートだった。自分はあまりフォロワーも多くないので、どうせ相手にされないだろうと思った。だからこそ、なりふり構わぬ発言ができるのだけれど。
そんななか、以下のようなメールが届いた。
本屋・生活綴方 中岡さま
こんにちは。行き先見えず、たいへんな状況を強いられています。しかし、本を捨てればますます闇がひろがるばかりです。本が希望です。
日ごろ弊社の刊行書籍は御社の売上にあまり貢献できていないかもしれませんが、失礼ながらお取引についてご相談させてください。
1、卸価格は10%下げる。
2、お支払いは、この苦境を脱して平常な社会生活がもどるまで据え置く。
以上の2点をご提案させてください。弊社も踏ん張っていきます。本の灯を消さないようがんばってゆきましょう! とりいそぎご相談まで。
□□出版 ■■■■より
※取引条件についての記述があるため、内容は少し変更し、社名・氏名は伏せています
このメールを受け取って、ぼくは暗い店内のレジカウンターでひとり、突っ伏して泣いた。ぼくのツイートをきっと見て連絡をくれたに違いない。取引条件の変更もさることながら、そえられたメッセージに心から感服した。
コロナ禍で、さまざまな分断が生まれている。メッセージアプリでのやりとりが多くなって、強い言葉でひとを苛立たせることがある。出版業界でも、書店と出版社とのあいだでオンライン商談会が会を重ねている。すばらしい試みで、版元としても、書店としても活用したことがあるが、薄々気づいてはいたがズームでのやりとりは直接会って話すことの代替にはならない。
コミュニケーション手段の問題ではない。大事なことは、「大事なこと」を共有できるかだ。トートロジーみたいな書き方だが、そう書くしかない。
スタッフのはなし
開業時は金土日の週三日間の営業だったこともあって、数人のメンバーが入れ代わり立ち代わりシフトに入って、間に合わせることができた。シフトに穴が空いても、三輪舎のしごとをしながら自分が店番をすればなんとか間に合った。それでも難しければ店を閉めればよい。それぐらいのスタンスでお店を開いた。
緊急事態宣言が解除され、初夏を迎えるころになると、客足が戻りつつ合った。それでもまだ遠方からの来客は少なかった一方で、徒歩圏内とはいえないが少し離れた場所から来店される方が多くなった。聞いてみると、たいていの場合、散歩で隣町から妙蓮寺にやってきて、偶然入店したという話だった。時間の経過とともに本屋・生活綴方の知名度は上がっていっているようだった。
同時に、人員不足が顕著になってきた。ぼくは本業である出版ではあいかわらず出版点数に難があって、そろそろ本腰入れなければいけなかった。伊従さんも横浜ローカルに焦点をあてはじめていて日々忙しくしていた。メンバーのなかには、事情があって離れなければならないひともいた。この状況を乗り切るために、手伝ってくれるひとを探すことになった。
「この前ワークショップで同じグループだったトミオカちゃんに声かけたよ。あとこの前お店に来てくれたハシモトちゃんにも、店番やらないかって誘ったから。今度来るからね」
伊従さんは会議後、早速行動を起こしていた。もちろん誰彼かわまずではなく、伊従・スカウターがしっかり機能していた。“トミオカちゃん”と“ハシモトちゃん”は、のちに雑誌「点綴」の編集を担当する。“トミオカちゃん”はラジオの放送作家志望ということもあって、2021年3月からはじまった「本こたラジオ」のディレクターも務める。ちなみに、彼らに向かって“◯◯ちゃん”と呼んでいるひとを見たことがない。
ぼくは積極的に声をかけていたわけではないが、コロナ禍で魂がすれてしまっていたこともあって、隙あらばお客さんに話しかけた。こんなときに来てくれてありがとう、どこからいらしたんですか、この本おすすめですよ、なんとお目が高い、その本はぼくがつくった本です、この本はね――お客さんの側も同じ思いだったのか、話は尽きなかった。その流れで、ここは有志で運営している本屋なのです、という話をすると、私でよければ、という話になったりもした。『本屋さんしか行きたいとこがない』(夏葉社=岬書店)をレジに持ってきたうら若き女性がいたので、すかさず声をかけた。大学では国際協力学を勉強しているけど、人類学の本をよく読みますと言っていた。名刺を渡して、もしよかったらまだ遊びにいらしてください、と言った。店番も募集しています、と添えた。すると何日かあとに再びお店にやってきて、塩澤(僚子)と言います、ぜひ店番をさせてくださいと言いにきてくれた。本当に!? うれしいです、では……と言いかけたところ、「そうやってひとが増えていくんですね。ぼくもやってみたいなあ」と、塩澤さんの背後から声がした。ジャグラーの青木(直哉)さんだった。彼は請負で翻訳などをしながら生計を立てつつ、ジャグリング雑誌を自分で発行していた。ひとを喜ばせる技術に長ける彼は、店番のなかでも中心的な人物になって、ジャグラー仲間をたくさんお店に連れてきては店番に誘った。そんな個性的なメンバーは青木さんが連れてきた人々だ。
青木さんの最大の功績は、ベテラン書店員である鈴木雅代さんを店番に引き入れたことだった。彼女は店番になって初日、頼んでもいないのにくどうれいん『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOK NERD)をPOPを書いた。逗子駅前にあったまちの本屋を皮切りに大型書店を渡り歩いていた。直近ではHMV&BOOKS SHIBUYAで働いていて、三輪舎が2018年に出版した『本を贈る』のトークイベントをきっかけに知り合っていた。以前三輪舎を訪ねてきてくれて妙蓮寺に住んでいることは知っていた。人柄はいうまでもなく、商品知識、売場づくり、人当たりの良さ、センス。こういうひとがぼくの代わりに本屋・生活綴方を率いてくれたらいいのにと、切に思った。本業である出版社のしごとに本腰を入れたかったし、そもそもぼくがこの本屋をつくったのは、地元に良い本屋があってほしいだけだ。自分がやりたいわけではない。誰かが代わりにこの本屋を背負ってくれたらいい。そう思ってなんとなく聞いてみた。「鈴木さん、ぼくの代わりにこのお店やりませんか」。返事は覚えていない。ご冗談を、ぐらいの感じだったか。ところが、後日「相談があります」とメッセージをもらったので、ランチを一緒に食べることにした。食事を楽しみながら、鈴木さんは言った。
「この前の話ですが、私が関わるとしたらどんな選択肢があるのかなと思って」
店番だけでなく、ぼくの綴方のしごとの一部または全部を引き継ぐことは、この時点で決まった。あとは、どの程度引き継ぐか。
石堂さんとともにプロジェクトを組む、「住まいの松栄」の酒井さんとは常日頃、石堂書店には番頭が必要だ、と話していた。石堂さんの人柄は申し分ないんだけど、外の書店で働いた経験がなく、業界の事情には少々疎い。面白いことをしようと思ったら、頭数も足りていないし、本屋として成長するには知識が圧倒的に不足していた。
要は、本屋・生活綴方を担ってくれるひとを探していたと同時に、石堂書店全体の番頭を探していたのだ。鈴木さんはきっと、その両方を満たすことができる(はっきり言って彼女のことをぼくは何も知らなかった)。成り立つためにはどうすればよいのか。石堂書店の損益計算書でシミュレーションをつくった。彼女が入ることの売上上昇分で、その給与を賄うにはどうすればよいか。それを見込めるかどうかだった。
鈴木さんが入社することが決まってから、いろいろなことが動いた。自分がやろうと思ってできていなかったことがいろいろと始まり、進んでいった。運気がそれまで以上にあがった気がする。
2020年11月の文学フリマ東京への出店。それに向けて、本屋・生活綴方の店番がリソグラフを使ってつくる雑誌「点綴」の創刊。店番のマネジメントをしていた伊従さんはその仕事から開放されて始めたのが「本屋の畑」だった。隔週で放送するインターネットラジオ「本こたラジオ」も始まった。「妙蓮寺・本の市」は妙蓮寺にある古民家で開催されて大盛況だった。『本の雑誌』の巻頭特集にも彼女が本屋・生活綴方について書いた文章がほぼ巻頭に掲載された。それを読んで来店するお客さんが増えたのはうれしかった。
嬉しいのは、この店とこの街を気に入って、引っ越してくるひとがいることだ。作家の安達茉莉子さんはそのひとりで、昨年12月に実施した展示をきっかけに、今年2月にこのまちにやってきた。いまや生活綴方の重要なメンバーである。安達さんが執筆、ぼくが編集する『私の生活改善運動 ―THIS IS MY LIFE』というZINEを毎月発行している。ほかにも、編集者や書店員が引っ越してきている。
いずれにしても、いろいろなことが進んでいる。
生活綴方出版部でつくるZINE。すべてリソグラフで印刷し、スタッフが手で製本している。
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本こたラジオ
本屋の畑
夢のような出来事ばかりであるが、いい夢ばかりではない。悪夢もたくさん見た。いやなことがあって何度も泣いた。本が作りたいのに作れないのをこのプロジェクトのせいにして(実際そのとおりなのだが)、事務所ごと夜逃げすることを何度も画策した。いまも週に一度は画策しているが、その勇気はない。
おしゃれでもないし、吹けば飛ぶような本屋だが、一生に一度ぐらいは来てくれても時間の無駄にはならないと思う。ご来店お待ちしております。
中岡祐介
三輪舎代表。茨城県ひたちなか市生まれ、横浜在住。〈おそくて、よい本〉をモットーに本をつくる。編集した書籍に『本を贈る』、『つなみ』、『ロンドン・ジャングルブック』、『バウルを探して〈完全版〉』(川内有緒・中川彰)、『鬼は逃げる』(ウチダゴウ)。新刊はオリジナルの絵本『海峡のまちのハリル』(末沢寧史・文/小林豊・絵)。