博士論文を出版するための情報共有って必要でしょうか?
青弓社の矢野未知生です。当社は学術書を刊行しています。入門書もありますが、入門書の次の段階以降の書籍が多く、博士論文の書籍化も手がけています。
博士論文をもとにした書籍(以下、博論本と略記)について、以前、「博士論文を本にする」というエッセーを書きました。それとは別に、気になっていることを書きます。
なお、以下では人文書系の博論本にまつわることですので、理系の実情はわかりません。
まず、博論本はなかなか売り上げが伸びません。前提となる刷り部数が少ない、ということももちろんありますが、仮に800部を刷って半分を販売するためにも長い時間かかる場合もままあります(もちろん、増刷する書籍もたくさんあります)。そのため、博論本は日本学術振興会の研究成果公開促進費や各大学の助成を活用して、つまり、一定額の支援をもとに書籍に仕上げることも多くあります。
例えば、日本学術振興会の研究成果公開促進費は毎年11月が申請時期です。それまでに完成稿と諸々の書類をそろえる必要があり、その書類のなかには出版社が作成する見積書などもあります。見積書を作るためには、完成稿に近いバージョンの原稿で文字数や図版点数などを確認する必要があり、また見積書や申請書類は9月・10月に研究者が所属大学に事前に提出することが多いため、夏休み期間が博士論文をリライトする大切な時期になります。極端に言えば、8月を制する者が博論本を制する、というわけです。
「いや、8月だけではなくリライトの時間を日々確保すればいいのでは? 研究者なんだし研究成果をアウトプットしないと」と思う方もいらっしゃると思いますが、昨今の大学事情は、常勤・非常勤を問わず大学研究者が自身の研究に時間などのリソースを割くことを許さないくらい「いろいろとたいへん」なところもあり(詳細は省きます)、授業などの教育活動や学務、学会活動などをしているといつの間にか研究や執筆の時間がない、ということも多いようです。そのため、夏休み・冬休み・春休みがとても大切になるわけです。
例えば春先に博士号を取得して11月の学振の申請に向けて博論本を準備したい場合、上記を踏まえると、博士論文を大学に提出したら並行して出版社と事前に打ち合わせをしてお互いに刊行の合意を取り付けておき、博士論文の審査を通過しそうな段階でリライトの方向性を決めておく必要があると思います。
要するに、研究者も出版社も早めに準備しましょう!、ということだと思います。
ですが、毎年、9月頃に「見積書を作ってください!」と依頼を受けることがままあります。例えば、日本学術振興会の研究成果公開促進費の申請手順には複数出版社の相見積もりがあるので、その依頼の場合もあります。
一方で、そういった制度とそのためのプロセスの詳細を知らず(実際に申請書類などはわかりづらいのです)、「博論本を作りたい→助成の締め切りが近い→出版社に依頼しないと!」という場合もけっこうあり、私たちも戸惑います。研究者=著者の要望には応えたいのですが、いかんせん原稿の内容を把握していませんし、そもそも本作りの方向性もすりあわせていないので、定価や部数も検討できないためです。
そういった局面でいつも思うのは、「(人文系)研究者の間で、博論本のための情報共有ってなされていないんだろうか?」ということです。
これまで見聞きしたことやいくつかの研究会に出席したときに質問してみた範囲では、博論本を作りたい研究者(キャリアのうえは「若手」が主です)は、意外とプロセスを知らないということでした。例えば、出版社にどう依頼して相談するのか、その後の打ち合わせでどのようなことを話し合うのか、博論本を作るにはどういった準備が必要か——。
出版社の側からすれば、研究者の論文を読んで博論本を作りませんかと依頼することもありますし、研究者から「いい論文があるんだけど」とご紹介いただく場合もあります(もちろん、依頼して断られることもあります)。
反対に研究者の側からすれば、博論本の作り方が学会で、研究室で、研究仲間で共有されていてもいいように思うのですが、博論本に関する知識・情報の有無が「各個人の情報収集の能力」「研究環境」「人脈」に拠っている印象があります。
少なくとも私は、知っておいてもらえると博論本を作るのに話がスムーズに進むという事柄はいくつかあると思っていて、それを研究者と学術出版社(編集者)で共有しておいてもいいような気がしています。
また、このテーマに需要がありそうなら、双方が抱える事情などを気軽に話せる「懇話会」みたい機会があって、お互いが情報を共有するような場所があるといいのかなと、思うこともあります。毎日バタバタしていますが、なにかできないものかと日々考えています。
【参考】
上記のように書きましたが、博論本、あるいは学術書を作るうえで有用な知識を提供している書籍はありますし、サイトもあります。
○鈴木哲也/高瀬桃子『学術書を書く』京都大学学術出版会、2015年
書籍としてはこちらがおすすめです。
○ひつじ書房「「学術書の刊行の仕方」について」
○ひつじ書房「研究成果公開促進費・出版助成金を利用した著書の刊行の仕方」
博論本を作りたい方は必読です。ひつじ書房は「「研究書出版」相談オープンオフィス」もおこなっています。
○ひつじ書房「執筆要項」
校正記号や提出原稿についてなど、本作りの具体的なことがわかります。博論本とは違いますが、「初めて編者をつとめる方へ 編者の仕事」はとても勉強になります。
○人文書院「博士論文などの企画相談について」
こうやって窓口を明記するとわかりやすいなと思います(自社でもやらないといけません)。
○ハマザキカク「初めて本を書く人にお願いしている事」
学術書についての内容ではありませんが、博論本が初めての本作りという方は一読して絶対に損はしない内容です。
○小林えみ「校正、締切、書籍のルールについて」
学術書も手がける編集者が思うあれこれです。
○その他
若手研究者のキャリア形成を考えるシンポジウムを、最近見かけるようになってきました。そういったシンポジウムでも議論されることがあると思います。また、編集者・研究者が書いた書籍やエッセーで知ることができる情報も多いはずですので、ご興味がある方はそちらも調べてみてください。