おじさんの激励
今年の春、『神聖喜劇』の著者であり戦後文学の大家、大西巨人が97歳で逝去した。『日本人論争 大西巨人回想』は、近年の評論・エッセイをはじめ、生涯愛し続けた映画、青年期に詠んだ歌、陸軍時代のこと、直筆原稿、完全版年譜などが800ページに凝縮されている。持てばずしりとくる1冊だ。
先日、息子の大西赤人さんと、大西巨人ファンを公言する三浦しをんさんにご登場いただき刊行記念トークイベントを行った。
新しもの好きな巨人さんは、テープレコーダーが出始めたばかりのころ、自分の声を録音してはひとり聞いて楽しんでいたこと。赤人氏が学校から帰ると、執筆に行き詰まった巨人さんがレゴブロックで家を作り、完成してはまた新しい家を”新築”していたこと。晩年、執筆にコンピュータを導入したものの「このキーはなんやったかね」と赤人氏を“カスタマーサポートセンター”のごとく頼りにしていたこと。
厳格なイメージの大西巨人だが、赤人氏による惜しみない思い出話と、それに対する三浦さんのするどい質問によって、会場全体がユーモラスな大西巨人像に魅了されている、なんとも貴重な時間だった。
さて、本が刷り上がった翌日、宣伝・営業をしに神保町へ行った。弊社では編集もやれば営業もする。ポスターやチラシを小脇に抱え、とある近代文学を扱う古書店に足を踏み入れたときのこと。
8帖ほどの店内には床から天井まで隙間なく本が並び、黄色の短冊に値段が書かれそこら中に貼り付けられている。まるで退魔の御札だ。店奥のレジでは店のおやじさんが、60代くらいの常連客らしきおじさんとなごやかに文学談義を交わしている。二人ともどっしり椅子に座り、客が入ってきてもこちらを向かない。もう2時間はそうしていたのでは……? と思わせるほど雰囲気が出来上がっている。おやじさんの顔は間違いなくここ神保町であまたの本と付き合ってきた目利きだ。私が持って来た本を何と言うだろうか、とドキドキしていた。
タイミングを見計らい、
「すみません、突然失礼いたします。出版社ですが、大西巨人の新刊を出しまして…」
と言うや、ようやくおやじさんはこちらを向き
「大西巨人? ああ…ああ…懐かしいねえ!」
いきなりいい反応。常連客も興味ありげにメガネをずり上げた。近代文学でしかも高額商品なので、ぜひ販売の知恵をお借りしたいなどと懸命に伝えると、
「なかなか読み応えのありそうな本じゃない。チラシくらいなら置いてもいいよ」
とひと言。ほんとうですか!と前のめり気味に見本をかばんから取り出したとき、一瞬おやじさんの眉毛がぴくっと動いた。常連客の目もふいに鋭くなる。
「8,300円の本に、箱が付かない時代がついに来たかあ~……。」
おやじさんによると、かつて高額本は「箱入り・箔押し・茶色っぽい装幀」が三拍子揃ってはじめて成り立つものだった。茶色っぽい装幀はおやじさんの好みでは?とも思ったが、こちらが真剣に聞いていると調子が出て来たのかおやじさんは最近の出版界がいかに軽薄な作りの本を多く生み出しているかを話しはじめた。常連客も「うんうん」とか「わかるわかる」と合いの手をいれ再び盛り上がりはじめる。
たしかに一冊一冊が長く大切に読まれていた時代に比べると、今は刊行点数が多く回転も異様に早い。おやじさんの言い分もわかるような気がするが、しかしデザインも編集も熱を込めて一冊を作ったことはたしかだ。話し終わるのを待ち、「今の日本人にこそ読んでもらいたいという気持ちで作りました」と熱をこめて伝えた。おやじさんはわたしの目の奥を探るように見てから、ううぅーーーん、うううーーーんと何度も唸ったすえ、
「ヨシ、じゃあ一冊置いてみるよ。」と小さく言った。
どの本もそうだが、特にこういう分厚い本はたったの一冊でも受注の重みがまるで違うと感じ、たまらなく嬉しかった。
お礼をしてお店を出るとき、うしろから
「しかしまあ、こうやって直接本を売りにくる出版社がいまだにあったもんだな。」
と声が響く。振り向くとおやじさんは前歯に入れた銀歯を光らせニヤリと笑っている。
「ま、頑張ってよ。」
その言葉に背中を押されるように、私は次の書店へ向かった。
こうして、『日本人論争 大西巨人回想』は街の書店へ出て行った。
この日うかがった神保町の古書店では「頑張って」と何人かのおじさんに声をかけていただいた。本屋と出版社の変遷を見続け、本を大切にしてきた人たちからの、期待の激励なのかもしれない。また、神保町に行こう。
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