出版をめぐる人々をたどって
今回は昭和初期の出版人たちの交流とエピソードを紹介したいと思います。また前回の版元日誌に、立絵は現在の紙芝居の登場で衰退してしまったことを記しましたが、その後の立絵にまつわるお話もお伝え致します。
■出版界の交流
<土屋右近氏について>
書物の奥付には書誌事項が記されています。その奥付を見るのが好きでなんとなく眺めてしまうのですが、昭和10年代に全甲社が出版した絵本や紙芝居の奥付に土屋右近という人の名前を発見したので調べることにしました。『出版人物事典』(1996)によると――土屋信明堂創業者。長野県生まれ。職工生活ののち、露天古本業から1911(明治44)浅草向柳原町に信明堂を興し、新刊書籍販売をはじめた。1922(大正11)、東京雑誌販売連合会幹事に当選、1932(昭和7)有力小売業者を株主とする卸業の共同書籍株式会社を設立、常務取締役に就任。1941(昭和16)戦時統制により東京書籍雑誌小売商業組合(現、東京都書籍商業組合の前身)の設立で初代理事長に就任。文章を愛し、東京組合の歴史を綴った「業界沿革史」の扁額(2メートル×50センチ)は有名であり、『我が70年の回顧』の著書がある。――と記されています。
この『我が70年の回顧』(1956)を手にとってみると、土屋右近(1880-1954)氏の3周忌に令息の土屋顕氏によって発行(非売品)された本で、土屋右近氏が古希を迎えて、身辺の整理をはじめられ、ノートに記されてあったものをまとめたと説明されています。その土屋氏の手記によると――曾ては大震災当時の苦き体験もあり、屈してはならぬと、空襲下を上京して同業間の活躍振りを見聞した。尚、同業「明正堂」木村氏が、怖るべき日夜の爆撃下にあって営業を継続せる努力に感銘して、共同書籍時代の出版体験に着手、全甲社高橋氏や、中島菊夫氏を訪問、尽力を乞ひ、童話「ひるの星」を発行、徐々に漫画絵本を発行した。――とあり、手記の中に全甲社という名前を発見し、さらに関わりのあった共同書籍という名前にもたどり着くことができたのです。まさに戦中の爆撃下において、出版人として生きることを決意した人たちの情熱が伝わってきます。その後、大空襲によって神田にあった共同書籍も新宿にあった全甲社も焼失しました。
<共同書籍について>
『我が70年の回顧』には、竹久夢二の妻たまきの兄、岸他丑氏が土屋右近氏の思い出を寄せていて「私は明治40年九段下に“つるや”を創立した」とあり、岸他丑氏は共同書籍のことにも触れています。岸他丑氏によると、共同書籍は岸他丑氏と大塚周吉氏、浅井光之助氏の三人の発企で創立したもので、設立当時、岸氏は常務で「土屋君は取締役として営業を担当、その後常務になったが、後に土屋君の令息顕君とその弟を職員に雇入れ、つまり親子三人でやって貰った」と述べ、営業は発展した、と記されています。
土屋氏の令息顕氏は『我が70年の回顧』を発行した人でもあり、同書によると昭和22年に金の星社の斎藤佐次郎氏の三女と結婚されたようで、本の「はしがき」には斎藤佐次郎氏の文章も掲載されています。
さて共同書籍株式会社は、有力小売業者が株主となって取次を興し、絵本などを書店に安く提供しようという試みで、昭和7年に神田神保町に設立されました。さらに『全国出版物卸商業協同組合三十年の步み』(1981)に、共同書籍は「土屋氏を中心にした共同出資で、全甲社の児童書の発売元でした」と紹介されていて、当時の全甲社の周辺をたどることができました。
※全甲社の絵本『赤ヅキン』は共同書籍と組んで発行(昭和15年10月)しました。
<東京都書店商業組合について>
土屋氏は書店の地位向上を目指して尽力した人で、東京書籍雑誌小売商業組合(現、東京都書店商業組合)の初代理事長として就任し、最も困難な時代の東京組合の指導運営に当たった人として記録されています。土屋右近氏が昭和26年に丹精込めて書き上げた扁額は組合設立史ともいうべきもので、現在でも神田駿河台1丁目の書店会館の会議室に掛けられています。2014年5月20日、ついにこの扁額に出会うことができました。心の奥がジーンとしました。
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■紙芝居からペープサート(立絵)へ
前回の版元日誌で、立絵は紙芝居の登場で時流から外れたことを記しましたが、戦後になって立絵はペープサートという名で蘇りました。ペープサートの源流といわれる『日天さん、月天さん』という作品は、永柴孝堂氏の代表作として知られ、現在でも演じられています。ところが、―― 原話は、戦争中全甲社で発行した紙芝居の『鬼の吊り橋』である。原作者高橋五山先生(今は故人になられた)のお許しを頂き、これをペープサートに改作して、現時に至ったという次第である。―― という永柴孝堂氏の文章が見つかり、『日天さん、月天さん』は高橋五山の紙芝居が原作であることが明らかになりました。
さらに前出の文章の後には続きがありまして、「ステージ公演や文書としてどちらかへ発表される場合は『原作、永柴孝堂』を明記して頂きたく存じます。尚、放送にご使用になる時は本篇の著作権は放棄いたしません」との言葉が添えられているのですが、都立多摩図書館の蔵書検索で『人形画帖第2集』(白眉学芸社 1972年)を検索すると、「内容:日天(ニッテン)さん月天(ガッテン)さん(原作:鬼の吊り橋 高橋五山著)永柴孝堂 /著」と出てきます。このデータを入力した人は、本の細部まで丁寧に読みこんで、(原作:鬼の吊り橋 高橋五山著)というコメントを入れたのです。この隠れたメッセージに感動しました。検索でこのコメントがヒットしなかったら、『日天さん月天さん』と高橋五山の紙芝居との関係にたどり着くことはできなかったからです。さらに紙芝居からペープサートへ発展したことも明らかになりました。手がかりを入力してくださった方に感謝しています。
参考:大阪国際児童文学振興財団 研究紀要 【研究紀要27号】
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■全甲社 紙芝居の紹介
『おきゃくさま』高橋五山 原作
斬新ですが他にはない様々な使い方ができる紙芝居です。「人形劇の図書館」(滋賀県)に所蔵されていることがわかり、ご協力を賜り、出版することができました。
海外のこどもたち、発達障害を抱えるこどもたちにもご活用いただいており、以下からも推奨されています。
・公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)
・国立特別支援教育総合研究所発達障害教育情報センター