原書だ…、…カントだ!
つかこうへい事務所の公演『戦争で死ねなかったお父さんのために』のなかで、日本帝国軍に見捨てられ、南海の孤島に果てようとしていた風間杜夫扮する将校は、海岸に乗り捨てられたボートの中に残された1冊の洋書をみつけ、この題名のように歓喜の声を上げます。30年以上前のKホール公演でのこのセリフは、隣が洋書売り場だったK書店へのオマージュとしての風間のアドリブなのか、同名のつかの戯曲中にはありません。この日本人将校のように原書の世界にあこがれ、この芝居を観た翌年から洋書輸入の職につき早30有余年、今ではその洋書輸入業からすこし距離を置き、でもちょっと関わりながら、ときどき自分でも何をやっているのかわからなくなりながら…。
実際私たちのような仕事を、世間の人がどのように呼ぶのか(多分こんな仕事があることすら知られていないでしょう)わかりません。いわゆる出版社ともかなり異なる出版をしています。とりあえず「史資料出版」というと、わずかな人にはわかってはもらえることもあります。ふつうの出版社が、著者や研究者の表現活動や研究成果のアウトプットに携わっているとすると、私たちはその反対側でインプットのお手伝いをするような仕事です。美術の世界だと、ふつうの出版社はアート・ギャラリーで、「ふつうでない」出版社はアーティストのアトリエの管理人さん、アトリエのトイレの「紙様」みたいなところでしょうか。おしゃれなハイストリートに店を構え、なるべく多くの人々に作品を紹介したいギャラリーと異なり、特定のアーティストのために、よりよい製作の環境を、人目を避けたような静かな場所に整えてさしあげるような役割です。どちらかというと古書の業界に近いので、古書店から業務を広げた史資料出版も多いかと思います。何か新しいものを創り出そうというクリエイテブな能力も意欲もあまりありません。何千部、何万部とか、ベストセラーなどというキイワードは私たちの辞書をどんなに検索してもヒットせず、かげろうのごときあるかなきかわからない最少部数を、わずかのお客様(と自分たち自身)の最大幸福のため作り続けています。(そういえば小社にも『蜻蛉集』という書籍があります。)
その上私たちは、洋書文献を中心に扱う「日本の洋書史資料出版社」という、さかなくんでもなかなかみつけられない変種みたいな存在です。洋書業界で働いていた者たちと、日本と海外の小さな接合・シナプスになれればと1997年頃活動を始め、ジャパノロジー、ジャポニスム、比較文学・文化といった文化接触のテーマを核に、研究者の方々にも助けをかりながら、英語、フランス語などの学術史資料を色々と探し、集め、研究や大学教育用に使ってもらおうと、こつこつと本にしています。英米ではアカデミック・パッケイジャーなどと呼ばれることもあるので、やっぱり出版社ではないかもしれないですね。
設立時には、「出版多様性の今日、日本発の洋書を世界に!」などと一瞬粋がってみましたが、世界どころか日本でもなかなかきびしくて、ふつうの書店さんには知られることもなく、洋書を大学の研究室や図書館に納入している書店の外商の方に扱ってもらっています。海外では英国の出版社と提携していますが、販売から企画の共同、版権交渉に至るまで、この海外提携先とのやり取りはIT技術のおかげでずいぶんと楽になりました。ITと言えば、欧米での学術出版でも「電子」は大きなテーマですが、30年以上前に医学系の雑誌から電子化が始まり、人文・社会系含め今ではほぼすべての学術出版が「電子」基準に動いているこの業界では、「電子化」より「なにをどのくらい紙媒体で残すか」が、むしろ検討課題になり始めているようにみえます。史資料出版においても、出版社の関与する商業ベースの電子化されたコンテンツに加え、出典がよくわからないようなものも含め大量の学術データがネット上にあふれかえっていますが、だからこそ利用者に検索の労を強いない紙媒体は、かえって便利な、古いけれど新しいメディアになりうるかもしれないと思い始めています。研究者はネット上に次から次へと押し寄せる学術情報の波乗り上手である必要もありますが、、、
なんていう理屈をこねる前に、死を前にカントの原書を手にした「死ねなかったお父さんの感動と、そのせりふへの感動を忘れずに、これからも「本」としての洋書と作ってゆこうと思っています。