社会にコミットし、価値観を変えていくSEAの可能性
アウトサイダーアート
これまで美術書の編集を通じて、いくつかの重要なアートの動向に出会ってきた。ひとつは1993年に出版した『パラレル・ヴィジョン』で取り上げた「アウトサイダーアート」。現在は「アールブリュット(生の芸術)」としてひろくその価値が認められている。本書は、ロサンゼルス・カウンティ・ミュージアムやMoMAなど全米を巡回した同名展のカタログを書籍化したもので、その後、日本への巡回(世田谷美術館)が決まり、日本語版の出版に携わった。ちなみに日本展は大成功で、ヘンリー・ダーガーなど後にブームとなる作家も同展で日本に紹介された。書籍は5,000円以上の価格にもかかわらず会場で飛ぶように売れ、書店でもリブロが平積みに。累計4刷2万部以上が発行され、美術館と出版社の共同出版において先駆けの一冊となった。
対話による美術鑑賞
二番目は、1997年に『なぜこれがアートなの?』という本をきっかけに同名の展覧会が開催され、その後、対話による美術鑑賞が、美術館教育や学校教育の場で普及したことである。当初は、ピカソの絵画を前に、「腕が太い」「ロボットみたい」などと自由に対話する小学生を見た美術評論家が、「これはピカソが長男パウロと妻オルガを母子像という古典主義的なスタイルで描いた作品で、身体はデフォルメの手法だ。学芸員はきちんと美術史を教えなければならいない」と憤慨するという場面にも出くわした。子どもたちは自分の目で、その「デフォルメ」を読み取っていたのに、である。いまなら、「どうして腕が太いのだろう?」とさらに議論を促すところだろう。なお、書籍は20年近く経たいまも現役である。
この二つの動向だけを見ても、アートには世界に対する見方を一変させ、新しい価値観をもたらす力があること、そして何より「偏り」を解消し、フェアにしていくようなベクトルが備わっていることがわかる。その意味で、最近新たに興味と期待を寄せているのがSEA(Socially Engaged Art)である。
震災後の日本とSEAの可能性
その存在を知ったのは、弊社の季刊誌『BIOCITY』
で、社会問題をアートやデザインの力で解決しようとするアメリカのコミュニティデザイナーの活動を特集したことによる。なかでも、アーティストが社会の問題に深くコミットし、完成度の高い作品を実現している事例に惹きつけられた。例えば、キャンディ・チャンの《Before I die》(http://searesearchlab.org/case/死ぬ前にしたいこと.html)は、廃屋の増加に悩むニューオリンズで、見捨てられた家の壁を「私は死ぬ前に○○したい」という穴埋め式の大きな伝言板に変え、通りかかった人がチョークを手にとって自分の人生を振り返り、個人的な望みを公共の場で共有できるようにしたもの。掲示板が設置された翌朝には、壁は色とりどりの文字で埋まり、人垣ができていたという。一方、銃被害に苦しむメキシコで、現金や同等の品物との交換で銃を集め、それらを溶かしてシャベルを作り、世界の著名な美術館で展示するペドロ・レイエスの《Shovels for Guns》(http://searesearchlab.org/case/ピストルをシャベルに.html)は、銃の交換プログラムを国際機関と結びつけたもの。そして、どちらもアート作品として魅力的である。
こうしたアートの動向に大きな可能性を感じていたとき、弊社が入居するアーツ千代田3331で、SEAを日本で普及しようという気運が高まり、文化庁の助成も得て、2017年2月に展覧会を開催することになった。東日本大震災を経て、日本の現代美術シーンにも、社会問題を喚起するだけでなく、直接解決への道をさぐる動きが増えてきたように思う。それが実際に「Social Change」につながっているか、問いかけの過程であるか、震災がモチーフに過ぎないのか、アート作品としての魅力は? など、SEAの定義や、クライテリアなど、議論の余地は多々あるが、何かのきっかけになると信じて、実行委員会は展覧会の作品選びに、楽しく苦しんでいるところである。
なお、SEAに関するWebサイトを立ち上げました。さまざまなプロジェクトやSEAの定義などを紹介していますので、ぜひご覧ください。
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