Google問題とか電子書籍とかフランスじゃどうなの?という話
今回は日本でも話題のGoogle問題や電子書籍がフランスではどんなことになっているかということについて書こうと思う。
話を始める前にまずフランスってどんな国なのってお話から。
フランスといえばやっぱり芸術・文化の国というイメージあるいはワインやチーズといったグルメの国…、おそらくどちらももっとも一般的なフランスのイメージではないかと思う。しかしその一方で、科学・工業技術は世界屈指のものを持っており、いわば技術大国でもある。一番イメージしやすいのはイギリスとの共同開発のコンコルドではないだろうか。また例えば鉄道(高速鉄道、すなわち新幹線)技術。この分野では日本と世界の市場を分け合っている。また原子力、ロケット技術といった分野でも世界有数の技術力を誇っている。
そんなフランスは、通信技術の面でも先進国家である。例えば1980年代には、ミニテルと称する通信端末を各家庭に電話帳にかわり通信端末を配布し、ネット社会を実現していた。まだインターネットが登場する以前のことだが、すでにいまネット上で利用できるほとんどのサービスが実現されており、そのためにインターネットの普及が遅れたと言われたほどだ。
実際に、ミニテルを見て触ったことがあるが、その当時(90年代)日本ではまだパソコン通信がようやく普及するかしないかのころだったので、その進歩の差に驚いた。もちろん各家庭に無料で配られる端末は、非常にシンプルなものではあったが、サービスの多様さが次にくるオンライン時代を感じさせた。
このミニテルがフランスでのインターネットの普及を遅らせたとよく言われるのだが、むしろこうしてミニテルが国策によって何年も前から整備されていたことで、フランス人はどこよりも早く国家的ネット社会を経験することができた。そのことがむしろインターネットが登場してからのめざましい発展の素地になったことは間違いない。
ミニテルですでにニュース配信を実現していたことからインターネットが始まるといわゆる電子新聞がすぐに登場することになる。私が覚えているかぎりでは、Le Monde(ルモンド)あるいはLiberation(リベラシオン)といった新聞は、一面のみではあるがPDFでの閲覧が可能になった。朝日新聞が全記事をオンラインで無料で読めるようになる以前からLe Mondeには同じサービスが存在した。また、いまであればパリ市は公共施設でのWiFiの使用は原則無料で繋ぎたい放題であるということ。いまだWiFi環境の整わない東京に比べれば大差がある。公園でひなたぼっこをしながらネットサーフィンという光景は、おそらくパリぐらいでしか見られないのではないのか。
ヴォージュ広場でパソコンを使う若者
WiFiの利用をアナウンスするパリ市の看板
ほかにもいくつかネット社会フランスを印象づける例を挙げることはできるがそれはさておき、ではそんなネット社会フランスではGoogle問題やKindleの問題はどんなふうに受け取られているのだろうか。
Google問題では、パリ裁判所はGoogle Booksが行っているいる書籍の電子化を違法と判決を下してはいるが、Google Franceは今後も電子化を行うと真っ向から対決する姿勢を見せている。そもそもフランスでは、国会図書館が大々的な書籍の電子化を国家規模のプロジェクトとして進めており、論点は出版社の利益というよりは、公共の利益、電子化された書籍がGoogleだけで利用されることにより市場から他の企業が排除されることへの違法性にあるようだ。日本では出版社の利益という争点が注目されるているが、国が変わればこのように論点が違う。
また、ではiPadやKindleといった電子書籍の場合はどうか。こちらはとても面白い。フランスでは、大手書店が資金を出し合って、電子書籍を売る仕組みの開発を進めている。これはどういうものかと言えば、すでに販売されているSony系の電子ブックリーダーへ各書店が、あたかも各書店がその電子書籍を販売したかのようにして機能するものであるらしい。要するに、売っているものは同じではあるが売った書店に利益が入るような仕組みと考えていい。これについてはいくつか問題が残っている。出版社側はむしろこうして書店を通して販売するより自社のサイトで直接に販売するほうがよいと考えている。また、新たな流通経路を作ることによる手間を疎ましく思っている。どうやらフランスでは電子書籍販売については、書店の危機意識が高く、その舵取りが難しいという雰囲気だ。
iPadはどうだろう。じつは、フランスでは電子ブックリーダー機能なしで販売される可能性もあるとのことだ。それは、そもそもApple社はアメリカでの販売に際し、版元との契約を前提にiPadにあらかじめインストールされた電子ブックリーダーでの販売および購読を実現していた。しかし記事によるとまだヨーロッパの版元とはそのような契約がなされていないとのこと。その結果、フランスの消費者がiPadを購入したところでフランスで出版されている本は読むことができないことになるらしい。
こうした事情はKindleでも同じことで、昨年10月から販売が開始されてはいるが、アメリカAmazonでしか購入できないため、フランスで販売される最新刊は読むことができない。一方で、フランスの出版社は、フランス独自の電子ブックリーダーの開発を進めていると伝えられている。
ネット先進国とはいえ、状況は日本と変わらずと言ったところだろうか。
出版社側はどうかと言えば、すでに記事にも書いたことがあるが、はるかに電子化が進んでいる印象がある。現実に、近々あの文学全集の象徴でもあるプレイアッドが電子書籍として販売されるという話がある。また、すでにフランスの岩波書店とでも言うべきガリマール社が文庫Folioを、Nintendo DSiをプラットフォームにして販売を開始している。文学を大切にしてきた国が、そのブランドでもあるガリマールがすでにこうした方針を選択していることは、革新的と言うべきか。
さて最後に、もう少しネット社会フランスの事情を紹介してこの記事を終わろう。
そもそもこの記事を書こうと思ったきっかけは、iPhoneを手にしてフランスの情報にアクセスしたことにある。それまでiPodでフランスのラジオ局が垂れ流す(?)ラジオ番組のポッドキャスティングで楽しんでいた。なにせ番組まるまるノーカットで1時間30分あるものが手にはいる。これは深夜枠の一番組。ノーカットというのもすごいなと思ったが(番組の内容もまたこれすごいのだが、これは別の機会に)、番組内でかかる音楽もノーカットだからすごい。
なにがすごいかピンとこない方は、ぜひ日本のラジオ番組のポッドキャスティングを聞いてみるとよい。すべてをチェックしたわけではないが、音楽がウリであるあのJ-waveでさえ音楽はすべてカット。理由は、日本の音楽著作権下では記憶可能な媒体への音楽使用が困難であるからだ。だから初めてこのフランスの番組を聞いたとき、フランスの著作権はいったいどうなっているのだろうかと思った(よく考えてみるともっとすごいのは、国を越えてしまっているということ。少なくともその番組のリスナーは、世界中にいる。もはや一国内の著作権ルールなど適用できまい)。
iPhoneで入手できるフランスの情報はこれだけではない。すでに紹介したLe MondeやL’Expresse、Le Pointといった週刊誌、どれもが無料で読むことができる。日本で無料で購読ができるものは現在のところ限られているうえに、種類は圧倒的に少ない。こうしたところにもネット社会フランスを感じる。
(この記事を用意しているとき、日経新聞が電子版を始めるという記事が入ってきた。)
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