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なぜ、威張るのか?−威張る人(団体)の法則

 今回の日誌こそは、『本の未来』『出版に何が起こっているのか?』など、やはり出版人なら書くべきだろうという事柄や、自社の新刊に即した事柄を書きたいと思っていたのですが、根っからの筆不精のため、またも挫折してしまいました。
 ですので、今回も普通に日誌を書かせてもらいます。会社案内、既刊、新刊、出版傾向などは小社のホームページにてご覧いただければ幸いです。

 さて、私は威張ることが好きではないので、威張っている人がいるとやり辛い。さらに言うならば、あまりにも威張っている人が巷に多すぎるので、とても生き辛い。「威張る」とは、私の手元の辞典によると「威勢を張ること」と載っています。勝手な解釈ではありますが、威勢を張るのは何か敵対している対象があってのことだと思います。
 私はやたら唾を吐く人間が嫌いです。憚りで用を終えた後、痰や唾をペッと吐く人がいますが、何のおまじないなのかといつも不思議に思うのです。また、しばしば出くわすのですが、道を歩いていると向こうから歩いて来る人が、すれ違いざま唾を吐きすてる時があります。確かに私の人相はうつむき加減で弱そうに見えると思います。ですから相対的に強いと思っている相手が絶対的に弱そうな私にダメ押しをしているのでしょう。けれども、なんら相手に対して敵対心もましてや私の眼中にすらなかった人間が突然、目の前で唾を吐くとびっくりしますし、気分の良いものではありません。かといって、おいこらとはとても言えませんので頭の中で相手の首根っこをキューとやることにとどめています。
 ここには一つの法則があります。
 敵対心をもっていない者に、敵対心を示すことによって相手の敵対心を呼び起こしてしまうということです。さらに、たちの悪い者はその法則を利用して、敵対心を持たざるを得なかった相手を現実的に叩きのめしてしまうのです。ゆがんだナショナリズムが、しばしこの手を使います。
 余談ですが、先日、人気のない小道で猫と出くわしました。さっと無関心に去ってしまうのかと思ったのですが、先方は俺の道だと言わんばかりに、道の真ん中でこちらを睨んでくるのです。さすがに猫には負けたくないので、こちらも人様の意地を見せ睨め返しました。ところが猫は怯むどころかますます眼を大きくしてこちらを睨むのです。負けじ・・・・・・っと、数十秒互いに瞬きせず目と目を交わしていたのですが、恥ずかしながら私、目をそらしてしまったのです。勝ち誇った猫は当然のことながら道の真ん中を譲らず、結局、私はその道の端を猫に見下されながら通る破目になったのです。その夜は空だけでなく、部屋もなにもかも青い色でした。

 もう一つ、敵対心不在の威張る人の例をあげます。良く見かける光景ですが、電車の長椅子に股を広げて座っている人です。私の主観ですが、若い人よりも物事の分別のつきそうな中年男性が股を広げて座っています。その光景を俯瞰していると、八人掛けの長椅子が七人掛けに、さらにはそうした人間が二人いれば、六人掛けになっていることすら見受けられます。そんなことは会社に行ってから自分の椅子で、あるいは会社に行く前に朝食の食卓の椅子で思う存分やっておいて欲しいと思うのですが、そう単純なことではないよです。
 そこから推論される法則は、他人の存在が必要であること。そして自分に無害で有り得る他人であることです。その存在が多ければ多いほど股の角度は無節操に広がっていくように思われます。また、他人の嫌悪感は眼差しの領域に留まっている限り、座位の反対側へ脱臼しながら角度が狭まることはあれど、決して座位の方向に狭まることはありません。
 先の総選挙の結果とその延長である今の国会の状態は、この股広げ迷惑者の法則に端を発しているように私は思いますがいかがでしょう。
 余談ですが、先日電車の長椅子に、件の迷惑者が私の座わっている左側、二人目のところにいました。そのおかげで私の右隣に、微妙なすき間が空いていたのです。そして電車が駅に停車の際に一人の若そうな会社員が、その隙間に座ってきたのです。どうやっても座ることはできても、上半身は前のめりにならざるを得ない情況でしたが、こともあろうにその会社員は、さらに自分の肩で私の肩をグイッと押しやりながら背もたれへ背をつけようとしだしたのです。座るのは良いけれど、そこまでは譲れませんよと私もグイグイと相手の肩を押しやりました。互いに相手の顔は見ないのですけれども肩と肩、腕と腕に、全神経と心の中の幼稚な言葉を集中させて意地の張り合いを数分繰りひろげたのです。
 この時ばかりは勝ちを収めたのですが、元凶である股広げ者の蚊帳の外での醜い諍いでもあり、バツの悪さだけが残りました。お互いが股広げ者に一言、注意をすれば避けられた争いだったように思います。

さて、本来ならば
・威張る人はペコペコする=支持層の捕獲
・威張る人は無感覚である=徒党の論理
・威張る人は無根拠である=幻想領域の現実侵犯
などについても書きたかったのですが、ここらで筆不精へ舞い戻ってしまいました。
次回また機会があれば書かせてもらいます。

 実際、この出版業界でも、なんでそんなに威張るの?と言う場面に出くわすことも少なくはありません。むしろそれ以上に力ずくで威張り、弱い立場の者をさらに弱い立場に追いやるような好ましくない事態へ向かっているような気がしてなりません。
昔、井上陽水の『青空ひとりきり』のフレーズに
— 悲しい人とは会いたくもない
というのがありましたが
 — 威張っている人には会いたくもない
 — 威張っている人にはなりたくもない

と言うことで終わりにしたいと思います。

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