イザラ書房のこと ―2
イザラ書房を引き継いで7年が経ちました。
引継ぎの経緯は前回の記事「イザラ書房のこと」1をご覧ください。
何だか、あっという間のようであり、とても長かったようでもあり、やってみて分かったのは、私は本をつくることが好きなんだということでした。
この7年、イザラ書房を引き受けてからというもの、それはなかなか大変な時期でした。何でこんなに次から次へと大変な出来事がやって来るのだろうかと、怒涛の日々の中で「これは、もしかしたら自分の人間としての器がもう少し大きくないと、イザラ書房というものを背負えないということかしら」と思ったりもしたのでした。考えてみれば素人が出版社をやっていこうとしているのですから、当然です。
結局、何の仕事も人間関係が一番大事という持論のもと、誠実に、自分の精一杯で、本をつくる作業に向き合っていくしかないと腹をくくり、じっくり関わる人たちに向き合い、納得できるものをと思って本をつくってきました。そして今では、丁寧にていねいに向き合えば、出来上がった本の中に、何かが宿るような気がしています。それはまた、そんな私に付き合ってくれる人たちがいたからこそ出来たことで、イザラ書房に関わってくださっている人たちには感謝の気持ちでいっぱいです。
私は、原稿を頂いたら、最後まで読んでから、著者や訳者に直接会って読み合わせをしていきます。
このやり方は、2014年に刊行した『シュタイナー・音楽療法』の制作時に、訳者のドイツ人の方と監修をしてくださる方と3者でSkypeを使い原稿の読み合わせをしたことが元となっています。監修者のいる横浜まで千葉から私が出向き、その場所からSkypeを使ってドイツ人の訳者と読み合わせをしました。
遠方にいる人とも打ち合わせが出来るSkypeというツールはとても便利で、リアルタイムで原稿の修正が出来て、特に翻訳書の場合は原書との突合せの部分で原語を読める人と一緒に推敲ができるのは助かります。今年の4月に刊行した『北欧の森のようちえん』も、デンマーク在住の著者や訳者と私とで、Skypeを使い原稿の読み合わせをしました。最近はZoomも使っています。でもやっぱり、直接お目にかかったほうが、深い関わりができる気もするのです。『社会問題としての教育問題』では、訳者の研究室のある青山学院大学まで2年間通い、研究室で一緒に顔を突き合わせて読み合わせをしたことが、良い思い出となっています。
頻度は、1タイトルに隔週で月2回ほど。現在は2タイトル手掛けていますので、ほぼ毎週リモートワークで原稿の読み合わせをしている状態です。原稿の直しがそんなになくても、とにかく月2回はPC上で顔を合わせるということを続けてきています。
さて、私がイザラ書房を一人で背負っていく覚悟ができたのは、周りの人たちの力を借りれば何とかなると思ったからでした。編集の面は著者・訳者という当事者の力を借り、制作の面では(私はAutoCADが使えたので)、InDesignもIllustratorもPhotoshopも自己流で何とか使えるだろうから、それを使って組版を自分で何とかできるだろうし、また、技術的な面で困ったら、身近にDTP技師もいて、そのうえ私のパートナーはITエンジニアなので、これもまた何かと助けになりそうです。そんなわけで、イザラ書房を家内制手工業的にやってみようかと思えたのでした。
ちなみにそのDTP技師は、35年も前に私が家庭教師をしていた教え子のパートナーで、かつて私が散々お世話をした子のパートナーに、今は私がお世話になっているという次第です。いざという時にSOSが出せるのは、本当に助かります。困った箇所をスクショに撮って助けてくれというメールをしたり電話をしたりすると、どうして現場にいないのに分かるんだろうという的確さで解決してくれて、何度助けられたかしれません。
また、仲の良い友人にパッケージデザインを専門とするデザイナーがおりましたので、専門は違っても装丁は彼女にお願いしようと思いました。彼女が本領を発揮したのは下記の絵本の時です。
『おやすみの後に』
-シュタイナーと出会って生まれた絵本-
マルタ・シュトラハヴィッツ著/ヒルデ・ランゲン絵/伊藤壽浩訳/
この絵本は、もうどのくらい時間がかかったのかも忘れてしまったくらい、形にするのに時間がかかった本です。
ドイツ語の原本は、日本語版の2倍の大きさで、それぞれのページが布のテープで貼り付けてあり、日本でいう紙芝居のような絵本でした。クライマックスの星が開くところは星の型抜きがしてあるページを上に持ち上げます(日本版は観音開き)。
それを日本で販売するとなると、まず、このままの形では無理だろうと思い、テープでつながずに何とか本の形にしたいと考えました。
訳者は建築家でもあり立体を考えることもできる方でしたので、アイデアを出し合い試行錯誤を重ねました。
そして、こうしたら何とか販売できる形になるのではないかとの試作品を作り、それを見てもらって、最終的には通常の印刷所ではなく、デザイナーの古くからの知り合いの、パッケージを制作している会社に頼んでA5版の絵本に仕上げてもらいました。
私が作ったサンプルは、厚紙に原本をカラーコピーした紙を貼っただけのものでしたが、パッケージデザインが専門のデザイナーは、複雑な折の厚紙を重ねた絵本の設計図が描けて、制作会社の社長は、その場でサンプルを見ながら、折はこうしようとか具体的な話がすぐにできたのでした。
そして、翻訳文は手書き文字がいいかしら…とか、入れる場所をどこにしようか…とか、原文と訳文を併記しようか…とか、皆でいろいろと相談しながら、形が決まったら一気に進んだという感じです。
チェック用の豆本も手作りしたりして、どんどん楽しくなっていったのを覚えています。
おかげさまで評判も良く、在庫はわずかとなりました。