身辺雑記
小さな一人出版社を興して2年と少しが経ちました。経営は苦戦続きで、それは自身の力量ですから、致し方ない部分もある。とはいえやはり、出版業界全体を取り巻く環境は厳しいものがあります。
弊社の最寄りはJR中央線阿佐ヶ谷駅ですが、その南口に一軒書店がありました。一昨年、その廃業が報じられると、惜しむ声が数多く寄せられ、曲折を経て別資本での存続につながりました。久々に嬉しい出来事でしたが、これなどは希有な例で、耳にする多くは書店店じまいのニュースです。
自分はかつて神保町の出版社に勤めていて、仕事に飽きる(?)と、よく大型書店をさまよい歩いたものです。そこはいってみれば、巨大な開架式図書館でした。仕事に関係のないジャンルの本に、ストレスを癒やされた記憶があります。
ネットでしか書籍を購入しないという若い人の中には、むしろ大きな書店に行くと、目的物以外のものに圧倒されて疲れてしまう人がいるとか。知らない本に遭遇する愉しみは、もはや過去のものになってしまったのかもしれません。
知識は紙の発明によって、蓄積され、伝播され、継承されていきました。その紙の本は、デジタル・メディアの登場によって存在を脅かされるようになります。が、つくる立場からいっても、紙代・印刷代・製本代・倉庫代・運送費が不要の上、即修正が可能で、商品劣化もないというのであれば、もう優劣について議論する余地はなかろうかと思います。
デジタル・メディアは、その進化の速度に合わせて纏う衣装を急速に替えていきます。添付は、昨年県立神奈川近代文学館で開かれた「安部公房展」のポスターです。
ここに映っている機器が何だか知っている人は、今どれくらいるでしょうか。
紙の登場が知識の発展を主導したのは事実ですが、過去を知る資料として保存性が高かったのは、結局粘土板や木簡などです。それを思うと、デジタル・メディアは今後どのように引き継がれていくのか、そこに興味を覚えます。