版元名を決める
版元日誌を書かせていただくことになったが、素粒社はまだ2期目の上半期で、個人的な業界の経験もたいしたことはないため、はっきりいえばネタがなく、どうしたものかと版元日誌の一覧をながめていたら、出版社名について書かれたものはまだないことに気づいた(あったらごめんなさい)。
というわけで、まかりまちがってどこかのだれかの参考になるかもしれないので、素粒社という版元名がどのように決まったかという経緯をつづってみたい。
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「制約」を決める
そもそもなにかを決定するという行為一般にいえることだが、膨大な可能性のなかからひとつのものを選択しなければならないときには、さきに「制約」を決める必要がある。
自分の子どもの名前を決めるときは、「一見して読めること」「画数が少ないこと」「一文字であること」「音数は2〜3音」という制約を決めておいてから、白川静『新訂 字統[普及版]』に付属の人名用漢字表をながめながら考えた。
版元名(会社名)の場合、使用できる文字は人名用漢字よりはるかに多く、ローマ字、アラビア数字などもOKだから、可能性はさらにひろい。
まずは機能面。
版元名も、人の名前ほどではないが、手書きで書かなければならない機会が多そうなので、書きやすい文字で、文字数は少なめにしたい。
つぎに内容・意味の部分だが、版元としては文芸書を中心に他のジャンルもあつかうようないわば総合出版社をめざしているため(いまのところすべて文芸ですが)、あまりひとつのジャンルにかたよった印象をあたえるものにはしたくないし、同じ理由から、過剰な意味をまとってしまうような語も避けたい。
あとは、出版社というのがわかりやすいようなにか出版関連の用語をつかおうかな、と、これはぼんやり考えた。
版元名の接尾語、接頭語
また、版元名といえば、「○○社」「○○出版」といった接尾語(あるいは接頭語)が付いている例が非常に多い。
まとめて列挙すると、
社
出版
書房
書店
舎
堂
書林
書肆
書院
書館
図書
図書出版
ブックス
パブリッシング
などなど。
これらの接尾語(接頭語)を採用するか否かは、版元名を決めるさいの分水嶺だが、採用することにした。「制約」は多いほうが考えやすいので。
当時のメモから
そんなわけで、当時のスマホのメモから、版元名候補として考えていたいくつかの案を、恥をしのんで開陳したい。
①今日が終わる堂
②分光社
③北極出版
④レーベルレーベル
⑤百葉室
⑥成層圏
⑦図書パーレン
⑧点景社
のっけから前述の制約に違反しているが、①はまだ会社員だったころ、せっかくの休日なのに昼過ぎまで寝てしまったときの、もの憂い初冬の午後のつぶやきから生まれ、メモに残っていた。したがって、接尾の「堂」は、訛りに訛った語尾として、「今日が終わるどー」と発音される。
②③⑤⑥は理系あるいはなんとなく理系の語で、④はそれこそ音楽関係でそういうレーベルがありそうだが、「制約」に思いっきり反しているので、版元名としてはさすがに捨てた。でもたいへん気に入っているので、そんなレーベルがすでになければいずれなにかでつかいたい。
最終的には⑦と⑧が残り、名刺までデザインして検討したが、どうもそれぞれ「図書」「社」というのが付け足し感いっぱいで、据わりがわるい。おまけに⑦に関しては「パーレン社」というのが、たしかすでに登記されていた。
○○社に必然性をあたえたい
そこで「社」を、接尾語的にではなく、その一部として含む単語を考えれば、上記の問題を解決できることに思い至った(例:三輪舎。そういえば代表の中岡さんとは本屋・生活綴方の「本こたラジオ」で社名についてすこし話した)。
要するにもじりだが、そんな経緯で、理系用語あこがれの余韻をひきずりながら思いついたのが「素粒子」という語で、「そりゅうし」という音に拗音の「ゃ」をくわえ、「素粒社」という版元名にたどりついた。
「素粒子」は物理世界の最小単位をあらわす語なので、極小出版社にふさわしい。
また「素粒子」はelementary particleの訳語だと思うが、その漢字の字面のうつくしさには、文字フェチをうならせるものがある。
そもそも「素粒子」という語を知ったのは、池澤夏樹の小説『スティル・ライフ』の冒頭にある、語り手がバーのカウンターに置かれたグラスの水でチェレンコフ光を観測しようとたわむれるシーンを読んだのがきっかけだった。
そんな池澤夏樹さんに、昨年刊行した素粒社第1弾の本である小津夜景さん著『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』の帯文を執筆いただき、刊行記念イベントにゲストとして出演までしていただけたことは、すごく幸運だった。
2期目をむかえて
創業して1年とすこしが経ったが、まだまだ「粗粒社」と打ちまちがえられたり、あるいは「ソリューション」と聞きまちがえられることもたびたびなので、とりあえずこの版元名を定着させることが当面の目標ではある。
これまで子どもの名前、版元名、飼い猫および野良猫の名前など、さまざまな名づけの機会があったが、なにかの名前を考えている時間というのは、かけがえのないもので、とても充実している。
もはや名づけが趣味といってもいいくらいだ。