「おしょろ丸」の話
残念ながら、皆様に提供できる「気の利いた」話題がありません。弊社が最近発刊した『学船 北海道大学 洋上のキャンパス おしょろ丸』とそれにまつわる話でご容赦願います。
タイトルだけで、本書の内容の一端が浮かぶかも知れません。我が国で、水産学部あるいはそれに類する学部を持つ大学を検索してみますと、わずか11校ほどでした。そのひとつが地元の北海道大学水産学部です。
札幌農学校の水産学科として開設された同学部は、常に練習船を持ち水産学の発展に寄与してきました。明治42年に「忍路(おしょろ)丸」として誕生した練習船は、以後「おしょろ丸」の名を受け継ぎ代替わりを繰り返し、水産・海洋学研究者育成のための「洋上のキャンパス」として「学船」の名に相応しい役割を果たしてきました。
因みに、正しく読まれることの少ない「忍路」は、小樽市南西に位置する地名で「北海道大学北方生物圏フィールド科学センター水圏ステーション 忍路臨海実験所」がある所でもあります。
今夏、数十年ぶりの代替わりで「おしょろ丸V世」が就航するにあたり、北海道大学総合博物館は、日常触れることのない洋上教育の現場を紹介する巡回企画展示を開催することを決め、5月20日から学部のある函館でスタートし、7月11日からは札幌で公開されています。
この企画展示に向け担当者は、1年をかけて、実際の航海に複数回加わり、船上での教育・研究や生活を映像で記録し、乗船者にインタビュー取材をしてきました。展示会場では、歴代「おしょろ丸」の模型をはじめ、ゆかりの品の展示とともに、その取材の成果である航海の様子や学生教育や研究者による研究解説、新船「おしょろ丸V世」の就航式などの迫力ある映像を体感することができます。展示は11月3日まで続きますので、当地を訪ねる機会がありましたら、ぜひ北海道大学総合博物館(理学部の中にあります)にお立ち寄り下さい。
と、長い前振りでしたが、この企画展の開催を記念して出版されたのが、企画展と同名の冒頭の書籍です。大量の映像、写真や乗組員・学生・研究者へのインタビューなど、材料には事欠きませんでした。本書では、「おしょろ丸」の歴史を振り返り、取材レポートや研究者の解説、学生のエッセイを紹介し、海や船と縁のない筆者のような者にも飽きさせません。実は「おしょろ丸」は北大以外の学生や研究者も利用することができます。学外の乗船者の感想なども興味深いところです。
また、「都ぞ弥生」と並び北大生に親しまれてきた寮歌に「水産放浪歌」があります。「心猛(たけ)くも鬼神(おにがみ)ならず 男と生まれて情けはあれど 母を見捨てて波越えてゆく 友よ兄等(けいら)よ何時また会わん」という、時代がかった一番の歌詞に続き、二番にも三番にも「男」が登場します。しかし、今や洋上のキャンパスは男だけの世界ではないことが、本書を開くと分かります。
本書は冊子のままで充分楽しめるものではあります。しかしリアルな映像を鑑賞した時、新しい魅力を付加できないかと考え、弊社の母体である中西印刷(株)がはじめたARサービスを試してみることにしました。「AR」といっても、様々なグレードの仕組みが有り、かける費用により機能や能力は異なるようです。我々が利用したものは、紙面の中のビジュアルを「マーカー」としてサーバに登録し、スマートフォンやタブレットPCでスキャンし、その端末上に動画を再生させるというものでした。
QRコードと何が違うのかという疑問もありましたが、印刷済みの紙面の中に「マーカー」を後から設定することができ、同じマーカーを利用してもリンク先の動画を変えることが可能というところがポイントのようです。
おしょろ丸の進水式、船上での仕事、教育・研究の様子など、1~3分程に編集された5つの映像を楽しめるようにしました。元の映像のクオリティが高いこともあり、本書の内容に少しは奥行きを感じてもらえるかもしれません。
この種の仕掛けには馴染まない方もいるでしょうし、効果のほどもすぐには分かりません。当然コストもかかります。しかし、書籍の手触り感を確保しつつ、デジタルの良さを取り入れることにより、新しい表現が可能であればトライしても良いのでは、と思いました。
厳しい状況は変わりませんが、今後も何とか知恵を絞って本づくりを続けていこうと思っております。
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