最後の一冊
当社の図書目録を大幅に改訂した。とはいっても、なにもなんの前触れもなしに定価を値上げしたわけでもなく、ジャンルの分類項目を増やして、その書籍の内容によりふさわしい項目にいくつかを移したのである。
図書目録には、ほかの社でもおおむねそうだが、巻末には「品切/増刷未定書」の一覧をもうけてある。新刊が少しずつ増えていくにつれて各分類項目でページが増えるものもあるが、反面、この「品切/増刷未定書」項目にも何点かが毎年収まっていく。「長い間ご苦労さんでした。申し訳ないけど、増刷できません」という感じで、これじゃまるで定年退職みたいだが、もし、たとえば300部を(3000部ではありません)増刷したとしても、完売できるまでにたぶん十年以上はかかるだろう、という見込みがたつからである。あるいは、先駆的な役割を終えた、という書籍もある。「初刷を刊行したときの反応ったら、そりゃーすごいものだった」とその社の“長老”が若手に語ってきかせる商品がどこにも必ずあるはずだ。書店に華々しく(いや、しずしずと)登場してから十年あるいは二十年たって、十二分に役割を果たした、あとは後進に道を譲ってそろそろステージからお引き取りいただこう、とでもいうことだろう。
どのように言葉を重ねたとしても、まるでかつての花形選手に引退を告げるかのように、ことさらに力強く明るく、社内にアナウンスする。「『驚くほど売れた本』は品切です」。まるで自分で自分に宣告するように、である。
で、ここからが出版業界の不思議な現象である。十数年前の初刷書籍だし、ここ何年も返品はなかった、読者からの注文も年に数冊で在庫をお届けしてきたこの商品が、どこに隠れていたのだろうか、品切に入れたあとにもひょっこりと、そう、まるで忘れたころに葛飾・柴又に帰ってきたとらさんのように、返ってくることがあるのだ。
その貴重な一冊は、金の無心に立ち寄った放蕩娘か帰国を家族じゅうで待ちわびていたかわいい息子かわからないが、残部僅少棚に鎮座ましますことになる。そして、どこでお知りになりましたか?とききたくなるような読者からの電話注文が飛び込んでくる。「…… はありませんか?」
先日、そんな電話を受けた。誠意を込めたつもりの返事をした。「もしかしたら数年後にまた一冊くらいは返ってくるかもしれませんが、ここ数年で最後の一冊です」。が、そのかたはたぶん、売らんかなの応対だと思ったのだろう、「あ、考えてみてまた電話します」。
誓って、「最後の一冊だよー」と声をからしたあとで「おーい、裏から商品を持ってきて!」と叫んでいるのではない。誓って!