ごく私的な最近の出来事
米軍がイラクに侵攻しバグダッドが混乱のさなか、私の子どもが生まれた。体重2860グラムの元気な男の子であった。03年4月5日の朝。私の誕生日が12月3日。私はイチ、ニ、サンッで生まれ、息子はサン、シ、ゴッと生まれたわけだ。
もちろん、いつ果てるか分からぬ零細出版社に勤めている身を思えば、将来にはかなり不安があり、あまりにも小さい手を見て感動しつつ、ようし何が何でもがんばるぞっとか、生来があまりがんばることをしなかったナマケモノの私も決意をしたり。風呂で私の背中を流す時「父ちゃんの背中はでかいな」なんて言ったりするのかな、とかキャッチボールはいつになったらできるだろうかとか、そんなことばかり夢想してしまう。
しかし、イラクを見てみる。アメリカの精密爆弾によって大勢の市民が犠牲になった。たぶん、かの地でも私の子どもと同じ時に産声を上げた命はいるはずである。そして私と同じように子どもに希望を見いだし、決意を胸にした親もいるのだろう。そんな願いのうえにミサイルは落ちてきたのだろうか。
私は「どんな戦争も悪である」と信じてきた。だが今、国益のためならば戦争も支持する。やられる前に相手をやっつける、という風潮が公然と語られ、世を覆っている。劣化ウラン弾によって死を待つしかない子どもたち、腕や光を失った子どもたち。これが許されるのか?
世界中の何千何万という反戦の声があったって、戦争はおこる。改めて自分自身の精神を鍛えて臭い風潮に対抗できる、いやせめて我が子に伝える言葉をもたなくては。