吉増的なるものをめぐって
久しぶりの版元ドットコムさんからのうれしい寄稿のご依頼。ありがたい、との気持ちが先行するあまり、深い考えもないまま即答、お引き受けしてはみたものの、気がつけばあっという間に締切日。
仕事がら人様に「書け、書け」と言うわりに、自分で言葉をつむぐのがほとほと苦手で、そもそもこうした機会がまれとあってはなおさらのこと、このたびのようにたまに執筆依頼をいただくと、あとあとずいぶんと慌てふためき、とまどうのが常なのでした。
さて、コトニ社は2019年夏に開業し、以降年2、3冊という比較的ゆったりとしたペースで刊行してきました。
何がきっかけかはいまもってよくわからないのですが、昨年からいくぶん飛躍し、2023年は5冊、今年にいたってはなかなかに大部でユニークな本ばかりをいまのところ3冊、残りの半年間であと3冊くらいは刊行できるのではないか……といったペースでやりくりしている小さな版元であります。
今年刊行した本は、そのどれもがとても思い出深いものとなったのですが、なかでも吉増剛造さんの『DOMUS X』の出版は特別に感慨深いものでした。
書物なるもの、それが本質的なものであればあるほど、その成立の過程のなかには、何らかの「偶然」といったようなものが多分に入り込んでくるものです。編集作業中における著者とのやり取りのなかに訪れることもありますし、著者との関係の上において「縁」といった形であらわれる場合もあります。
思い返せば『DOMUS X』の著者、吉増剛造さんとのはじめての「縁」は、かれこれ30年以上前、わたしが小学校の高学年あたりの頃でした。その当時、自宅にあった母の書棚に思潮社の現代詩文庫『吉増剛造詩集』が収まっていました。この書物をなんとはなしに手に取ったとき……これが、その後わたしが吉増的なるものをめぐることになる最初の出会いとなりました。
いま見ても特別立派な造本ではありませんし、特段分厚い本でもありません。けれど、棚にささっていたこの小著は、いま思い返してもずいぶんと強い存在感を放っていたように記憶しています。そのときの感触がいまも頭の片隅にうっすらと刻印されています。
その後、吉増的なるものをめぐる機会は長いあいだ訪れず、その存在は頭の片隅にしばらくのあいだしまわれたままでした。10年ほども経ち、その頃にはわたしも大学生になっていました。
ある年の冬の集中講義。たくさんの配布資料を小脇に抱えながら、ほかの大学教員とはあきらかに異なる出で立ちで、どこか超然とした雰囲気を放ちながら、その頃のわたしにはあまり身近ではなかった言葉を縦横にあやつる、そんな講師がひとりさっそうと登壇します。それこそがはじめて直接目にする「吉増剛造」でした。
「これがあの吉増剛造か!」子供時分に目にし、少なくないインパクトを受けていたあの本の著者、本のなかにしか存在しえなかったはずの人間がいま自分の目の前にいる。数十人はいた学生のなかで、わたしの心はひそかに昂揚していました。
今福龍太さんが主宰している奄美自由大学に何度か参加していたこともあり、それからもたびたび吉増さんにお会いする機会にめぐまれます。けれど、そのときのわたしはどこにでもいるただの平凡な学生でしかありません。そんなわたしにとって吉増さんは、ただただ仰ぎ見るだけの存在でしかありませんでした。
そこからさらに十数年のときを経て、わたしは編集をなりわいとし、コトニ社なる版元を立ち上げていました。そんなころに吉増さんとの関係が劇的に変化していきます。
2020年3月ころ、大学からの友人である吉成秀夫くんから、あるお手伝いを頼まれます。聞けば、吉増剛造さんが自身で撮影された詩的な映像日誌を毎週木曜日にYouTubeで配信したいとおっしゃっている、その映像のちょっとした編集と配信を手伝ってくれないか……おおむねそのような依頼だったかと思います。吉増さんが望み、そして吉成くんの頼みとあらば、と手伝うことを快諾します。
こうして2020年4月から、この一連の配信作業が約一年半にわたり毎週休むことなくつづいていきます。その詩的映像日誌はいまもYouTubeで見ることができます。気になる方はぜひ「gozo’s DOMUS」をご覧ください。
今年の春にコトニ社から刊行した『DOMUS X』は、じつはこの映像日誌を書籍化したものでした。吉増さんの詩集との出会いから数えて30年とすこし、直接お会いするようになってから数えても20年以上の歳月を経ていました。
つねに憧れと畏れをもって接してきた吉増剛造さんの本を、その最初の出会いから30年以上もの年月を経て、自身が編集・出版することになろうとは思いもよりませんでした。そのなんとも不思議なめぐりあわせに、いまも驚かずにいられません。
さて、そんなコトニ社にとっても、わたくし個人にとっても大切な一冊、吉増剛造さんの新刊『DOMUS X』にかかわるイベントを、8月20日(火)、南青山にあるライブハウスMANDALAで開催します。
吉増さんと旧知の間柄である今福龍太さんとのトーク、そして吉増さんのパートナーであるマリリアさんの歌もまじえながらの、おそらく吉増的なるものをめぐる壮大なイベントになると思われます。
本イベントのタイトルは「DOMUS / GAROA, FOREST…」。「GAROA」とはポルトガル語で霧を意味し、『DOMUS X』のなかでも言及されている吉増剛造を語る上でもっとも重要なキーワードのひとつです。
今福さんがそれに呼応するかのようにして、この7月に『霧のコミューン』という本をみすず書房から上梓されました。『DOMUS X』と『霧のコミューン』について、「GAROA」というテーマを媒介にお話しいただき、そしてパフォーマンスしていただきます。
詳細・お申し込みは、MANDALAのHPよりご覧ください。
また、9月8日(日)には下北沢のB&Bにて、コトニ社の新刊『シュテファン・バチウ』の刊行記念イベントも開催します。著者である阪本佳郎さん、そして阪本さんの師匠である今福龍太さんを、吉増さんとのイベントにひきつづきお招きします。
本書『シュテファン・バチウ』は、その時々の政治状況に生を危ぶまれながらも自由と真実を追い求め、生涯を誠実な言葉とともに旅することを選んだ詩人、批評家、ジャーナリスト、翻訳家、外交官でもあったシュテファン・バチウについての本格的な評伝です。
バチウは、詩や自伝、文芸評論、政治論集などをあわせると100冊近くの著作があり、各地で無視できない政治・文化的役割を担ってきましたが、それにもかかわらず今日世界のどこにおいてもほぼ顧みられていない、忘却の詩人です。
彼についての著作は、阪本さんが知るかぎり世界のどこを探しても見当たらないようです。そう言った意味で、本書はバチウについて書かれた文字どおり唯一無二の著作です。
バチウの生前ハワイで会われたことのある数少ない日本人である今福さんと、バチウには会うことはなかったけれど彼を誰よりも知り、共感する阪本さんとで、シュテファン・バチウを媒介にいまこそ問われるべき本質的な言葉のあり方について、対話を繰り広げていただく予定です。
こちらのイベントもぜひお越しください。詳細、お申し込みはB&BのHPよりご覧ください。