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少しでも世の中に役に立つ貴重な研究や情報を書籍にして、後世に伝えたい

1日3冊は読む多読家で歩くウィキペディアような、神がかった記憶力の持ち主のNが肺炎を拗らせて亡くなったのは、2018年のお正月明けのことだった。
国内有数の弁護士事務所に勤務していたNとは“残すべき情報を後世に伝える出版社を作りたいから、時期が来たら一緒にやろう”と学生時代から話しあう仲で、大事な親友だった。

少し時間を遡る。
大学を出て出版社に就職し編集者になった私は、 1991年に児童虐待の取材がきっかけで微細脳損傷、今でいうADHDや学習障害など発達障害のことを知った。
だが、当時は取材先が国内にほとんどなく、マスコミで活躍していた著名な小児科医や精神科医に尋ねても「それは肉ばかり食べるアメリカ人の病気。日本人には関係ない」と言われる始末。子ども時代をアメリカで過ごした私にはどうしても納得がいかないことばかりだった。
仕方なく、時間を見つけては大学の図書館にこもり、資料を探して読み漁った。インターネットの黎明期で、電子データで読める論文はほとんどなかった。そんななか、海外の文献にアクセスできたNは、「普通ってなんだろうね」と言いながら、新しい情報を見つけて取り寄せてくれたり、欧米の研究者を教えてくれたりした。
2000年のある日、単行本の校了中に右目の視野の下半分の色が無くなった。翌日、校了紙を印刷所に届けた帰りに病院に寄ると、「過労が原因。編集者を続けると失明する」と医者に真顔で叱られ、ようやく自分が危機的な状況にあると気づき速攻で辞表を出した。抱えていた仕事をすべて終えた半年後、フリーになった。36歳のことだ。

とはいえ、「知ったら知らんふりにはしない」を信条に編集稼業をやっていたので、会社を辞めたからといって、これまで細々と続けていた社会不適応についての取材を止める気はなかった。
その取材過程で、日本に言語聴覚士制度や発達性ディスレクシアの概念等を持ち込んだ大阪教育大学教授(当時)の竹田契一と出会う。“法務省や文科省こそ、こういう問題に取り組むべきなのに何もしていない”と批判する私に、竹田が「一人だけすごい人がいる」と紹介してくれたのが、法務省のキャリアで宇治少年院の首席専門官だった向井義(現・薫化舎グループ代表取締役会長)だった。事実、向井は私が海外取材で得た最先端の知見を少年院の指導に取り入れていて、凄まじい効果を挙げていた(詳細は拙著『心からのごめんなさいへ 一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦』中央法規出版を読んでほしい)。
その後、紆余曲折あって法務省を辞めた向井に、私は“(国の内外から相談を受けていた)さまざまな事情から社会不適応を起こしている子ども・若者たちの状態を改善させて、自立するスキルを身につけさせて欲しい”と依頼するようになる。頼みっぱなしというわけにはいかないので、私にできることを手伝うようになった。これが、現在の薫化舎グループのビジョナリー・薫化舎®︎の始まりだ。拙著を読んでいたNは向井の実践に深い理解を示し、薫化舎®︎の取り組みを高く評価し応援してくれた。
向井の元部下たちが定年退職するのをきっかけに、2017年4月、私たちは株式会社薫化舎コンサルタンツ(現・株式会社薫化舎)を立ち上げた。
「体調が少しでも回復したら参加する、体が動かなくても頭脳は働くから」
そう言っていたNと私たちは、アイデアや今後の展望、やるべきこと、やりたいことなどについて意見を交わし続けた。

Nが亡くなって5年。向井は人の認知情報処理システムに関する特許技術を複数取得し、障害の有無に関係なく、個人の持つ学習能力や運動能力を最大限開発することに挑戦している。私たちは薫化舎®︎を司令塔に、株式会社薫化舎をはじめ関連企業・団体が13社、提携企業・法人・クリニックが9社という薫化舎グループになった。
現在、当グループは、オリンピック候補選手の認知能力向上、難関大学や海外等で学びたい若者の学習能力向上、eスポーツのプロ・プレイヤーを目指す若者の視覚認知能力の向上など各種潜在能力開発プログラム、社会不適応からの回復及び自立と社会参加のプログラム(長期にわたる不登校や社会不適応から回復して大学や高校に進学したり、国家公務員や地方公務員、一部上場企業等へ就職するなどして自由に人生を謳歌して社会貢献している)、不適応の予防プログラム、QOL向上プログラムなど、特許技術をベースに生理学、神経科学、認知心理学、社会学、医学、栄養学、教育学などの最先端の知見を駆使しながらニーズに応じたプログラムを提供し、課題解決に取り組んでいる。
そういった一連の流れの中で、「世の中に埋もれがちな個人や組織が持つ、貴重な研究活動や情報を書籍として出版し、後世に残す」ことを目指して、私は2022年に薫化舎出版会を立ち上げた。出版事業を具体的に考え始めたときから相談させていただいた東京・深川の1人出版社・猿江商會の古川聡彦社長に直取引という方法を教えていただき、株式会社トランスビューの工藤秀之社長もご紹介いただいた。おふたりには今日まで大変お世話になっており、感謝してもしきれない。
薫化舎出版会にとって最初の本『躓図鑑  子どもたちの“困った!”を“できる!”に変える106の方法』は2023年2月に書店に並んだ。皇学館大学発達障害教育研究室の教授だった秋元雅仁先生がゼミ生たちと一緒に作った一冊だ。“発達障害があればこう指導する”的な情報は溢れているが、子どもの課題は1つの原因では起こらないため現場では使えないことが本当に多い。秋元先生たちはそこに注目し、三重県内の小学校教師たちからリアルな課題を収集して、認知機能の凸凹や環境要因、心理的要因など多角的な視点から課題解決策を提案した。おかげさまで版を重ね、少しずつではあるが必要な人たちの手元に届いている。そのことを大変嬉しく思っている。
2冊目は、言葉が出ない・出づらい就学前の子どもに保護者や幼稚園・保育園の先生、言語聴覚士ができるインリアル・アプローチという専門技法を解説する本になる。日本インリアル研究会の先生方から原稿をいただいた後でインターネット上に誤解を生む偏った情報が蔓延していることがわかり、現在、4回目の書き直しをお願いしているところだ。言語発達のイロハを知らない人でも使えて、言語聴覚の専門家には背景理論を正確に知っていただきたい――。そんな私の無茶な要求に、5人の著者たちが向き合ってくださっている。編集者として有難いの一言に尽きる。
3冊目は介護施設に関わる、これまで見過ごされてきた大事な情報について出版する予定だ。

教育ジャーナリストとしての取材・執筆・講演、薫化舎でのコンサルタント、認知に凸凹のある子どもや若者への言語指導等を続けながら、一人で出版事業をやるなど無謀だなと自分でも思う。だが、どれも重要で、全て繋がっていることなのだ。どれか一つに絞ることなどできない。1人出版社の先達からは出版事業を舐めるなと怒られそうだが、私は向井と立ち上げた薫化舎グループの理念を、コンサルタント業だけでなく出版事業からも具現化していきたいと考えている。
亡くなる1時間前、病室で先行きについて弱気になった私にNはケラケラと笑いながら言った。
「でもさ、思いついてしまったんだからやるしかないじゃん。ていうか、どうなってもやりたいんでしょ? 昔からやると決めたら絶対引き下がらないもんね。私はとことん付き合いますよ、見届けますわよ~(笑)」
 Nだったらこのアイデアについて何て言うだろうか? 
そんなことを考えながら、今日も私は向井や著者たちと言葉を重ね、少しでも世の中に役に立つ情報を届け、後世に残すべく格闘する。

薫化舎出版会の本の一覧
                                       
                       

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