コロナ下の不謹慎な日常
前言翻しアマゾンと直取引
前回の「版元日誌」(2019年3月27日)に「『感じのいい』アマゾンのことなど」と、アマゾンとの直取引の折衝について書いている。
そこにはアマゾンの担当者の「感じのいい」売り込みと(多分折衝専門のプロだったんでしょうね)、地方小出版流通センターとの付き合いの「義理」もあるからと、直取引を断った経緯などについて記している。
ところが、その半年ほど後にアマゾンと取引を始めたのである(もちろん地方小には断りを入れた)。理由は様々あるが、直取引をしないとトラブルが発生していて、それが面倒だったことがまずある。在庫はあるのに絶版にされたり、新刊なのに業者に高値で古本にされたりするアレである。
そのこともあるが、これまで小社は書店の訪問営業をやらず、原則として注文のみでやってきた(書店さんへはFAXで書籍情報掲載の注文書を送っている)。つまり委託をしないので、小社の本は書店店頭にない場合が多い。小出版社のわりには、全国紙、ブロック紙、地方紙などに広告を打っている方だと思うが、読者が広告を見て書店に行っても小社の本は店頭にない。その際書店に注文を出していただければいいが、大半はそこで断念してその中の幾人かがアマゾンや楽天などWEB書店に発注することになる。
ずいぶん昔のことだが、営業で関東や関西の書店を廻ったことがある。関東より概ね関西の書店の担当者は気さくで、神田の某書店など名刺を出しても受け取らなかった。ところが神戸では一緒に酒を飲んだあげく自宅に泊めてもらったこともある。そこで「お袋が味噌汁まで出したのは、あんたが初めてや」なんて、言われた。泊めてくださった松本さんはお元気だろうか。
書店営業で得た私の教訓は苦いものだった。単純なことだが、書店さんが置いてくださっても、売れるとは限らないということだ。書店で平積みされて喜んだ時期もあるが、ある時「平積みされているということは、売れずにそこにあるということ」に気づいたのである。そして大量返品の悪夢を味わった。
直取引をする前にアマゾンの説明会に一度出たことがある。そこでのウリは、返品率の低さだった。それと「ロングテール」(古い在庫品が動く可能性がある)。まあそんなこんなで、直取引を始めたのである。ところがである。アマゾンのAI君の発注を真に受けると返品率7、8割。そのことは、先行者たちに聞いていたので、減数しての結果がそうである。現在AI君の新刊発注には3分の1程度に減数して出しているが、それでも返品率は低くない。おまけに返品したものを繰り返し発注してくる。非効率はなはだしい。もっと修行してくれAI君。
コロナの日常
新型コロナの蔓延で日本中が非常事態になったが、小社の勤務状況はそれまでとそう変わらない。25坪の事務所に3人なので、ソーシャル・ディスタンスは十分にある。著者とのやりとりも相変わらずメールと手紙である。ZOOMでのやりとりを要請されたこともあったがお断りした。私はSNSもやらない人間なので、時代に乗れないのである。
事務所として変わったのは、それまで毎月やっていた飲み会を中止したことぐらいである。実は30年近く前から週一で「石風亭」と称して、友人たちと事務所で飲み会をやっていたのだが、7、8年前から月一に変更、それがコロナで閉亭中である。
個人的に変わったのは飲みに行けなくなったことである。行きつけの小さな居酒屋は全て休業、前回書いた角打ち屋は、事情で店仕舞いしていた。事務所の裏の中規模の居酒屋だけは、行政指導を無視しての営業で大繁盛であるが、その繁盛ぶりに恐れをなして行かなかった。多分人件費と家賃費用が、給付金では間に合わなかったのだろう。福岡県は、行政指導を無視して営業している飲み屋の店名を、公表すると言いつつ結果的にやらなかった。噂では、店名を公表するとそこへ客が殺到することを恐れたからだという(本当かな?)。
飲み屋の休業が続くと飲み代が浮く。数ヶ月前、浮いた飲み代で古くなったテレビを買い換えることにした。映画を観るために少し大型にして、ついでにネットフリックスに加入した。月990円である。これが私の日常を変えた。
新しいテレビではユーチューブも観れるので、通常のテレビ番組はNHKのニュースを観るだけになった。「ホテル・カリフォルニア」の歌詞を画面で読んで、宮沢賢治の「注文の多い料理店」に似ている怖いストーリーだということにも初めて気づいた。なんと能天気な!
ネットフリックスは私のレンタルビデオ屋
ネットフリックスに入って4ヶ月目だが、家にレンタルビデオ屋があるようなもんだ。これまでも月に10本はDVDを観ていたが、今では月に100本はドラマや映画を観ている。質の良いドキュメンタリーも多くある。「ニーナシモン 魂の歌」には驚いた。彼女がマルコムXに近いところにいたなど知らなかった。CDはたくさん持っているのに、その思想的背景も彼女がアフリカのリベリア共和国に一時暮らしていたことも、その後の復活劇も知らなかった。政治的な内幕ものや環境問題についての作品など、スポンサーがビビりそうなものも数多く作っている。最近見て驚いたのは「サスティナビリティの秘密」。地球温暖化の最大原因が畜産業だと知ったフリーの監督が、環境団体はじめ関係者に取材するものだが、「畜産業」の名前が出るとみな沈黙してしまう。彼の調査によると地球温暖化の原因の51%は畜産業(これが本当なら大変だ!)。たとえば、アマゾンの密林伐採の大半は畜産業、森を拓き、飼料畑にし、水を大量消費し、家畜は大量の排泄物とメタンガスを出す。温暖化原因としては化石燃料以上だという。牛が出すゲップやオナラも地球温暖化の理由の一つだと聞いたことはあったが、これは調べてみねば。ちなみにアマゾンでは、伐採に反対した人間1100人が殺されたという。(その恐怖のせいか結末は、「それしかないのか?」という感じであった)
アメリカの連続ドラマもおもしろい。アメリカ人のライフスタイルというか欲望の質が推測できる。FBIものの「ブラックリスト」は、かつて米軍情報将校で国際手配さている大物犯罪者がFBIに自首するところからドラマは始まる。自分の利害を絡ませながら巨悪を潰すというサスペンスドラマである。脚本がよくできている。金もかかっている。30話ぐらいまではおもしろかったが、あまりにも簡単に人を撃ち殺すのと、自分の身内にだけ異常な愛情を注ぐので、50話ぐらいで一旦休止、それでもまだ残り100話はある。家族愛というより種の保存欲に見える。
今見続けているのはニューヨークの投資家と検察官との闘いを描く「ビリオンズ」。ここに展開するのは、司法長官から州知事・上院議員など政界から警察・FBIまであらゆるアメリカ上層部の暗闘と取引である。家族関係はフロイト的に描かれる。検事の妻は精神科医で敵対する投資会社の専属コンサルタントでもある。検事は強烈なファザコンで、それを解消するために夫婦サド・マゾゲームでストレスを解消しようとする。妻の投資会社での役割は、株取引で疲弊するスタッフの精神的メンテナンスである。株取引でボロボロになった精神を精神分析で立て直して再び戦場に送り出す役割である。AIのメンテナンスと同義である。このドラマは「ブラックリスト」と違い誰も身体的には殺さない。しかし家族愛は同じく執着的である。
金欲と権力欲との駆け引きだが、政治はディール(取引)といったアメリカの上流社会をカリカチュアライズしている。これも脚本がよくできていて、役者も達者、人種も白人、黒人、ヒスパニックにアラブにアジアにLGBTまで配分されている。これは、ネットフリックスの世界戦略でもあるだろう。日本のホワイトデイまで出てくる。司法取引はじめ商売も犯罪もことごとく取引である。あれだけ罪状をあげられても逮捕されなかったトランプの世界である。
ネットフリックスの製作費はNHKの5倍だという。とにかくクオリティは高い。1日5時間見続けても私が生きている間にはごく一部の作品を見ることしかできない。それが月に990円である。これでは、レンタルビデオという業態は早晩成り立たなくなるだろうし、テレビ業界もいまのままでは危ないのではないか。
創業40年
そうこうしているうちに10月になった。1981年の10月に石風社を始めているので、今月で創業40年めに入った。葦書房時代の7年半を入れると48年の編集稼業である。最初の木造モルタル8坪の事務所から大名、大手門と移り、福岡市中央区渡辺通の今の事務所に2002年の1月に移転した。9.11事件の余波でバタバタする中での事務所探しだったことを思い出す。
小社は、一人出版社でスタートして現在スタッフ2人の3人体制である。出版点数は4百50冊ぐらいだろうか。火の車だが、借金は少し、印刷所への支払いは滞っていない。給料はそこそこだが、残業はなし。
数冊の本の編集が進行しているが、近刊を2冊ほど紹介したい。1冊は、台湾女性作家三毛(サンマウ)の自伝的エッセイ集である。大袈裟に言うと世界初の編集である。三毛は日本ではあまり知られていないが、中国語圏では数億の読者がいる。その代表作「サハラの歳月」
を2年前に翻訳出版した。西サハラはかつてスペインの植民地で、現在隣国モロッコが侵攻している。本書は、サンマウとその夫ホセとの砂漠での暮らしを綴ったものであるが、これが台湾・中国で反響を呼び1000万部以上の大ベストセラーとなった。戒厳令下の台湾や海外渡航が難しかった時代の中国の若者を刺激したのである。で、小社では何部売れたか。現在のところ2000部である。
今回出すのは、その姉妹編。三毛の自伝は出版されていないので、これまで彼女が書いたエッセイを選別して自伝的に編集することを私が提案したのである。タイトルは「三つの名を持つ少女 その孤独と愛の記憶」(妹尾加代・間ふさ子訳 予価1800円+税)。中学校時代の数学教師に精神的虐待を受け不登校になった少女の苦闘と再生の物語である。私は、校正しながら魂を揺さぶられた。
2冊目は、「小学生が描いた昭和の日本 1969〜1970」(仮題 鈴木浩編著)。大学を出たばかりの青年が、北海道から沖縄まで自転車に乗って小学校を訪問して、児童の描いた絵を収集したのである。その数500枚余、それをすべてカラーで収録して一冊の本にした。当時描いた小学生たちも今や還暦前後、高度消費社会突入前期の日本の暮らしや社会が子供たちの筆で生き生きと描かれている。
私自身は齢は取ったが、体力はまあまあである。だがこの数年で5人の追悼文を書いた。話し相手が少しづつ退場してゆく。
さて、今日も帰ってネットフリックスを観ることにする。