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『ハンセン病文学全集』の刊行開始

 『ハンセン病文学全集』(第一期全10巻)の刊行がいよいよ始まった。小社は以前よりハンセン病関連の書籍を出版してきたが、この企画は創立以来からの念願だった。そもそも、うちの代表が師事していた『数理科学』編集長・村松武司が草津にあるハンセン病療養所の栗生楽泉園で詩の選者をしていたことが事の始まりであると聞いている。療養所の人々に公私にわたり、ひとかたならぬ世話になったことが、この企画を立ち消えにしなかった大きな原動力になったようだ。「絶対に実現しよう!」そう話し合ったに違いない。

 学藝書林版で北條民雄「いのちの初夜」ぐらいしか読んだことのなかった私はハンセン病そのものについての知識もほとんど持っていなかった。かつて埼玉から鎌倉街道で東京の方へ向かった際に清瀬の多磨全生園の前を通った時、かつて見たことのない異様な風景を目にして、ここは一体何の施設なんだろうかと不思議に思ったことを想い出す。

 全国13箇所に国立の療養所があり、そこでは文芸活動が盛んに行われた。発表の場はほとんどが園内の機関誌だった。外部からの文芸指導も手伝って約80年間にわたり質量ともに厖大な作品が残された。強制隔離収容政策が世界でも例がない為に<ハンセン病文学>そのものが日本でしか成立しない。編集委員の鶴見俊輔は「ハンセン病文学は世界文学である」と言い切る。あまたの闘病記とはこの点がおおいに異なる。

 まずは読んで欲しい。一作一作を著者が何かと引き替えに書いているかのようだ。書くという行為に向き合う姿勢が土台からして違う。近・現代文学を問い返す力はここから生じるのかも知れない。

 ここで営業報告。売れてます。新聞各紙での報道が大きく作用して、個人注文があとを断たない。現在は女性を中心としているが「文藝春秋」記事より男性も増加中だ。TRC新継続での事前予約12でスタート。公共図書館も規模の大小は問はず予約注文が入っている。大学市場はこれからだが中高はもとより、これには私も驚いたが、なんと小学校の図書館までもが注文をくれた。看護学校・人権機関・教会・寺院・公民館・女性センター・議会図書室・・。先方は多岐広範にわたる。当初、売るには難しいのではとも言われた企画だけに、その波及力に目が覚める。

 療養所、在園者の平均年齢が70歳をこえている。裁判での勝利のあとも本名を名乗れず、里帰りもままならない方々が大勢いる。この全集がこの状況をなんだかのかたちで変えていく武器にもなると信じている。

友人の死

 1月も半ばにさしかかり今年もいよいよ本格的に始まってしまいます。私はテレビを倉庫にしまい込んでしまい新聞や雑誌も特に読むでもないので身のまわりのみが世界となってしまっています。世の中えらいことになっているようで正面から向き合うには相当の覚悟と自信を備えた世界観が必要なように思うのですが・・・。

 かつて成人式は1月15日でした。成人の日といえば「ラグビー日本選手権」の日。釜石・松尾の時代から同志社−神綱・平尾の時代への世代交代のころは熱心に観戦をしてました。というのも私が高校時代、都立の弱小でしたがラグビー部に所属していたことがきっと大きいのでしょう。そのラグビー部で同期の友人が昨年の大晦日に胃ガンで他界しました、享年36歳。

 その報せは年が明けた1月の5日にやはり同期の友人からの電話で受け、その晩行われたお通夜に参列をしました。彼とは卒業後、はがきのやりとりもないものの2年置きぐらいに友達を介して一緒に酒を飲むといった間柄でしたが、ここ5年ほどはその機会ももうけず仕舞いでした。遺影からは5年の月日を感じ取ることはできませんでした。

 参列者の多くは会社関係の方々であるのは間違いなく、その他の関係者(受付でいえば一般)がどれほどいたのかは検討のつけようがありませんでした。会社関係の方々はお互いに新年の挨拶を控えめに取り交わし、お焼香を済ませて会場を後にされたようです。印象的だったのは彼と顔立ちのよく似た初老の男性が親戚縁者の席から順番にお焼香をすすめる参列者を笑みをたたえながらお辞儀もそこそこに眺めてらしたことです。おそらく叔父さんにあたる方なのでしょう。甥っ子がどんな人々に見送られるのかを感謝を込めてしっかり確認しておこうといった笑顔でした。

 お通夜の後、同期の同級生・部員が十数名集まって席をもうけることになりました。それぞれ15年ぶりという面々です。高校時代の面子を集めるにはやはりクラス名簿が基本のようです。
名簿を基本に実家から本人への連絡が可能となり本人から何だかの付き合いが切れていない、その他の友人へと連絡は回ります。逆にいうと付き合いが切れ、実家が転居している面子には短時間では連絡のとりようがないということでしょう。そして、連絡の労を惜しまない人間が1人以上は必要です。そうして我々は集まることができました。勿論、来たくても来られない人もいるはずですが・・・。
 その席上、彼の死そのものは話題になりにくいので同窓会になってしまうのはやむをえないと思います。彼の病は昨年の秋に発見され急激に進行したとのことでした。年齢が若いと進行も早いといわれているそうです。

 その日、私は部屋に戻ってJ・ヘンドリックスを聞きながら酒を飲んで朝方寝てしまいました。 

「個人情報保護法案」に関して

「ダカーポ」6月6日号(マガジンハウス刊)掲載の<個人情報保護法案なんていらない!>を読んで、またぞろエライ法案が進行中であることを知った。出版社に席を置きながら何を寝惚けたことをと、会員・会友諸兄からお叱り受けることと思います。風営法・暴対法このかた、ことの重大さが身に染みるよりも早いペースで斯くも容易に次々と楔が撃ち込まれているらしいことに対して「何をなすべきか」。今回、営業日誌のテーマより大きく外れます、ご勘弁下さい。

 まずは、多少長くなりますが引用から。

「<言論><暴力>を対立する概念と規定するところから、文弱の思想が生まれ、戦後擬制の民主主義の迷妄は発する。言論は暴力であり、武闘と文闘とは権力を撃つ双つの矛であるという認識を私たちは持たなくてはならない。さもないと、天下大乱に先立つ言論統制は、再びなべての反体制的言辞を容易に圧殺してしまうであろう。
 ニッポン低国の官憲は、すでに大がかりな思想・表現・言論の弾圧を始動しつつある。『週刊ポスト』“衝撃の告白”事件(2名の社外記者逮捕)は、そのまぎれもない予告であるにもかかわらず、新聞ジャーナリズムは、“低劣週刊誌”キャンペーンに汲々たるありさまであり、総合雑誌もそうした次元の低い問題にはわれ関せセズである。
 私が無名性の回復を志すゆえんは、国家権力との私闘を貫徹していく以上、いずれは当然のなりゆきであるという判断にもとづくものであり、ことさら奇矯を衒うのではない。もうそこまで、冬の時代が迫ってきていることを、私は予感する。ゆえに暗黒に待ち伏せて、言論の暴力の回路を確保して、敵を迎え撃たねばならないのだ。このような発想を被害妄想とわらえるのは、筆を折られたことも、ものを書くことに暴力的な干渉をくわえられたこともない、幸福な人々である。」

 以上、ご存知の方も多いと思います。出典は竹中労著 『ルポライター事始』(ちくま文庫版)所収「言論暴力とは何か?」<初出は1971年『展望』掲載>と題された文章。これを読んだ当初、<言論>と<暴力>を結びつけるとはなんと極端な論理であることかと思った。
 しかしながら冒頭の「ダカーポ」記事を読むとまさしくそのような<冬の時代>が執行段階にあること明白。その上、ここ一週間で予防拘束を含む刑法改正までプログラムに載ってくる可能性が出てきた。

 こころしたいのは風営法・暴対法の延長線上に破防法を持ってきたこと。はじめにエロと暴力という環の中で最も弱い部分から手をつけてくるということ。記事中、「青少年社会環境対策基本法」にも言及している、<有害図書とは何か?>。「我々は出版活動を通して青少年育成をはじめとする文化活動に貢献しているのだから<有害図書>の版元とは自ずと別だ。」といった
態度が同じ結果を招くことになる。
 戦中、「中央公論」や「改造」までもが出版できなくなくなった状況が現行憲法の元で鵺のように進行してゆく。「何をなすべきか」。

 今回はテーマを俎上に乗せるに留まります。

 「ダカーポ」記事については、講談社とマガジンハウス内に「共同アピールの会・事務局」が設けられているようです。宮崎学さんのホームページにレポートがアップしてありますので、まずはそちらからご覧になった方がよろしいかと思います。

  http://www.zorro-me.com/2001-4/010419.htm

 個人情報保護法案全文は以下より

  http://www.mainichi.co.jp/digital/houan/01.html

 以上。