「ルールは守れ」でいいのか?
最近耳につくのは「ルールを守れ」という言葉だ。これがアプリオリに使われるのは管理教育の成果だろう。スポーツの試合を言うのではない。
選挙の報道から、SNSのののしりあい迄、これ一辺倒だ。「ルール」が何のために作られ、誰が作ったのかは吟味しない。とにかく「守れ」である。ルールは「法律」であり「掟」である。共同体の中で自然発生的にできた掟はともかく「法律」の場合はその規範を必要とする「立法事実」が前提になる。しかし、最近は立法事実のない「法律」が多いと感じる。
実感したのが「個人情報保護法」だ。法律が先行して、人々の意識が変わって過度に個人情報の扱いが慎重になった。これは「何者か」の必要から立法が強行され「ルールを守れ」と強要された例だろう。かつて出版社同士でも著作者情報は普通にやり取りしていて問題はなかった。しかし、現在は本人に確認して、あるいは本人から連絡を取らせるように煩雑極まりなくかつ機械的になった。情報の扱いに主体性がなくなってしまっている。
著作権法が改正(改悪)され保護期間が70年になったのは2018年12月のことである。確か戦後しばらくは死後30年、1970年の改正で50年になり、改正の度に延長された。TPPで足並みをそろえるというが、50年に据え置いても、著作権法は相互主義をとっているので他国の著作権を侵害するわけでもない。70年と言えば、子や孫ではない、ひ孫・玄孫の時代だ。3人ずつ子どもがいれば、ひ孫で27人、玄孫で81人著作権継承者がいることになる。著作権を持つのがディズニー・プロのような企業でなければ無用で意味のない延長だ。
ボクは過度の著作権の保護は文化の発展を妨げると思っている。言うまでもないが著作権は2つの概念を内包する。著作者財産権と著作者人格権だ。著作者の没後の権利についてはその「継承者」の判断にゆだねられる。その結果、著作者が生前発表した作品についても継承者の判断で発表できなくなる例がある。印税は払うから財産権を侵害するのではない、作品を改変するのでもないから人格権を侵害するわけでもない。それでも著作権継承者の恣意的な判断にゆだねられる。最近ボクが経験しただけでもいくつか例を挙げることができる。
一つは勲三等瑞宝章を受賞した国民的詩人の、浅草の不良少女「下駄屋のおキン」との交情を回顧した少年時代の文章である。詩人はこのころ、母を捨てて愛人のもとに走った父に反発して浅草で無頼な不良少年生活を送っていた。(ちなみにその愛人の子が佐藤愛子女史である)これは遺族によっておそらく「勲章詩人」の過去としてふさわしくないと判断されたのであろう。もう一つは芥川賞作家で晩年は囲碁の本因坊戦の観戦記などでも知られるEの『裏通りの紳士』の復刊を断られた。同書は戦後の混乱期に筑摩書房や小山書店など気に入った出版社に無担保でほぼ無制限に融資をした、社史や業界史には決して残ることのない人物の伝記小説だが、おそらく継承者は作品を読んでいないで、Eが若いころ取材で浅草や山谷などに住み込み白黒ショーのルポなどを書いていたから、題名だけでその類と判断したのだろう。読者の中にはかつて自分の会社が浅草の本願寺地下を小分けして倉庫にしていた時代のあったことを記憶していたり聞いたことがあるかもしれない。これは戦後、焼け残った本願寺地下を引揚者の宿舎にしていた(これについては、ここを支配していたやくざ組織を活写した竹中労の興味深いルポがある)のを、戦後の混乱が収まったのち河出孝雄さんが信徒総代だった縁で河出書房の倉庫として使われ、河出が倒産すると上記の縁で「裏通りの紳士」が仕切ることになったわけで、「紳士」は出版裏面史の重要人物なのだ。ほかにも岩田専太郎の挿絵は著作権継承者の意向で全て使えなくなっていると耳にしたことがある。つまり、ルールを守ればこうしたものを含む企画は、著作者が生前発表していたもの(つまり発表の意志のあるもの)であるのに成立しないことになる。
ルールは守らなくていいというのではない。こうしたことに一切疑問を持たなくていいのかということである。こうしたことへの対処の一つがパブリックドメインだろうが、延長によってパブリックドメイン化はますます遠のいた。おそらく70年についても、2035年ころになるとデイズニー・プロあたりから再延長の話が表面化するのではないか。
こうしたことを思うにつけ想起するのは我々が駆け出しのころのJ社のN君のエピソードだ。
高群逸枝と言えば火の国の女で、女性史研究の草分けのアナキストとして知られる。その全集が高群を献身的に支えた夫の橋本憲三の手によってR社から出版された。しかしその全集からは高群がおそらく余儀なく書いたのであろうが戦時中の翼賛的な文章が橋本の手でキレイに削除されている。N君はそれでは全集としては不完全であり高群の等身大の実像を示すものではないとして、それらの文章を集めた一冊を作ってしまった。もちろん橋本は許可しないだろうから橋本には無断で作ったのである。しかし、裁判になれば事の次第は法廷で明らかになる。だから橋本はそれを嫌って無視するだろうといってN君は平然としていて、実際その通りになった。当時N君は30歳そこそこだったことを思えば、若くして肚が据わっていたと言わざるを得ない。著作権違反が親告罪だった時代の話だから、いまは権力の介入を招く口実になるかもしれない。事態はじわじわと悪くなっている。
事の善悪の話をしているのではない。出版という仕事をしていれば、こうした問題に突き当たることがある。戦前の出版社は発禁を恐れなかった。また、戦後であっても警察の猥褻の概念が今と違って狭く厳しかった時には、民俗学系の編集者ですら警察に呼ばれるのは日常茶飯事だったと大先輩の編集者は述懐している。江戸時代に庶民への出版の先鞭をつけたのは黄表紙、洒落本のきわどい出版だった。版元は度々手鎖の刑を受けた。新聞も初めは、瓦版はじめイエローペーパーの類であった。ビデオの普及もまずはエロビデオからだった。今でこそ普通に行われている漫画のネット配信も海賊版が先行し正規配信の市場が生まれた。繰り返すが、法律を破れ、ルールを守るなというのではない。ただ、出版業の我々は「表現の自由」の最前線にいるし、その限りにおいてはいつも合法と非合法の境にいるのである。その時「ルールを守れ」と言って思考停止していていいのだろうかという話である。