人を食って人を売るために
共和国のシモヒラオ氏は頭を抱えていた。ここでいう共和国とは一般名詞ではなく、去る2014年4月に、このシモヒラオという元編集者がなけなしの100万円を投じて起業した極零細出版社のことだ。ほかに社員めいた存在もないようなので、かれが代表取締役兼奴隷ということになる。この3年足らずのあいだにもそもそと少部数の新刊20数点を刊行し、売れ行きこそタイトルによって波があるものの、なんとか2016年も法人を存続できる見通しらしい。
いま、そのシモヒラオ氏が、そうでなくても浮かない顔をいっそう歪ませているのはなぜか。かれの共和国に、またもや返答に窮する封書が投げ込まれていたからである。いわく、「給料はいらないので雇っていただけないでしょうか」うんぬん。極零細出版社の身ではないか。みずから無賃労働を志願してくれるこのありがたい書面に、なぜかれは顔を歪ませなければならないのだろうか? いやー、これがなかなか面と向かってお付き合いすると大変でして……。
創業1年目をすぎたあたりから、まったく未知の方より「本を出したい」と電話やメールが舞い込むようになった。これ自体はもちろん大歓迎である。が、しかし。
いまでもよく覚えているが、ある土曜日のこと、宿酔も手伝ってシモヒラオ氏がまだ布団から出られずにいたら、電話が鳴った。どんなときでも在室のかぎりは受話器を取ってしまうのが、自宅を事務所にせざるをえない極零細独立系出版社のつらいところであろう。
「共和国さんですか? 本を出したいんですが……」
時計に目をやると、まだ朝の8時前である。親族からのコールですら、なにか事件でも発生したのかと勘違いしかねない時間帯ではないか。そうでなくともふつうに事務所を構えている出版社であれば、誰も出社なんかしてやしない。聞けば20歳代の若い女性のようだが、こちらが問いかけるまで、自分の名前すら名乗らない。どういう人物だかぜんぜんわからないが、ラノベを書いており、ある投稿誌に掲載されたこともあるのだが、諸々あって単行本化には至らなかった。ついては共和国で本にしてもらえませんか、ということのようだ。
「うちは独りでやってる小さい会社なんで、よほど有名な作家でもなければ小説は売るのが難しいからねー。ましてラノベともなるとジャンルがぜんぜん違うし……今回は残念ながら……」と婉曲に断念を伝えているつもりなのだが、よほど自信があるのだろう、なかなか引き下がらない。
「ところで、共和国の本はなにか読んでいただいたこと、ありますか? なぜ共和国に電話してくれたんですか?」
「読んだことはないんですが、独りでやってる出版社なら出しやすいんじゃないかと思って♪」
……。もう布団に戻っていいですか。
こんな時間に電話をかけてきても対応しづらいので最低限こちらのことも考慮してほしいむねを説き、簡単でいいから履歴書と原稿を送ってくださいとお引き取り願ったけれども、こちらは土曜の朝から交通事故に遭った思いしかしなかった
そして、本当に原稿を送ってくるのである。500枚はあるのか、やたら長い。読む時間がないのでしばらく寝かせておいたら、こんどはきっちり昼すぎをねらって何度もなんども電話がかかってくるので、小説の読み手として信頼している友人で、某大手版元の文庫編集者に無理をいって、素読みをしてもらった。そうしたら、「シモヒラオさん、あれ、もうまったく支離滅裂なんですが、無理無理、ぜんぜんダメですよ。いったいどういう関係なんですか?」……こっちが聞きたい。
すぐにメールを出して、共和国では出せないしもうご縁がないから連絡はしないほしいむね丁重に返事をした。したのだが、そのあとさらに電話がかかってきて、「じつはいま地方紙で連載が決まったので、それを書き終えたら本にしていただけませんか」という。むむう。しつこいのはほんとに困るし、好きではない。
といって、断るにしても、変に断るとやれアマゾンだのツイッターだのフェイスブックだの2ちゃんねるだのでディスられる時代である。まあどうせ「共和国www」程度のクソみたいな文字列なら見ないふりをすればいいかと覚悟を決めて、二度と連絡してこないようきつく伝えたのだった。ああ、なぜもっと長い目で寄り添ってあげられなかったのか、とシモヒラオ氏はいまだに自責の念に駆られている。共和国だけが出版社ではないので、それだけの筆力があればきっとどこかでご活躍されているにちがいないと、心から祈っています(でも共和国からは出しません)。
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その後も、持ち込み原稿や「就職希望」のたぐいの連絡は続く。それらの手紙やらメールやらには不思議なことに一種の法則があって、まずひとつには、そろいもそろって「共和国の本を読みました」とは、ただの1行も書いていないことだ。ではどこで小社のことを聞きかじったのか、こちらだってまがりなりにも本を売って生計を立てている身だ。きみたちもそうなりたくて手を挙げているのではないのか。であれば、嘘でもいいから「御社の本に関心があって」くらいのことは書いてくださいよ。その程度なら虚偽記載とはみなしません。いや、1冊くらい読んでくれ。
そればかりではない。封書の場合はさすがに氏名と住所くらいは書いてあるが、メールだと氏名しかないことも往々にしてある。というか、ほとんどがそれだ。むろん履歴書や職務経歴書のたぐいが添えてあったことなど、これまでいっさいない。そのくせ、「タダでもいいので働きたい」とか「弟子にしてください、いや、もうわたしは弟子です」とか調子のいいことばが麗々と連ねている。いやいや友だちでもなければそもそもいちども会ったことがないんだぞ?
ある入社希望の手紙には、いつのまに話が脱線したのか、「ぼく、彼女がいるんです」(!?)とか書いてあった。そうか、それはよかった。おめでとう。しかし、わたしにだって法律上の妻くらいいるぞ。できれば重婚してもらいたい異性だって片手で足りないくらいだ。しかしそんなこと、会ったこともない人間にいきなり伝えたらオカシクないか。それも弟子入りしたい相手にまっさきに伝えなければならない情報ではないのではないか。それともさいきんのエントリーシートや履歴書には、「彼氏 彼女 その他」と丸をつける欄でもあるのだろうか。わたしが「彼女」だとして、きみがシモヒラオ氏に宛てた手紙を読んだとしたら、すぐに別れるね。
そして、シモヒラオ氏が知りたいのはそんなことではないのだ。きみがどういう経歴の人で、なにができて(できなくて)、自分の未来をどう思い描いているか、だ。独りしかいない出版社でこれからなにか(できれば長く)一緒に仕事をするのに、お互いにどこの誰だかもわからない素性不明の人物であってもいいのだろうか。
変なところだけ丁寧で、返送用封筒が同封されていたりするのだが、もうどう返事をしたらいいのかわからない。断ればどうせまたウェブのどこかでディスられるに違いない。それも不徳のいたすところだ、もう好きにしてくれ。ただひとことだけ言っておくと、もしあなたが出版社であればどこでもいいのなら、悪いことは言わないから講談社でも小学館でも集英社でも、誰もが知っていてどんな本屋さんに足を運んでもなにか1冊は自社の本がならんでいる有名な企業に勤めることをおすすめする。だれも(きみ自身でさえも!)知らない共和国などという謎のアングラ出版社と違って、働けば働いたぶんだけの待遇が保証されることだろう。ますますのご活躍を心から祈っています。
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——と、このように会社の規模に比してココロも人間の器も小さいシモヒラオ氏であるが、かれが浮かない顔をしてしまう最大の理由がある。というのも、例の零細共和国の首都が、狭い自宅マンションの一室に置かれているからだ。ひたすら増え募るばかりの資材や資料のたぐいに、自室はおろかリビングや廊下まで侵食され、玄関から奥はもはやケモノ道である。愛想をつかした法律上の妻は毎朝、山に柴刈りに行ったまま日付が変わるころまで帰宅せず、本人もしばしば山と積まれた本や段ボールの崩落事故に遭ってつねに満身創痍である。そもそも社員だの弟子だの食客だのに机ひとつ与えるスペースなどないのだ(なので、雇いたくても雇えません)。
ところで、自宅兼事務所でなにが困ると言って、アポなしの抜き打ち来訪者である。5階建てマンションの5階なのだが、1階がオートロックになっているので一般には5階まであがってこれない。ときおり印刷所のご担当氏が営業に訪れてくださるのだが、門前払いするわけにもいかず、かといってケモノ道のに招じ入れるわけにもいかず、しぜん玄関口で立ち話しになるのだが、これがはなはだ心苦しい。そのうえこちらも出かける予定がなければジャージ姿に無精髭だったりする。とうてい人前に出られる姿ではないし、来訪がわかっていれば、近所の喫茶店でコーヒーでも飲みながら時間をかけて話を聞くこともできよう。「つぎに来るときは30分前でもいいのでご連絡いただければ……」と念を押しているのに、それでもおなじ人が、こんどは上司を連れてアポなしでに訪れるのである。そりゃこんな単価の安い零細出版社にいちいちアポイントなんか取ってられないとは思いますが、こっちにも事情があるんです……と、もうそれだけで半泣きになりそうだ。
先日もオートロックのチャイムが鳴るのでインターフォンに出てみると、モニター越しには60歳前後に見えるオジサンが、どこのだれとも名乗らずに、「こちらが共和国さんですか、ちょっと開けてもらえませんか」と言ってくる。どちらさまですかと問うと、ぶっきらぼうに、そちらの目録がほしいんですが。うちまだ創業して間もないので目録めいたものもとくにないんですよ。開けてもらえないんですか。いや、ここが自宅なんで、なんの御用でしょうか。じゃあ結構です。……。やはり見も知らないひとからオートロックを「開けてくれないんですか」といわれて開けるのには、たとえ事務所を兼ねているにせよ躊躇がある。いまのご時世、ちょっとおっかないじゃないですか。
じつはその躊躇にも理由があった。週に1コマ、アルバイトで編集や出版について出講している某カルチャーセンターで、ちょっとした追っかけ被害に遭ったことがあるのだ。みかけで判断すればどうみてもシモヒラオ氏が加害者なのだが、人は見た目が100パーセントではない。
諸般の都合で詳細は割愛するが、ひょんなことからシモヒラオ氏の名刺がその受講生に渡ってしまったために、当初は「出版したい原稿が書けたのでみてください」という穏便なメールだったのが、講義のあとに「出待ち」されるようになり、やがて自宅兼事務所宛にハガキやら手紙やらが舞い込み始めた。そしてついには携帯のメルアドにまで、セクシュアルな(ハラスメントとも受け取れる)内容の文面までがやってきたのだった。いったいなにがどうなってこうなるのか??
鈍感にもその段階でようやく事の重さに気がついたシモヒラオ氏は、すぐにこれまでの経緯をカルチャーセンターに報告し、その受講生がセンターを退会したとの連絡をもらったが、なにかのきっかけでここまでやって来ないともかぎらないではないか……というのはそれなりに恐怖でもあったのである(ちょっと過剰だろうか、いやいや……)。ましてさいきんは資本主義批判や反戦をテーマにした本も出しているしなあ。
そんなこともあって、30分前であってもいいので事前のアポなしの来訪客は、たとえ相手が営業担当氏であろうと一読者であろうと原則としてすべてお断りしているのである(なので、もしも共和国まで直接ご訪問いただく場合は、小社のホームページに記載してあるメルアドもしくはお電話で、かならずご一報いただければ幸いです)。こうやって書いているだけでも、ぐったりもんである。もうバテました。が、あとちょっと。
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ここまでで一目瞭然なように、以上も以下もすべてフィクションであって、実在する個人や団体とはまったく関係がない。いくらシモヒラオ氏でもこんなエピソードばかりで埋め尽くされているわけがないじゃないですか。話を誇大に強調しまくった想像上の出来事の羅列であって、完全に作り話ではあるのだが、とはいえ共和国になにかを求めてくる人は、おおむねこんな感じなのである。いったい他社ではどうなんであろうか……ちょっと気になる。こんどこっそり教えてください。
そして。このように書いてきたものの、もちろん、自分を高みにおいて聖人君子を気取るつもりなどさらさらない。かくいうシモヒラオ氏にしたところで、就職活動こそしたことがなかったものの、長い学生時代にはずいぶん勘違いして周囲の人たちに迷惑をかけてきたし、それはいまも変わらない。盛大な勘違いのあげくに出版社を作ったようなものだ。勘違い人生である。生まれてすみません。出版を仕事にするようになってからですら著者訳者や同僚とずいぶんケンカをしてきたし、そのままシモヒラオ氏を憎んでいる人だってけっして少なくない。多少開き直れば、そういうコンフリクトなしにはありえない仕事なので、かろうじて法人を維持できているのだろう。そこまではこちらも理解している。
ただ、出版社での仕事というのは、いわば著者訳者の頭のなかにあるもやもやしたクラウド状の「考え」を原稿なりデータなりとしてしぼりとり、それに付加価値をつけて形にして売ることである。いいかえれば、人を食って人を売る。その関係のなかで余剰ができれば、それで自分も食わせてもらおうじゃないか、という事業だ。
だからこそ、かりにもし朝8時前に共和国に電話をかけてきた主が村上春樹であったとしても、シモヒラオ氏は出版を断るのに違いない。なぜなら、共和国のような極零細出版社が売りたいのは、村上春樹のなんとかいう作品そのものではないからだ。本ではなく人を売りたいのであって、単に作品を売りたいのではないのである。その人を世に出したいのである。だから、なによりこちらもあなたのことを好きになれないと、あなたを食ったり売ったりできないわけですよ。それはそちらにとってもおなじであろう。だからこそ、本当はあなたのことが好きでありたいわけですよ。それにはお互い、もう少し相手のことを考えましょうよ……ああ疲れた。もういいですか。
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——そうして妄想をたくましくしつつ、きょうもシモヒラオ氏は未知の氏名と住所が記された封筒を前にして、そうでなくても浮かない顔を歪ませながら、悶々と机に向かうのである。
追伸、ここまで書いたので宣伝させてください。好戦的な政府与党のおかげで、2016年は戦争についての本を4冊も出してしまいました。 もう立派な戦争便乗出版社ですが、そのうち「戦争反対」すら言えなくなる世の中がくるまえに、ぜひご一読いただければうれしいです(価格はすべて悪税抜き)。
タルディ『塹壕の戦争 1914-1918』A4変判188頁3300円
タルディ+ヴェルネ『汚れた戦争 1914-1918』A4変判176頁3500円
池田浩士+髙谷光雄『戦争に負けないための二〇章』A5変判128頁1800円
藤原辰史編『第一次世界大戦を考える』菊変判276頁2000 円