困った時の言葉だのみ
「版元日誌」二度目の担当を拝命しました。元々「フリー編集者」の立場でいたのですが、今年7月から縁あって数社からご依頼をいただけることとなり、編集・リライトから校閲、刊行書籍の紹介・宣伝コピー作成まで、慌しくも充実した毎日があっというまに過ぎています。
さて「日誌」の担当を二つ返事でお引き受けして後、バタバタしているうちに、いつの間にか締切日が過ぎ、担当者さんから督促のご連絡を受け、これも慌てて、さて何を書こうか、とずい分迷い迷って前書きが長くなってしまっています。うーん、困った。困った困った、何かネタはないかと、マイフォルダを漁っていたら、見つけました、次の言葉。
「私たちのすべての探検の終わりは、出発点にたどりつき、その場所を初めて知るときだ。」(T.S.エリオット)
そう、困った時には出発点に返れ。「編集」の出発点は言葉。そこでマイフォルダからお気に入りの言葉を引っ張り出して責を果たすことにしました。上の一節の意味するところからは飛躍した思いつきですが(というかほとんどこじつけに近いのですが。苦笑)、しばらくお付き合いください。
「自分に厳しく、人に優しく」
いつもそうありたいと思っているのですが、逆の事が多いです…原稿の締め切り間際になると特に人(著者)に厳しく夜討ち朝駆けで督促のメールに電話、しかし今回の原稿のように自分の事となると、ずるずると先延ばしをしてご迷惑をおかけしてしまい。自分に甘く人に厳しく の典型です。反省。「版元日誌」の担当者さま、ごめんなさい。
「準備に失敗することは、失敗を準備することである。」(あるアメリカン・ハイスクールの先生曰く)
これも耳の痛い言葉です…
「能力以上のことを期待すると失望ということになる。」(『オシムの言葉』)
きつーい一言でした。なんとかクライアントさまや著者の方々に期待される編集者でありたいものです。
そのために心がけたい、と改めて思った二節。
「しかるべき仕事をしようという人間は、その仕事に最も適した道具を使おうとするものだ。」(ファウスト博士〔ゲーテ〕)
「毎日をその日の収穫高で判断せず、蒔いた種で判断しなさい。」(あるスポーツ指導者の言葉)
これを読んでどのジャンルの本でも、本当に面白い「本」とは、著者と編集者の魂のコラボレーションの産物であると思った三節。
「わが身にしかと納得せずには、人の心は動かせぬ。
自分の魂から迸り出て
力強く切々と語るのでなければ、
聴く者の心は得られぬわけだ。」
「真に心の底から出たことでなければ、
決して人の心には訴えぬものなのだ。」
「美辞麗句を並べ立ててなんになる。
演説をするには分別と熱意があれば足りるので、
話術などは無用だといっていい。
真剣にいいたいことがあるのならば、
言葉を飾る必要がどこにあろうか。」(ファウスト博士)
そして、一番好きな言葉
「世界はかくも広く、多様で、そして豊かなのだ。」(『千夜一夜物語』)
労働力を消費するだけの「仕事」ばかりしていると枯れる一方です。編集者が枯れていてはよい作品は生まれません。そう思いつつ、やっぱり最近仕事に追われ過ぎているなぁ、やっぱり追われるより追いかけたいよなぁ 自省。と愚痴っぽくなってきたところでお終いにします。お目汚し大変失礼致しました。