奥付定価表示の重さ
4月1日を前にして、本の総額表示問題がいよいよ具体化してきている。小社も新刊の表示をどのようにすべきか、参考のために書店の棚を覗いてみた。
いくつかの、わたしにとっては小さくない発見があって、少なからず驚いた。
まず、棚にある本のほとんど全部が奥付に定価表示をしていない。小社は開業以来25年間ずっと奥付定価表示を続けてきている。最近は少数派になっているのを知っていたが、これほどまでとは思わなかった。書店の棚で一番多いのは、「定価はカバーに表示してあります」と記載されているケースだが、まったく何も定価について奥付でのコメントのない本がけっこう多いのにも、びっくりした。これらはカバーを取ってしまえば、いくらで売ろうと勝手、ということでもある。ほんとにそれでいいのだろうか。
再販制度をめぐる議論はすでに数十年続いてきているが、その場合の大前提として、本の定価は版元が決めるものという合意があったし、いまもそれは厳として存在している。その版元の決めた定価を流通の川下末端まで守るべしというのが再販制度だ。
ところが、その版元自身がカバーを取り替えればいつでも値上げがOKという姿勢を維持しつつ、同時に1円たりとも定価を割ることは罷り成らぬと再販制度厳守を川下に向かって叫ぶ。これは、果していかがなものだろうか。法的には問題ないのは分かるが「読者のため」を常々標榜する出版界としてはいささか身勝手に過ぎると批判されてもしかたがないのではないか。
そこのところを、故小汀良久・新泉社社長は、再販制度維持を主張する限り、版元も奥付定価表示を守るのが出版者のモラルであり矜持であるとして、終生それを続けた。小社もその顰(ひそみ)に倣ったわけだ。
書店の棚の前に戻る。新泉社の新刊からは、きれいに奥付定価表示が消えている。(後で社員の一人に訊いたところでは、社内の合意ではなく、「ただなんとなく」消滅したとのこと) 他の再販制度厳守を叫ぶリーダー版元の大多数が「定価はカバーに表示してあります」組である。これには正直、心底驚いた。このまま進んで「定価はオビに表示してあります」になり、そのつぎは「定価はスリップに表示してあります」になって、ついには印刷された定価表示は一切なくて見返しの隅にエンピツで定価を書き込んでいるうちに再販制廃止に追い込まれたスウェーデンの轍を踏むことになりはしないか。
まず隗より始めよ、などと説教するつもりはない。だが、ポイントサービスなど定価の1%前後のやりとりにクレームをつける根拠として、本の定価をのっぴきならないものとして主張していくためには、版元サイドも安易な値上げはしないというシグナルを出し、読者に対して旗幟鮮明にしておくことでシンパシーを得ようとする姿勢を打ち出すことが肝要ではないか。
当初の懸案であった総額表示については、一応の小社なりの結論を得た。奥付はこれまで通り「定価2,000円+税」で行く。カバー、オビも同じ。これで税率がいくらに変わっても対応できる。スリップも同様だが、ボウズの丸いところだけに「2,100円」と入れた。しばらくこれでやってみる。
何だ、某大手版元と同じ方式ではないか、と言う声が聞こえてくるが、奥付表示と連動している点が決定的に違う。
その意味と重さは、版元なら判ってもらえないと困る。