戦争の記憶が消えない
もう一昨年になるが84歳になる父が、交通事故で頭を打ち一ヶ月間意識不明だった。
その後意識を回復しリハビリの甲斐あってどうにか日常生活を送れるようになった。しかしこれまで80代とは思えないほど元気だった父が、一気に年をとり84歳の老人になってしまった。
年末年始に久しぶりに父の顔をみると、浮かない顔だ。夏に会ったときには、もっと明るく元気だったがどうしたことだろう。
食事時や、じっと椅子に座っているときも拝むように手を合わせている。「どうしたの」と聞くと「みんな死んでしまった。」と訳の分からないことを言う。母は、「ニュースでイラクの戦争の事ばっかり言うからこのところ毎日こんな風よ。」
そういえば、半年かかってやっと退院して家に帰った後も「オレは、地獄に行く」と言い続け家族をこまらせた。「どうして地獄なの」と聞くと「人を殺したから」と言う。戦争で人を殺したことを言っているようだ。正常な脳の働きを失ってから若いときの戦争の記憶ばかりが鮮明に思い出されるようだ。
農家の5男だった父は、小学校を出てすぐに炭坑で働き、徴兵検査のあとすぐに海軍に徴兵された。そして戦場で何度となく死にかけ、やっとの思いで帰国した。家族には、すでに戦死の知らせが来ていたようで葬儀もされていたとのこと。
戦後も炭坑で働き、石炭需要が減るなかで炭坑は閉山になり、新たな仕事を求めて鉄工所に勤務した。定年まで勤勉に働き、やっとのんびりと老後をおくれるようになった。年令よりも健康で、趣味もゲートボールや写真、日曜大工と多彩だった。
戦争の話はほとんどしなかった父が、ここにきて戦時中のことをいろいろ話す。記憶の中で消すに消せない生々しいもののようだ。
イラク戦争の開始と自衛隊の派遣。戦争をくぐってきた世代が、まだ痛みも消えないうちにまた同じ道を繰り返そうとしている。父にとって戦争は、過去ではなく現在と繋がることのようだ。加害者である父が、未だ忘れることの出来ない戦争。であれば被害を受けた人たちは、より一層忘れることの出来ない歴史であろう。自衛隊の「出兵」を アジアの人たちは、どれほどの不安を抱えながら注目しているのだろう。
正月そうそう小泉首相の靖国参拝が報じられ、10日には自衛隊のイラク派遣が決定した。いつかきた道をみるようで父でなくても空恐ろしくなってくる。
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