いさましい話
アメリカが勝利宣言したあと、イラクでアメリカ兵がどんどん殺されている。「戦争は終わったはずなのに、どうして? ひょっとしてベトナムやソマリアの二の舞?」と、アメリカではだんだん暗ーくなっているという話だが、アラブに詳しい人に言わせれば、どうしてもへちまもない、あたりまえじゃないか、ということになる。イラクでもまわりのアラブ諸国でも、戦争が終わったなんて考えている人はひとりもいない。(アメリカが一安心した)これからだ、と思っているというのである。そうだろうな、と思う。敵が圧倒的戦力でやってくれば、逃げて死んだふりをするというのは、別にアラブの専売特許ではない。
そいでもってブッシュは「イラクの残存勢力」に対して「かかってこい」と言ったとか。英語だと「カモン!」て言うのかな。最新鋭のクソ頑丈な戦車の中で防弾ガラスごしに、外のアラブの女こどもに向かって、人差し指をヒコヒコさせて「ヘイ、カモン」とやっているGパンのおっさんの「図」がすぐ目に浮かぶね。
なにしろブッシュはいさましいからな。いさましくて、言っていることがわかりやすい。「アメリカは世界で一番いい国だ。だから、アメリカのやりかたをまねれば、どこの国も幸せになれる。アメリカのやりかたをまねしない国も人も悪だ。悪は滅ぼさねばならない。だから殺す。」
これに尻尾をふってワンワン言っているのが小泉だ。
「日本は軍備を持たない。だから自分の国を守れない。アメリカに守ってもらう約束だ。だからアメリカの言うことはなんでも聞かなくてはいけない」
わかりやすいねー。だけど民主党の若手の言うことも分かりやすいよ。
「なんで日本がアメリカの言いなりになる必要があるんだ。自分で守ればいいじゃないか。憲法? 変えればいいじゃないか。自分のことは自分でやるんだ」
マッチョだねえ。すっきりするねえ。
「どこの国も汗を流しているんだ。日本も汗を流さなくちゃ」これは小沢か。汗を流すというのは死ぬということなんだよ。
どれもわかりやすい。でもね、わかりやすいとか、いさましいとか、マッチョとかいうのは警戒したほうがいいと思うよ(なんか吉田司みたいになってきた)。
彼らに共通しているのは、人の命に対する気持ちの薄さだ。使命も誇りも、そりゃ大事だろうよ。だけど、そのために人を殺していいのかよ。今、イラクで殺されているアメリカ兵はいったい何のために死んでいるのかと思う。かわいそうとしか言いようがない。もちろん、そのアメリカ兵に殺された、人数もはっきりしないイラク人の存在がある。こうした「死んでいった人たち」「これから死ぬであろう人たち」のことを彼らはどこまで考えているのだろうか。
そんなことを思うと、守旧派の悪の権化みたいに言われている野中や後藤田が理屈ぬきに自衛隊の海外派遣に反対するのを見て、ほっとする。彼らのような戦争経験者がいなくなったら、日本はどうなるんだろう。
確かに、自衛隊という「軍隊」を持ちながら戦わないというのは理屈に合わないし、ぐちゃぐちゃ言って、結局「身体をはらない」のはみっともない。かっこわるく映るかもしれない。でも、そういうみっともない、いさましくない道を選んだから、今の日本があるわけだろ。なら、それでいいじゃないか。いさましくて人を殺すのと、みっともなくて人を殺さないのと、どっちがいい?
石原慎太郎の初期の作品に「処刑の部屋」ってのがある。不良大学生のケンカの話だが、その中で登場人物の1人がこう言う。
「俺はM大の奴等はきらいだ。奴等は何であんなに矢鱈切ったり突いたりするんだ。相手が死ねばそれ切りじゃないか。奴等は他人の体で遊んでるんだ。電気のスパークみたいでパッパッと、それ切り何も考えちゃいねえ。奴等は手前が何をやっているのか、何をしたいのかそれを知らないでやっているんだ、子供だな、いや気違いだ、俺は奴等を見ていると怖いんじゃなく、唯ぞっとする。」
あの慎太郎でさえ、これだ(あんまり関係ないか)。
とにかく、いさましくわかりやすい話には乗らないようにしようと思う。ヒットラーだって毛沢東だってポルポトだって、言ってることはいさましく、わかりやすかったんだぜ。