経験しない者の「証言」
「本が原作になる」ーーそう聞くと、その原作は小説やマンガなどのフィクションだと考えるのが一般的だろう。であれば小社にとっては無縁のものだと考えていた。
ところが、この夏、「ころからの本を原作に」という舞台が相次いだ。
ひとつは、燐光群による『九月、東京の路上で』(加藤直樹)だ。
1983年に旗揚げした坂手洋二がいまも率いる燐光群は、読売演劇大賞で優秀賞を受賞した『天皇と接吻』などで知られる。
その燐光群が、2018年7月21日から東京・下北沢のザ・スズナリで『九月、東京の路上で』の劇化に取り組むと知らされたときは、おおげさでなく腰が抜けそうになった。
いまから30年以上前、「小劇場」ブームまっただなかにいたわたしは、燐光群をはじめ多くの芝居を見てきたし、なかでもザ・スズナリは特別な劇場だった。
安アパートのような外観、いったん座ると身動きできない客席、ほとばしる汗と唾(笑)。その劇場で、自分が世に送った本が「ホン(脚本)」となって上演されるとは…。
その『九月、東京の路上で』で言及されるのが千田是也だ。関東大震災の折、「朝鮮人来襲」のデマを信じて自警に出た伊藤青年は千駄ヶ谷において朝鮮人と間違えられ、九死に一生を得る。その経験を忘れまいと「千駄ヶ谷のコリアン=千田是也」と名乗るようになったことはよく知られる。
その千田是也たちが立ち上げた俳優座の役者有志たちが、20年以上続けている朗読劇がある。ことしは8月3日と4日に上演され、現代表の有馬理恵は小社刊『花ばぁば』(クォン・ユンドク作、桑畑優香訳)
を朗読した。
日本軍「慰安婦」とされたシム・ダリョンをテーマにした絵本で、日中韓平和絵本シリーズの一環として制作されたが、その内容が問題視され、原著刊行から8年以上も日本では刊行されてこなかった。
その絵本を、有馬は一昨年の時点で、有志による翻訳で朗読している。日本でも刊行されることを願っての選択だったが、今夏ついに「日本語版」を朗読できたという。
まだある。
坂手洋二の脚本『普天間』を上演するなどの活動が光る青年劇場の役者が、『若者から若者への手紙』(落合由利子、北川直実、室田元美)
の一節を朗読するというので、新宿二丁目の劇場へ向かった。
あいにく台風直撃の日で、客席はややさびしかったが、わたしの目頭はたとえようもないほど熱くなっていた。
同劇場の八代名菜子が、同書に収録された岩瀬房子の証言を朗読。いや、いわゆる「朗読」ではなく、本書で5ページになる証言を、すべて宙(そら)で読み上げるのだ。それは「読む」のでなく「語りかける」というのが正しいか。
21歳にして教員として学童疎開を引率した岩瀬は、子どもたちに多くの犠牲を強いた日本の戦争の被害者だったのか加害者だったのか——。その葛藤が、戦後の平和運動に岩瀬をいざなったと聞く。わたしは一度も会ったことがなく、この2月に95歳で大往生された彼女の姿が、八代によって「再生」されたかのようなひとときであった。
関東大震災時に広まったデマによって殺された朝鮮人や中国人。戦時性暴力の被害にあい、戦後ながらく「#MeToo」と言うことのできなかった韓国女性。そして、わずか21歳にして「少国民」の「母」とならざるを得なかった日本女性。
これらの被害者(あるいは加害者)は、もうこの世にない。
あるのは、「本」だけだ。そして、本人ではない誰かによる「記憶」だけだ。
舞台版の『九月、東京の路上で』では、ジェノサイドの記憶をどのように継承すべきかの議論が物語の中心にある。慰霊碑? 追悼式? 祈念植樹? さまざまに考えさせる仕掛けが続く芝居の最後、ひとりの登場人物が言う。
慰霊碑を建てられずとも、あるいは建てられた慰霊碑が撤去されようと、慰霊のための植樹がなされようと、あるいは加害者を顕彰する樹が切り倒されようとも、「何か」に頼るのではなく、「何か」がなくなったとしても、「その代わり、私たちがここに立とう」と。
それは「わたしが記憶し、わたしが証人になる」という決意だ。
体験していない者が「証人になる」とはどういうことか?
そんなことが可能か疑問に思う人もあるだろうけれど、本を読み、本を作り、本を書く人はだれもがすでに体験していることだろう。
体験していない者が他者の痛みを感じ、二度と繰り返すまいと決意することができるのが「本」という存在だ。
体験していないから記憶を継承できないと断じるなら、「本」などという継承物はいらない。
「その代わり、私たちがここに立とう」ーーその思いのある限り、パブリッシャーであることを続けたい。