オーラとサイ能力
オーラが見えるという人たちがいます。他方、オーラの存在自体をハナから否定する人たちもいます。ここではそれを論じようとしているのではなく、弊社から『オーラ能力開発法──オーラ・テクノロジー』(井村宏次著)を刊行したこともあり、オーラやサイについての体験の中からいくつか書いてみます。どうぞ夏の怪談話の代わりに読んで下さい。
皆さんも、偶然あるいは暗示と言うにはちょっとすごすぎるといった体験はありませんか。
オーラという言葉を殆どの人がご存知かと思います。オーラとは、身体から発しているとされる光のことですが、それが何であるかは未解明です。「生体エネルギー」であるかも知れないし、「気」かもしれません。勿論、そんなもの発していない、と言う人も、先程述べましたようにおられます。残念ながら、私にはオーラが見えません。しかし、オーラ視能力のある数人の人に、私のオーラを見てもらったところ、私の身体の羅患部、あるいは私の精神状況を、そんな情報を一切話していないにもかかわらず、見事に指摘し、オーラ図に描いて説明してくれます。
またあるとき、知り合いのカメラマンが、手から気が出るようになり、それが見えると言い、私の前で、両手の指先を10センチほど離し、外気を出します。すると、指と指の間を白い霧のようなものが放射され、流れます。何度か繰り返してくれましたが、疑いなく、霧のようなものが両手の間を流れます。別に背景が暗くなければいけないとか、目を細めなければ見えないとか、そんなことは全くありません。普通の状況の中で見えます。
また今まで出会った様々な能力者の一人に、中国残留孤児がいました。彼には透視能力があるというので、そのカメラマンのスタジオで早速実験しました。スタジオで能力者の動きを私が監視し、数枚の小さな紙片のそれぞれに、能力者に見えないように別室の暗室でカメラマンが文字を書きます。その中には、中国には無い日本で作られた文字、敢えて間違った文字を書きました。そして小さくクシャクシャに丸めてスタジオにいる能力者の前に置き、能力者は、その紙を一つ手に握り、そこに何が書かれているか、じっと透視します。ビジョンが明確になったところで、彼の前に置かれたスケッチブックに頭に浮かんだ字を書きます。そのうちのいくつかは見事にヒットです。当時の資料を調べればどんな字を書いたのか分かるのですが、確かその字の一つに「彦」という字があったと思います。
字画が多ければあやふやになり、字画が少なければ、実に正確に彼はスケッチブックにその字を書きます。
問題はいくつかあります。限られた環境の中でそれなりの管理実験をしたのですが、暗室で字を書いたカメラマンが、能力者の前にその紙を持ってきたことが、ちょっとマズかったかなと思います。字を書いた人間はそのまま別室の暗室にいて能力者の前に姿を現さず、何が書かれているか知らない私が、その紙片をスタジオに運べばよかったのですが。あるいは能力者の全く知らない第3者が字を書き、字を書いた人と能力者を一切接触させないようにすれば完璧だったのですが。
そのため、この能力者の能力が透視なのかテレパシーなのか、といったことも課題として残ります。しかしどちらにしても、サイ能力には間違いないでしょう。
その残留孤児の能力者は、透視能力を路上での賭け事に使っていると不届きなこと(?)を言っていましたが、「実は私は日本にいる母に会いに来たのです。住所も分かっている。しかし会ってくれないのです。」と言っていたのが印象深く残っています。彼がその後、母に会うことができたのかどうか、その結果は耳にしていません。
自称、あるいは怪しげな様々な能力者と出会い、いろいろな実験を、その殆どが上記のごとくお遊びのような実験ですが、してきました。もし明治の気合術師・浜口熊嶽のように気合いだけで虫歯を抜いてしまう能力者がいれば、ぜひ紹介下さい。ちょっと今何十年ぶりかに奥歯が痛くて困っているので。(笑)
『オーラ能力開発法──オーラ・テクノロジー』(井村宏次著)
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