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西部邁と佐高信の思想的映画論
- 初版年月日
- 2015年1月
- 書店発売日
- 2015年1月22日
- 登録日
- 2014年12月16日
- 最終更新日
- 2015年1月29日
紹介
保守とリベラルを代表する2人が映画10作品を選びました。西部邁氏が「戦争と死の問題が関わる」と語る恋愛映画の古典(『モロッコ』)や、 佐高信氏が「過去の影を背負っている」と言う男を描く西部劇(『シェーン』)など、名作の背景となった社会や思想の状況を論じます。
目次
はじめに──佐高信
第1章 モロッコ
過去を捨てた男と女
イスラム圏との接点
傭兵の愛国心
ワンウェイ・チケットの人々
女性という恐ろしい人たち
恋愛の本質
第2章 カサブランカ
ラズロのモデルは半分日本人
リックが背負った影
ラブ・アフェアは気障な台詞で成り立つ
正しすぎる男には魅力がない
戦いの代理品としての歌
第3章 生きる
気づくのが遅すぎる
公園を造ったのは自分のため
時代背景が演技を創る
言葉を使うほど死のリアリティから遠のく
第4章 東京物語
家族という小さな集団における老いと死
この映画すべてが戦争の影を背負っている
家族は第三者が介入しないと成り立たない
家族の中に歴史も国家も投影されている
第5章 シェーン
秘すれば花
次男はフロンティアたらざるを得ない
女房子どものことを考えると……
過去の影を背負っている男
第6章 十二人の怒れる男
陪審員制度の成功例
陪審員の中におけるポピュラリズム
真理は細部に宿る
道徳の層と法律の層
「存在しないことを証明する」のは不可能
第7章 喜びも悲しみも幾歳月
本土で亡くなった最初の人
苦しみの連続の二十五年間
「俺は橋の下で春をひさぐ夜鷹なんだ」
多くの人たちの人生を引き受けている映画
第8章 アラビアのロレンス
女性が一人も出てこない映画
「運命などない」
ロレンスのもっている二面性
私的なドラマと壮大な社会的ドラマの符牒
第9章 ドクトル・ジバゴ
革命派と帝政派の両方を生き抜く男
パーシャはトロツキストか
ロシアの風土に基づく故郷感覚
二人の女の間を適当に行き来していた男の話
第10章 悲情城市
本省人の映画
日本に対する共感
我々は知らなさすぎる
おわりに──西部邁
前書きなど
はじめに
思想的には真反対だといわれている西部さんと私が、嗜好的にはよく似ているのだなと思ったのは、黒澤明について話していた時だった。
『世界』で、亡くなった人のことを書く「追悼譜」を連載していて、黒澤については書く気にならなかったけれども、木下恵介は迷いなく追悼しようと思ったと言ったら、西部さんはすぐに、
「わかりますよ、それ」
と応じてくれたのである。
「ある程度大人になると、黒澤のあの映画はっていう風に、身を乗り出してしゃべる気は起こらない」
と続けた西部さんと私の遣り取りは二人の共著の『思想放談』(朝日新聞出版)に載っている。
「それは黒澤映画と切っても切れない三船敏郎の演技について論じようという気にはなれないのと同じですよね」
そこで私がさらにこう同意を求めると、西部さんは、
「あの人はひたすら吠えたててる感じだ」
と受け、
「言っちゃ悪いけど、奥行きはあまりないですね」
という私の断定にも、
「陰影がない」
と共鳴してくれた。
あるいは黒澤ファンからは総スカンを食う二人の発言だろう。
しかし、この対談は極めて二人の好みが出ている応酬である。黒澤よりは木下や小津安二郎に惹かれる点で西部さんと私は共通している。それは黒澤の『生きる』を論じた第3章と、小津の『東京物語』について語った第4章、そして木下の『喜びも悲しみも幾歳月』に言及した第7章を読み比べてもらえば明らかだろう。
この対話は、『モロッコ』から始まる。
「ワンウェイ・チケット」を持って彼の地に渡って、いまだけを生きる人たち。
片道切符だけでという生き方に憧れる点でも二人は共通している。いや、「憧れる」というより片道切符だけしか手にできない生き方を西部さんと私はしてきたのである。これからも、そういう生き方をして最期を迎えることになるのだろう。
この中で私は『アラビアのロレンス』に特に思い入れがある。奇跡的に生還してロレンスがつぶやくセリフの、
「運命などない」
は私の覚悟を示すものでもあるからである。
ただ、見た回数が一番多い映画は『カサブランカ』で、ということは、それぞれに思い入れがあるということになるだろう。二人の歓談、もしくは閑談におつきあい願えれば幸いである。
二〇一四年十二月十九日 佐高 信
関連リンク
西部邁、佐高信両氏の共著に『難局の思想』(角川oneテーマ21)、『快著快読』(光文社)、『ベストセラー炎上』(平凡社)、『思想放談』(朝日新聞出版)、『日本および日本人論』(七つ森書館)がある。
上記内容は本書刊行時のものです。