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「出家」寂聴になった日
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2022年11月7日
- 書店発売日
- 2022年11月7日
- 登録日
- 2022年9月26日
- 最終更新日
- 2024年4月6日
書評掲載情報
2023-02-12 | 読売新聞 朝刊 |
2023-01-10 | ハルメク 2月号 |
2022-12-20 | 女性自身(ジョセイジシン) |
2022-12-15 | 婦人公論 |
2022-12-01 |
毎日新聞
夕刊 評者: 関雄輔 |
2022-11-24 |
日本経済新聞
夕刊 評者: 陣野俊史 |
2022-11-23 | ニッポン放送 上柳昌彦 あさぼらけ |
2022-11-23 | 京都新聞 朝刊 |
2022-11-20 |
NHKラジオ第一「ラジオ深夜便」
評者: 永江朗 |
2022-11-16 | ステレオサウンドon-line |
2022-11-13 | 伊勢新聞 朝刊 |
2022-11-13 | 宮崎日日新聞 |
2022-11-11 | 福井新聞 朝刊 |
2022-11-11 | 岩手日報 朝刊 |
2022-11-11 | 山陰中央新報 |
2022-11-11 | 山陰中央新報 朝刊 |
2022-11-11 | 熊本日日新聞 |
2022-11-09 | ニッポン放送 NEWS ONLINE |
2022-11-09 | YAHOO!ニュース |
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紹介
流行作家・瀬戸内晴美は、なぜ51歳で出家し、寂聴になる道を選んだのか。
血縁関係にあり、長年、秘書として瀬戸内文学に仕えた著者による渾身の一冊。
「晴美」として半世紀を過ごし、「寂聴」になった「はあちゃん」。
従妹とその娘が見た瀬戸内寂聴の「生」とは……。
長年、秘書として瀬戸内文学に仕えた筆者が瀬戸内寂聴の出家の謎に迫る評伝小説。
装画は横尾忠則のオリジナルイラスト。
目次
はあちゃんのこと
本郷ハウス 一九七三年秋 母・恭子の記憶
はあちゃんと恭子
一九七〇年の引っ越しの日
一九七三年 現生を捨てる
大工町 一九三六年
終の棲家
書き続けたいもの
中尊寺 一九七三年十一月十四日
一九七二年 恭子の回想
得度前夜 瀬戸内晴美の回想
得度式 十一月十四日 恭子の回想
終わらせ方 一九七三年夏
出家の理由 小説を書き続けるための芯
スプリングボード
私の瀬戸内寂聴 玲子の回想
手伝いはじめ 一九七〇年
はあちゃん倒れる 一九七五年
寂庵での手伝いが始まる 一九七八年
寂庵源氏誕生 一九九二年
戯曲への挑戦 二〇〇〇年
晴美と寂聴
念願の個人全集刊行 二〇〇一年
広がる創作のジャンル
手元不如意
書くことだけでなく
法話
寂庵
天台寺
戦争反対
教育
敦賀女子短期大学学長
文学塾塾長
徳島県立文学書道館
今度はいけない気がする 二〇二一年
前書きなど
白寿で旅立った瀬戸内寂聴は、二〇二一年十一月十三日午後六時過ぎ、黒いリムジン型霊柩車に乗せられて、四十七年間暮らした寂庵から最期の旅に出発した。「はあちゃん」の野辺の送りは、コロナ禍のために三人のお坊さんと二十七人の参列者という、本当に小さなお葬式だった。
私の母「恭子」は寂聴の十一歳年下の従妹、その娘が私、「玲子」だ。我が家では、家族だけの時には瀬戸内寂聴のことを「はあちゃん」と呼ぶ。
私は、一九七〇年冬から二〇一〇年の年初まで、濃淡はあるが四十年間、晴美そして寂聴の文学創作に関わっていた。後半の十五年間は秘書として行動を共にし、二日しか自宅に科入れない月もあった。
母・長尾恭子が「はあちゃん」こと寂聴の思い出を私に話し出したのは、寂庵のお堂での家族葬から数日経ってからだった。
版元から一言
内容:昨年、99歳で亡くなり、11月9日で一周忌となる瀬戸内寂聴。当時、流行作家として人気を博していた瀬戸内晴美は、なぜ51歳で出家したのか。筆者の母(恭子)は瀬戸内寂聴の従妹であり、同じ「本郷ハウス」に住んでいた。そして出家し、マスコミから逃れるために寂聴が身を寄せたのも筆者の自宅であった。長年、秘書として瀬戸内文学に仕えた筆者が瀬戸内寂聴の出家の謎に迫る評伝小説。装画は横尾忠則のオリジナルイラスト。
上記内容は本書刊行時のものです。