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ウンコはあなたがするのではない
『老子・荘子・仏教』本物の智慧があなたを守る
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2021年2月20日
- 書店発売日
- 2021年3月27日
- 登録日
- 2021年3月3日
- 最終更新日
- 2021年4月9日
紹介
中国の古典「老子・荘子」、それに「仏教」の教えのエッセンスを、かつてないわかりやすさと面白さでまとめた傑作。著者の長年の読書と体験を一冊に凝集し、2500年も引き継がれてきた先人の智慧を、今の生活に役立つようにまとめられています。どこからでも読めるので、忙しい人に最適。先が見通せない今の時代に、どう生きるかの指針をあたえてくれます。
※ ※ ※
この本では、あなたたちが、良いと思っていることと、悪いと思っていることが、逆転します。例えば、(名声や役に立つこと=×)、(美しいこと・背が高いこと=×)、(知があり、きれる人=×)などです。
1、では質問します。
1)あなたは鯛になりたいですか?それとも雑魚になることを希望しますか?
A:鯛は料理されて、みんなの見ているひな壇のお皿の上に飾られるでしょう。
B:雑魚なら、釣られても、そのまま海に投げ返されるでしょう。
2)あなたは切れ者のハサミになりますか? それとも、切れない普通のハサミになりますか?
A:切れるハサミは、重用されあちこちで使われ、やがてボロボロにすり減ります。
B:切れないハサミは、あまり使われず、長くそのままでいるでしょう。
老子・荘子は、まずBをすすめます。しかしAでも、長く生きのびる方法を考えてくれています。私なら、両者を臨機応変に使い分けます。
→例えば、Aのようなタイプの人は、有名人になるでしょう。フォロワーもたくさんいます。スポットライトを浴び、人々の視線にもさらされます。その結果、ストレスがかかり、病気になり、短命になるかも知れません。しかし老子・荘子の道を体得した、真の聖人なら、自然に生きるので、ストレスは受けません。波に漂う葉船です。流れに任せる水です。自我のない無為自然な人です。
2、次の質問です。
つきたてほかほかのヨモギ餅があります。3日前についたかたい白餅もあります。あなたはどちらを人にあげますか。→結論を言いましょう。
少しは自分で食べても、つきたてのヨモギ餅を、人にあげましょう。実行するのは難しいですよ。あげる理由は、その方が幸せになれるし、見返りも大きいと思います。ただどっから見返りが返ってくるかは、天のみぞ知るです。
3、あなたはどちらのタイプにしようと思いますか。
A:何でも、目的を持ち、知略策略をもって、欲しいものを手に入れようとする。
B:何かを得ようという目的はない。でもこれをやりたいから無心にやる。その結果何か大きなものを手にする。
老子・荘子は、Bをおします。前頭葉をはたらかせすぎると、天からの「波動」・「気」が受けられなくなると言います。
4、荘子「天鈞の思想」→違っているように見えるけど、実は同じこと。
A:例えばあなたが片足を失ったとします。それは両足のある人と比べると、不利なことでしょうか。
B:また高級官僚が賄賂や天下りで、裕福な生活をしています。一方あなたは、持たざる者、貧しい生活です。日々の苦しい労働、この不公平に世を恨みますか。高級官僚は、おいしい生活という、罰を受けているのです。
※色々申しました。思考が逆転する話ばかりですので、楽しんでお読みください。著者より。
目次
■第一章 役に立つ人間をめざしてはいけないー名誉をめざすことを諫める章ー
「師匠、生きる手本とすべきは何でありましょう」「カヤだ」「ウヒョウヒョ」では「石や瓦だ」「ウヒャウヒャ」
役に立とうとしてはいけない
名声・結果を求めてはならない
自然な生き方を見失った人は「遁天の刑」を受ける
天恵=天育が受けられる三つの条件
■第二章 わたしがウンコをするのではないー「無心」になることの大切さを示す章ー
オヤジは今日も苦虫食べて、天の「道」を塞ぐ
わたしがウンコをするのではない
他力本願のすごさ
無心の時、自律神経は天の助けを得て最高にはたらく
「空」とは、出入り自由で、かつ何でも生まれる製造工場
「ねえ、お月さんてなぜ毎日やってくるの!? 」
■第三章 人は食うために働くのではないー効率を求めることを諫める章ー
魚を釣るために、竿を垂らしてはいけない
何にもならんことをする
利益効率だけを追う者の人生は、苦しい
人は食うために働くのではない
食うために働けば苦しく、働くために働けば楽しきこともある
■第四章 「無為」がトラブルを遠ざけるー人間関係のトラブルを防ぐための章ー
いじめっ子への対処法は、「木鶏」に学ぶ
仲良くしたいと、いろいろするなら、かえって仲が悪くなる
叱り方は、瓦に学ぶべし
■第五章 我おもわぬ故に我ありー枠の中で生きる幸せを学ぶ章ー
オオバコのしなやかでたくましい生き方
自立には「人生の選択を自分でする」と「与えられた場で自分の生を花咲かす」と、二つある
時の流れに身をまかせ、あなたの色に染められる
無情のものに学ぶ愛のありかた=無情説法
おまかせの人に天の恵は降りてくる
■第六章 ブ男、哀駘它はなぜもてるー外見ではなく、本質を見抜くための章ー
ブ男、哀駘它はなぜもてる
ブサ猫、哀駘它は、なぜもてる
号外! 吉詠小百合さんは美の秘宝を、クマムシの女偊から聞いていた
人を見分ける智慧はありますか
「道」と通じ「道」に生きる
■第七章 大切なものは他者にあげるー凹んだところはやがて埋まるとわかる章ー
うまいビール二つとまずくないビールが一つあったら、まずうまいビールを二つ人にあげなさい
ウルトラ「させていただく」で、人生を反転させられる
日本的神DNA→自未得度先度他
■第八章 禍は福のよる所、福は禍の伏す所(老子)ー悪いことと良いことは表裏一体だという章ー
この世には飢えや寒さより、苦しい苦しみがある
天から見ると、わたし達の損得是非の勘定はくるくるくるってる
「好事も無きに如かず」(碧巌録)とは
「美・髯・長・大・壮・麗・勇・敢」は「八窮・八難」
■第九章 幸せを引き寄せるのはどんな人?ー幸せになるために何が必要かを示す章ー
幸せを引き寄せる「引き寄せの法則」
幸せがいつも向こうから勝手にやってくるようになる話
幸運体質になる笑い
隠徳を積むべし
あなたの部屋の中、雑物がなければ、光が集う
師匠、このごろ変なんです。わたしの「気」の波動が、「天」と感応道交して願いがかなうんです
■第十章 知識と智慧の違いを知れば見方が変わるー本当の智慧を身につけるための章ー
知識の偏差値と人格は一致しない
「智慧」と「知恵」は似て非なるもの
「智慧」を身につける修行について
現世の地獄と極楽、正しい拝み方
■第十一章 常識を逆転させる老子・荘子ー「老子・荘子」の考えのまとめ的な章ー
一見無用なものこそ、必要なもの
老子と孔子、仏様はどっちを選ぶ
学校に汚染されないための老子・荘子十四の教え
前書きなど
まえがき
科学的知見にもとづけば、わたし達はエネルギーが凝集したものであるらしい。エネルギーは、「気」であり波動だ。自分が波動のかたまりであるなら、運が良ければ、天の波動と共鳴することもあるのは当然である。あなたの願いの波動と宇宙エネルギーが共鳴できれば、あなたの願いはかなう。
何が言いたいかと言うと、「天」を「道」を「宇宙エネルギー」を意識して生きる人と、自力のみに頼って歩む人と、人生が違ってくるということ。また老子・荘子の「道」を知る者と、知らない者では、いろんな場面で行動が違ってくる。老子・荘子は、わたしの思考・行動を良い方に反転させてくれた。
例えば追い詰められたとき、自力任せの人は、もうだめだと自分であきらめたりする。しかし天におまかせの人は、そんな傲慢なことはしない。首の皮一枚つながっていたらあきらめない。ひたすら今為すことを為す。老子荘子の説く、女性的しなやかさというのは、こういう時に生きてくる。
例えばあなたが、片足を失ったとします。もうだめだ、わたしは外にも出れない、御飯も炊けない。落ち込んだ顔を人に見られたくない。もう家の中で、死人のように目立たず、ひっそりとして生きているしかないと思考し、ダメな世界を引き寄せるかもしれません。しかしこの本を読んだ人がもしもあなたなら、片足がなくなって、こんな良いことがある。こんなおいしいサービスを受けられる。社会でしなくてよくなった時間であれができると思考を反転させ、すばらしい現実を引き寄せる人になっているでしょう。
恨みつらみ悔いの心は「波動」の質を下げて、悪いことばかり引き寄せる。例えば、恨みつらみを抱えて運転していると、右折する所をそのまま直進していたりする。あわててUターンしていると警察に捕まったりする。もう一つアッタリマエダけどこういう人は健康も害している。こんなことになる前に「ありがとう、わたしは守られてます。きっと良くなります」とつぶやくか、無心に運転に集中するかすればよい。そうすると波動が良くなり、自然に事態は好転してくる。簡単なことだ、でも修練した方が良い。その理由は、良いことを想像する→でもね、やっぱり、ダメっぽい、なんてつぶやいて、いつものダメな定位置に落ち着こうとする癖。これ、ダメを引き寄せてます。
《なぜこの本を書こうとしたのか》
その大きな理由は自身にある。たくさん本を読み、テレビやパソコンからたくさんの情報をもらう。アメリカや中国のこと、経済や食料の問題、それらはわたしの胸を波打たせる。しかしそれらは、外物で、わたし自身を通り過ぎていくものたちだった。空しさは残る。心に残ってわたしの人生を導いてくれるものではなかった。だから新しく読み始めたのは、心理学の本であり、仏教の本であり、中国の古典であった。すばらしい本は、何回読み返しても新しい。
老子・荘子には、目が後ろにつくような話が多い。役に立とうとするな。美男・勇敢は、八難。知も名声もに反している。女性性こそ最強説、鯛より雑魚説など。老子・荘子、それに仏教、共通しているのは、「が最強」説。老子・荘子の説く「道」とは、見えないけど、確かに存在していて、わたし達を生かしてくれているもの。サムシンググレートなのだ。この渾沌なるもの「道」に養われるには、どうすればいいのか。赤ん坊は無為だから、天の「気」を受けて元気いっぱいに成長する。しかし成長するにつれて人は、自我を持ち前頭葉をはたらかせるようになる。これが壁となり「気」の流れをさえぎる。だから禅宗の坊さんは、座禅をして、無心になろうとする。
残された時間さえも限られてきたとき、わたしは内なる波動の力に頼るしかなくなった。外物(お金や地位や情報や人)という対象を見失ったとき、見えない力を信じるしかなくなる。穴の底に落ちたときは、ある意味自らを照らす光を持つチャンスなのだ。老子・荘子・仏教は、その指南書になった。
わたし達は欲しい知識は、今どこからでも得られる。しかしわたし達は、紀元前の仏陀や老子や荘子より、無知蒙昧。幕末・明治の時代の人よりも、バカのような気がする。
なぜか。様々な情報の根底にある本質、を無視しているからだ。「見えないもの」を無視しているからだ。そこに気づいて、実際の生活に役立てられたら良い、と思い書きつづった。
例えば、悪い予感のする会合も、無為(有為・作為の反対)の心でのぞめば、は通り過ぎていく。
例えば、あなたが上司で部下に注意するときの心は、あなたが教師(親)で生徒(子)に注意するときの心はいかにあるべきか。注意するときの仕方・言葉かけは、学んで知っている。でもいくら表のノウハウを学んでその通りしても、相手はあなたの雑念に反応するので、事態は余計に悪化する。その時の心はいかにあるべきか、この本を読めばきっとわかります。
浅学なのでここはと思う所は、読んだ本のすべてをメモし感想を書いた。やがて、これをどうしてもまとめてみたいと思うようになった。そうして書籍へとなっていった。学者先生から見れば、古典は私的解釈が多く浅学のそしりを免れないと思うのだけど、わたしの実際の社会経験を加味して書かせてもらった。つまり参考文献の古典の訳は、断りのない限りかみくだいて書かせてもらった。関心を持たれた方は、紹介してある古典を読まれることをおすすめします。
《本書の特徴は》
1、「」のように、どこから読んでも、完結して読める。
2、説明ではなく、こばなし・実例のような方法で、理解しやすいようにした。皮膚感覚で伝わる。
3、古典と長寿健康の話を結びつけて書いた。「気」が流れ、副交感神経のはたらきが良くなり、血流が良くなり、免疫力がアップし、健康長寿でいられる。
4、仏教・老荘思想と「引き寄せの法則」の共通点に着目し、実際の生活に役立つように紹介した。
5、いろんな本の紹介がしてある。
※「菜根譚」は、中国の古典、人生の指南書。「引き寄せの法則」は、人は自分のイメージしたものしか引き寄せられないというもの。
最後に二言。
①さすがに愚か過ぎたわたしも、このごろでは何か良いことがあれば天に感謝し、畑に落としていた車のキーが見つかれば神様仏様に、本当に感謝しています。今まではただの偶然だと、唯物的にことを解釈し、もったいない人生を送っていました。
②世界で最も孤独だったはずのわたしは、孤独ではなくなったということ。独りで生きているという感覚がなくなってきたということ。天なる世界と日々つながり、のしれないものにほほえみ、そしてほほえみ返してもらっている。でもたまに人をうらやむ。素敵な生活をしている人をうらやむ。荘子の「天鈞の思想」もどこ吹く風、相対の世界に戻り、煩悩凡夫に戻るのでした(笑)。
―ではあなたの常識を覆すこの本の世界をお楽しみください―
版元から一言
世のなかの多くの本には、「正しいこと」が書かれています。読めば「そうだよなあ」と納得し、「自分もそうあらねば…」と思うものの、なかなか心と体がついていかなかったりします。
この本に書かれている内容は、私たちの常識とはかなり違っています。たとえば「役に立つ人間をめざしてはいけない」とか、「名声や結果を求めるな」とか、「何にもならんことをしろ」とか。若くて美しく有能な女性より、何も考えていない田舎の老婆を賛美し、美や勇敢さや地位の高さなどは人間に有害だといいます。頭では「そんなばかな…」と思うものの、どこか心がほっとし、体がリラックスする…そんな内容です。
誰かの正しさと、別の人の正しさは、しばしば衝突します。相手を声高に非難し、排除する傾向が年々強まっています。「無為自然」(知や策略を働かせることなく、ありのままに自然に生きる)を貴ぶ老荘思想は、いまの時代にもっと見直されてもよい気がします。
世間の常識にふりまわされ、真面目に頑張り続けて、ちょっと疲れてしまった方におすすめです。
上記内容は本書刊行時のものです。