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みんなの〈青春〉
思い出語りの50年史
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 書店発売日
- 2024年2月20日
- 登録日
- 2023年12月14日
- 最終更新日
- 2024年2月13日
書評掲載情報
2024-05-26 |
静岡新聞
評者: 吉玉サキ |
2024-05-19 |
埼玉新聞
評者: 吉玉サキ |
2024-05-19 |
福井新聞
評者: 吉玉サキ |
2024-05-19 |
徳島新聞
評者: 吉玉サキ |
2024-05-19 |
神奈川新聞
評者: 吉玉サキ |
2024-05-19 |
熊本日日新聞
評者: 吉玉サキ |
2024-05-18 |
信濃毎日新聞
朝刊 評者: 吉玉サキ |
2024-05-18 |
山梨日日新聞
評者: 吉玉サキ |
2024-05-12 |
中国新聞
評者: 吉玉サキ |
2024-05-12 |
琉球新報
朝刊 評者: 吉玉サキ |
2024-05-12 |
下野新聞
評者: 吉玉サキ |
2024-05-12 |
沖縄タイムス
朝刊 評者: 吉玉サキ |
2024-05-11 |
北日本新聞
評者: 吉玉サキ |
2024-05-11 |
福島民友
評者: 吉玉サキ |
2024-05-11 |
山陰中央新報
評者: 吉玉サキ |
2024-04-13 |
日本経済新聞
朝刊 評者: 本田由紀(東京大学教授) |
2024-03-05 |
サンデー毎日
3月17日号 評者: 武田砂鉄 |
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紹介
“キラキラの青春”だけが、青春なのか?
太陽族、みうらじゅん、乃木坂46……。様々なジャンルを横断しながら、私たちの自意識を刺激してやまない青春イメージを読み解く、社会文化史。
目次
はじめに
◆第1章 謎を抱きしめて
青春の独特さ・奇妙さ
近代のイデオロギーとしての青春?
生きのびる青春
◆第2章 さらば青春!?──七〇年代のターニングポイント
「青春」の誕生
近代日本文学と青春
「男の世界」
青春はカネになる!?──映画のイメージ
変質? 消失?──同時代の認識
◆第3章 メディアに息づく「青春」
政治の季節のあと、テレビドラマがやってきた──六〇─七〇年代
ダサさの象徴──八〇年代
「ありのままの青春」が理想──一九九〇─二〇〇〇年代
二人の世界で成り立つ青春──二〇一〇年代
しぶとく生きのびるビルドゥングス・ロマン
◆第4章 いつか振り返る日のために
成長物語の残滓
何はともあれ、部活と夕日、そして恋愛
記録と美化──ミッションに賭ける
「いま自分たち青春してる!」
◆第5章 〈輝けない者たち〉のブルース
イメージと現実とのギャップ
ないものねだりが原動力に
「暗い青春こそ本物の青春だ!」
輝きからも挫折からも遠く離れて
◆第6章 アンチという名の王道をゆく
「青春っぽい青春」はハードルが高い
地味な青春は描かれない?
「底辺女子高生」の憂鬱?
地味だからこそ価値がある!?
◆第7章 大人の結論─それでいいじゃないか、の心
反動から生まれる表現
王道あっての「欠落」
あの頃に戻れないからこそ
それもまたよし、の境地
◆第8章 恋愛至上主義の果てに
男女共学前夜
「純潔教育」と「不純異性交遊」の時代
「童貞」というスティグマの誕生
恋愛至上主義の興隆から「若者の恋愛離れ」へ
◆第9章 アイドルの辞書に“青春”の文字はない
「アイドル消費」=「青春消費」
「フツーの人が羨ましい」
人気の絶頂で犠牲にしたもの
「アイドル活動そのものが青春!」
◆第10章 いくつになっても逃げられない
「青春とは心のありようである」
元ネタの影響力
「いつまでも青春だと思うのはバカげている」
なぜ、最後に(笑)がつくのか
◆第11章 さらば、青春
生き方が決まったとき青春は終わる?
気づけば「大人」になっていた
「象徴」との惜別
◆第12章 変わったもの、そして変わらないもの
変わる青春
変わらない青春
陳腐で特別な青春
おわりに
参考文献
前書きなど
はじめに
二〇二二年の秋にアニメ化されヒットした『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品がある(はまじあきによる原作は二〇一八年に連載開始)。ギタリストとして成功する夢を見ながらも、いわゆる「コミュ障」「陰キャ」な性格のせいで誰ともバンドを組めないままギターの腕前だけはプロ級になった女子高校生・後藤ひとり(あだ名は「ぼっちちゃん」)が、ふとしたきっかけから実際にバンドを結成することになり、徐々に(本当に徐々にだが)成長していく様を描いたギャグマンガである。
この作品は、明らかに「青春」をその主題としている。高校生を主人公にしているのだから当然だろうと思うかもしれないが、そういう意味ではない。「青春的なもの」に対する主人公の(そしておそらくは作者の)屈折した感情が、全編にわたってギャグの要として散りばめられているのである。そのことは、アニメのオープニング曲が「青春コンプレックス」というタイトルであることにも、はっきりと表れている。作中には、ぼっちちゃんがキラキラ輝く青春イメージにあてられて気絶したり溶けたり別の動物に変身したりする描写が、しばしば登場する。キラキラした青春を送ることは自分には無理だ、にもかかわらず「自分には関係ないし」と超然としてもいられない、だから自分はダメなやつなんだ―そういうゴチャゴチャした感情がない交ぜになった状態。それは、まさにコンプレックスである。
こんな作品が人気を集めるのは、ぼっちちゃんのように青春に対してコンプレックスを抱く者が決して珍しい存在ではないからだと思う。それどころか、「自分の青春は充実してたし、とても満足している!」と堂々といえる者に、私はほとんど出会ったことがない(そういうタイプの人を避けているだけかもしれない)。しかし、世の中には青春をキラキラ輝くものとして描く作品があとを絶たない。それだけ、明るく輝く青春イメージが求められているということなのだろう。いや、あんなものはしょせんイメージの中の話であって、現実の青春は暗く地味なものであると、そういう風に切り分けられるなら話は単純だが、そういうわけでもない。暗い青春を描いた作品も少なからずあるし、「充実していた!」と宣言するほどではなくても、「青春時代はよかったなあ」と懐古する人は少なからずいるだろう。結局、青春というものが何なのか、いまいちよくわからない。でも、青春は特別で大切なものであるとみんな思っている。
なぜ、青春はこんなにも面倒なものなのだろうか。なぜ、青春はこんなにも人の心を揺さぶってくるのだろうか。本書は、そんな問いに端を発した「青春の歴史社会学試論」ともいうべきものである。といっても、純然たる学術書としてではなくて、学問半分・エッセイ半分くらいのスタンスで書いたつもりなので、特段の専門知識などは必要ない。ぼっちちゃんや筆者のように(あるいはそれほど強烈でなくても)、青春に何らかのコンプレックスを抱いている多くの人に、気軽に手に取っていただければ幸いである。
版元から一言
教育の歴史社会学を専門とする著者による、学問とエッセイの面白さが同居した文化史。
「こんな本を書き始めた動機は、私自身の『ドロドロした怨念』」というだけあって、時折のぞく個人的なエピソード(黒歴史?)が、絶妙なスパイスを加えている。
映画・テレビ・ポップミュージック・アイドル文化を横断しながら、青春イメージの本質にせまる、ありそうでなかった社会文化史。世代を問わず、自身と照らし合わせて読める点がおすすめです。
上記内容は本書刊行時のものです。