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カメラを止めて書きます
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2023年4月30日
- 書店発売日
- 2023年4月28日
- 登録日
- 2023年3月9日
- 最終更新日
- 2023年6月19日
書評掲載情報
2023-10-13 |
週刊読書人
評者: 井上理津子(ライター) |
2023-09-30 | 東京新聞/中日新聞 朝刊 |
2023-08-10 |
文藝春秋
2023年9月号 評者: 平松洋子(エッセイスト) |
2023-07-22 | 日本経済新聞 朝刊 |
2023-07-05 | ふぇみん 2023年7月5日号 |
2023-06-04 | 読売新聞 朝刊 |
2023-06-03 | 西日本新聞 朝刊 |
2023-05-27 | 東京新聞/中日新聞 朝刊 |
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紹介
特集上映「映画監督ヤン ヨンヒと家族の肖像」2023年5月20日より開催
家族を撮り続けることは 自分への問いかけ
ドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』『愛しきソナ』『スープとイデオロギー』の監督ヤン ヨンヒによる書き下ろしエッセイ
人々はヤン ヨンヒについて「自分の家族の話をいつまで煮詰めているのだ。まだ搾り取るつもりか」と後ろ指をさすかもしれません。 しかし私ならヤン ヨンヒにこう言います。「これからもさらに煮詰め、搾り取ってください」と。
ヤン ヨンヒは引き続き煮詰め搾り出し、私たちはこれからも噛み締めなければなりません。
――映画監督 パク・チャヌク
(『JSA』『オールド・ボーイ』『親切なクムジャさん』『お嬢さん』)
.............
「父の娘であること、兄たちの妹であること、女であること、在日コリアンであること、そのすべてから解放されたかった。家族にカメラを向けているのも、逃げずに向き合い、そして解放されたかったからである。(…)いくつもの手枷足枷でがんじがらめになっている自分が自由になるためには、自分にまとわりついているモノの正体を知る必要があった。知ってこそ、それらを脱ぎ捨てられるような気がしていた」
(本書より)
家族を撮ること――それは自分のバックグラウンドと広く深く向かい合うことだった。
映画監督ヤン ヨンヒが、自らの家族にカメラを向けた<家族ドキュメンタリー映画3部作>のビハインドストーリーや、撮り続けるなかで感じる想いを、率直な語り口で綴ったエッセイ。
ヤン一家の話を通して、日本と朝鮮半島が歩んできた道、<家族>、そして<わたし>という存在を、見つめるきっかけになる一冊。
「日本と朝鮮半島の歴史と現状を全身に浴びながら生きてきた私の作品が、人々の中で語り合いが生まれる触媒になってほしい。そして私自身も触媒でありたい。生きている限り、伝え合うことを諦めたくないから」
(本書より)
目次
はじめに
1.普通の人たち
猪飼野の女たち
アメリカ人、日本人、朝鮮人
「親しかでけへんで」
食卓を挟んで
最後の家族旅行
「大きな写真機」を持って
「おばあちゃん、おじいちゃん、ありがとうございます」
父の古希祝い
残酷な質問
ウリ ヨンヒ チャッカジ
2.カメラを切って
ソナの微笑み
小川の水、くねくねとどこへ行く
「この人は私のコモです」
ギターを弾く新しい母
必死の電話
最後の挨拶
毎日ちゃんと食べて、少しでも笑う
父の隣に添い寝して
3.すべての行為は祈り
記憶の糸を手繰り寄せるように
細胞に染み込んだ歌
母、二〇歳
もう一人の主人公
鶏スープを分けて食べる
コノ兄の死
母の証言
忠誠の歌
七〇年ぶりの済州島
肖像画を下ろした日
送れない手紙
祈るオモニ
前書きなど
はじめに
小さなビデオカメラを買ったその日から家族を撮り始めた。照れながらも撮られることを楽しんだ母、三年間カメラから逃げ続けた父。そんな大阪で暮らす両親とは対照的に、ピョンヤン(平壌)で暮らす甥っ子たちや姪っ子は生まれてはじめて見るビデオカメラを不思議がり「音も入るの?」と逆にレンズからカメラの中を覗き込んだ。
あの時から二六年、私は東京とニューヨークで暮らしながら、大阪とピョンヤンに住む家族を撮り続けた。兄たちと生き別れになった喪失感を埋めるため、両親の生き様を理解するため、そして私がどこから来たのかを知るためであった。いつの間にか三本のドキュメンタリー映画と、一本の劇映画が誕生した。
このエッセイは、その家族ドキュメンタリー三部作の中に詰め込めなかった裏話を書いた。映画や本にできる話なんてたかが知れている。本当のノンフィクションは、誰にも言えない記憶や心情であろう。だからこそ、せめて、掬い上げた話くらいはちゃんと伝えたいと思う。
日本と朝鮮半島の歴史と現状を全身に浴びながら生きてきた私の作品が、人々の中で語り合いが生まれる触媒になってほしい。そして私自身も触媒でありたい。生きている限り、伝え合うことを諦めたくないから。
家族の話を作るたび家族に会えなくなった。しかし「家族は消えない、終わらない、面倒でも会えなくても死んでも家族であり続ける」という実感が、私を新しい解放区へと導いている。
韓国ではじめて、書き下ろした文章を出す。
済州島にルーツを持ちながら日本で生まれ育った私の感性がどう受け止められるか、ドキドキワクワクしている。
二〇二二年一〇月
ヤン ヨンヒ
*本書は二〇二二年に韓国の出版社マウムサンチェクより刊行された『카메라를 끄고 씁니다』の日本語版です。著者が日本語で執筆したオリジナルの原稿をもとに、韓国語版を参照しながら編集をおこないました。
上記内容は本書刊行時のものです。