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キミは文学を知らない。
小説家・山本兼一とわたしの好きな「文学」のこと
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2024年4月30日
- 書店発売日
- 2024年4月25日
- 登録日
- 2024年2月28日
- 最終更新日
- 2024年8月16日
書評掲載情報
2024-06-16 |
読売新聞
朝刊 評者: 尾崎世界観(ミュージシャン・作家) |
2024-05-30 | 京都新聞 朝刊 |
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紹介
京都で小説を書き続けた二人の作家のなにげない日々。
歴史小説家の故山本兼一と児童書作家「つくもようこ」こと山本英子、
二人の作家の明け暮れが綴られたエッセイ集。
淡々として、時にユーモラスな筆致のなかに存在する、二人が作家として生きてきた証が、
私たちの日常に小さな問いを投げかける。
夢や目標は、そう簡単に叶うものではないかもしれない。それでも、楽しいと思えること、自分の信じるものにひたむきに向き合って生きることを本書は伝えてくれる。
「あなたは、あなたを生きているか」
最終章にあるこの言葉は、本書が発する大切なメッセージであると思う。
著者、山本英子さんの夫である山本兼一さんは、『利休にたずねよ』を著し、直木賞を受賞した。しかし、2014年に惜しくも57歳という若さで急逝。出版した小説は24冊にもなる。
本書の前半では、10年前に亡くなった夫・山本兼一さんが残した取材ノートや手帳を改めて紐解き、自身の記憶を重ねて夫のありし日が語られていく。後半になると、次第に内容の主軸が英子さん自身に移り、自身の思い出に残る本や児童書を書くきっかけとなったエピソード、葛藤などが織り交ざったライフストーリーが展開する。
「道に迷いそうになったら、日本を探して歩くといい」と語り、この世を去る直前まで物語を書き続けた作家・山本兼一。
子どもたちに、自分のなかの「好き」を大事にして人生を歩んでほしいと想って筆をとった山本英子。
物書きとして生きること、葛藤や悩み、喜び。
小説を読んでいるような独特な文体で描かれたふたりの日常から浮かび上がる「作家性」や半生について。
本書を刊行する2024年は、山本兼一さん没後10年。
【山本兼一さんの経歴と主な著書】
1999年『弾正の鷹』で小説NON創刊150号記念短編時代小説賞佳作。
2004年『火天の城』で第11回松本清張賞を受賞。
2009年『利休にたずねよ』で第140回直木三十五賞を受賞。
2012年第30回京都府文化賞功労賞受賞。
2014年逝去。
◆主な作品
『白鷹伝 戦国秘録』
『信長死すべし』
『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』
『いっしん虎徹』
『狂い咲き正宗』など
目次
職業は、作家
挑んだ松本清張賞
直木三十五賞、候補は三回
善福寺川で悩む
決意は賀茂川で
キミは文学を知らない
シークエル
前書きなど
【決意は賀茂川で】より
わたしは、中学一年生のときに初めて「空気を読む」ことを学んだ。きっかけは多くの女子が夢中になるものに、自分が惹かれていないことに気がついたからだ。流行のファッション、当時の人気のアイドル、みんなが語っていた憧れの職業……。孤立がいやで、自分の気持ちをごまかしていた。自分の「好き」はまわりの顔ぶれを見て隠したり出したりして過ごしていた。
中学校を卒業したわたしは、地元から離れた私立の女子校へ進学した。通学に1時間ちょっとかかったその学校は、小学校から短期大学まであった。高校の入学式では中学校から内部進学した子たちがにぎやかで、威圧されているようだった。教室に入って驚いた。一クラス50人学級だ。中学時代の女子は20人ほどだったから……2・5倍も空気を読まなければいけないのか……。わたしは緊張でクラクラしたことを覚えている。当時のわたしはどんな計算をしていたのだろう?
入学してわかったことは、この学校の服装基準、生活面の規則が恐ろしくきびしいことだ。大変な学校に入ってしまった……。これからの生活が不安だった。毎週細かな服装検査を受けていた。これをクリアすると、みんな同じような雰囲気になっていく。個性がみえなかった。
それから数か月経ち、学校に慣れてくると一人ひとりがみえてきた。運動の強豪校なので、インターハイ出場をめざし部活動に専念している子がいるのは知っていた。が、ほかにもいろんな子がいる。あらゆる女子キャラがそろっていた。大学進学のため予備校へ通っている子、音大をめざしレッスンに励む子、竹下通りで踊る「ロックンローラー族」「タケノコ族」のメンバー、テレビ番組でアイドルのうしろで踊るタレント志望の子、声優志望のアニメファン、演劇部でオリジナル作品に挑戦している子、男子校の生徒に人気のちょっとヤンチャな女子グループ……。ここの女子たちは、それぞれの「好き」にまっしぐらだった。
今、当時を考えると、この学校が特別だったわけではない。1クラス50人で13クラス、1学年600人以上! 人数が多いから、いろんな子に出会えただけだ。これだけ多いと、自分のマイナーな「好き」を口にしても「それ、知ってる!」という子もいるだろう。わたしは、当時の定番、雑誌の切り抜きが挟めるクリア下敷きに好きなロックバンドの切り抜きを挟んでいた。それを目立つよう机の上に置いた。ドキドキしたけれど、ワクワクしてた。
「えっ、これってピンク・フロイド? こんな誰も知らないようなの聴くんだ!」
にぎやかで苦手と思っていた、付属中学から進学してきた子が、下敷きを見て楽しそうに話しかけてきた。
「プログレが好きなんだ。カッコイイバンドも好きだよ……」
「ピンク・フロイドって一度聴いてみたかったんだ。今度LP貸してくれる?」
楽しい会話が始まってた。納得いかないおかしな校則に縛られ、窮屈だった高校生活だったけれど、楽しく学校へ通えたのは「好き」を気兼ねなく話せる友だちがいたからだ。
中学と高校に違いはない。なのに中学生のときのわたしは、自分で勝手に身構えて、隠していた。自分の「好き」を大切にしていなかった。
あのときのわたしのように、他人の反応を考えすぎて好きなことを好きでいられない、そんな思いをしている子は、たくさんいるんだろう。その窮屈な気持ちを物語で楽にできたら、そんな小説が書けたらいいな。そう考えていた。
版元から一言
「灯光舎 本のともしび」が一区切りして、今度は「本と人生」という新しいシリーズを始めたいなと漠然と考えていた時、山本英子さんとのご縁があった。
ある日、京都の某所で自分の古本を見せびらかしていたときに「あ、山本兼一の小説がある」と言って『花鳥の夢』の文庫を手にした人がいた。僕はすぐさま「山本兼一の小説が好きなんです」と声をかけた。
べらべらと山本兼一の小説を自分勝手に語ってその方との話が広がっていくうち、その人も山本兼一の小説をよく知っていて、たまたま苗字も同じで、その方も児童書を書く作家さんで、とだんだん箱の蓋が開かれるようにその方の素性がわかってきて、最後に「じつは、山本兼一の妻です」という言葉を聞いた時には、僕の方の血の気が引いた。僕はたじたじの態で名刺を交換させてもらって、さようならと言って家に帰った。
それから数か月が経ったころ、ずっと念頭にある「本と人生」の企画を動かしたくなってきて、第1弾をだれに頼むかと考えていた時に、山本さんのことを思い出した。
パソコンを広げて手紙でも認めようかと思ったが、企画のタイトルからしてなんだかあやふやな、雲をつかむような内容でうまく説明ができない。これは会って話を聞いてもらうにかぎると思って「つくもようこ」と書かれた名刺にあるアドレスへ連絡を入れた。
山本さんから、物を書くときによく居座っている喫茶店があるからそこへいらしてください、と連絡をもらって会うことになった。
「まあ、どういったことを書いたらいいのかよくわかないけれど、ちょっと試してみましょう」と言ってもらい、何度か目次構成のやりとりをして、山本さんの尽力のもと数か月後にはたたき台となる原稿が届いた。
その間、生前に山本兼一さんが仕事場としていたお部屋を拝見したり、『利休にたずねよ』関連の資料なども見せてもらったりして、夢見心地の気分が抜けきらず、肝心な本づくりを時々忘れてしまうことがあった。
それが、ちょうど2年前の話。山本さんとご縁があってから、僕の方が遅くなってしまって、今年の春にようやっと本の形に収まって皆さまへお届けできる塩梅となった。
昨年、山本さんから最終の原稿を受け取ったときに「2024年は、ちょうど10年、山本兼一没後10年」と言われた。お互いに意識したわけではないが、この偶然にはやっぱり感慨深い気持ちになる。
上記内容は本書刊行時のものです。