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「九九」が言えないまま大人になる子どもたち
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2024年1月31日
- 書店発売日
- 2024年2月1日
- 登録日
- 2024年1月30日
- 最終更新日
- 2024年1月30日
紹介
2006年の第一次安倍政権が〈教育基本法〉を改悪し、戦後教育(民主教育)を否定する教育行政を始めてから18年。今、その〝成果〟が、子どもの不登校の増加や教員の自殺・病欠の増加に現われている。「国際化」「効率化」「デジタル化」の〝かけ声〟とは裏腹に、かけ算の「九九」ができないまま置いてきぼりにされる子どもたち――。地方の小さな塾で教える元小学校教員が気づき、日本社会に警鐘を鳴らした本。
目次
はじめに――断末魔の教育現場
1 教育現場で起きていること
2 何が何でもデジタル化
3 かけ算「九九」が言えない小学生の続出
4 「繰り上がりのあるたし算」「繰り下がりのある引き算」がわからない子ども
5 おもしろくない学びの極致――3・4年生の社会科
6 おもしろくない学びは理科も同じ
7 国語嫌いが増えている
8 中学校に行く前に英語嫌いに
9 学級づくり
10 小一ギャップ
11 中一ギャップ
12 戦後教育の初心に帰る
前書きなど
はじめに――断末魔の教育現場
今、日本の教育は瀕死の状態です。断末魔の中にあります。小学校・中学校の公教育の現場は異常な事態になっています。
原因ははっきりしています。国の教育政策の失敗です。もっと言えば、2006年の第一次安倍政権以降の教育行政が戦後70年にわたって培われてきた「学校教育」を破壊してしまったからです。これから本書で述べていくように、教育現場を崩壊させた原因が分かっているのにそれを是正することができないのは、あちこちから膿が吹き出していて、もはや何から手を付けていいのか誰にもわからない状態になっているからです。
学校の教員も、保護者も、日々、悪しき教育政策に晒され、慣らされ、もはや「お上」を批判することは無論のこと、その行き当たりばったりの朝令暮改の指導に疑問を持つことすらなく、上から下りてくる教育政策を受け入れることしかできなくなっているということです。
その結果、子どもがまず第一の被害者となり、次いで現場の教員たちと親が被害者となっています。
●夏休みあけの不登校と自殺
たとえば、夏休みあけの登校日(北海道以外は9月1日)に不登校になる子どもが年々増えているという報道がありました。テレビ番組では識者が「休み中、家でのんびりしていたので生活のリズムが狂ってきているんですね」とか「それを修正しなければいけないですね」などと言っていました。
冗談ではありません。「年々」不登校が増えているのですから、「年々」学校がおかしくなっているということでしょう。子どもたちが「学校に行きたくない」「行けない」と言っているのに、それを「家庭のせい」「子どものせい」にする。学校に行けなくなるまで子どもたちが追い込まれているのに、マスコミも識者もまだ気付かないふりをしている――。
夏休みあけに自殺する子どもたちが年々増えているという報道もありました。
これについては「今の子どもは、生命を粗末にする」という識者のコメントがありました。しかし、まず考えるべきは、学校生活だと私は思います。子どもの生活でいかに学校の占める割合が大きいか。そしてその中で、どれほど苦しんでいるのか。子どもたちは、死ぬほど、学校に行きたくないのです。
●いじめの増加と「居場所づくり」
不登校や自殺の原因ともなる「いじめ」の数も年々増えています。教育委員会は「いじめの数が増えているのは、学校現場にいじめの意味の理解が広まったので、それが数字に表れたため」とよく言います。よくもそんな屁理屈を言えたものです。教育委員会の押し付けてくる管理教育こそが子どもたちを追い込み、いじめを誘発しているのですから。
年々増えるいじめに対して教育委員会は、「いじめで苦しんでいる子どもに対策を」ということで、「子どもの居場所づくりが必要」などと言い出しています。何もしないよりはましかもしれませんが、そもそも「なぜ子どもがいじめで苦しんでいるのか」という根本のところを見ないまま「対策」を立てても根本的な解決には至りません。悪しき教育政策に基づく教育委員会の学校への細かな「指導」によって子どもたちは管理され、追い込まれ、いじめが起こりやすくなっているのです。その教育委員会が「居場所づくり」を進めるという矛盾。そして、そこに「配置」される人材が「元校長」という現実。子どもの居場所が元校長の居場所――天下り先となっているのです。
●教員の退職となり手不足
さらに、年々、定年前に辞める教員が増え、教員になりたいという若者が減っています。おそらく、日本中で学級定数に対する教員数が確保されていないはずです。教員が産休や病休に入っても、かつてのように代わりに入る教員がいないのです。
このような教育行政の不備や矛盾、管理のしめつけは、子どもたちの学校生活に多大な影響を与えます。たとえば、不登校や自殺に加えて「学級崩壊」が起こります。子ども同士の人間関係も教員との信頼関係も崩れ、授業も学級活動も成り立たなくなるのです。そうなると、ドミノ倒しのようにさまざまなことが起こります。たとえば一部の保護者が学級が崩壊したのは担任のせいだと言い出します。なかには凄まじい担任攻撃を執拗に行う保護者もいます。限度を超えたそれは「犯罪」と言ってよいほどですが、それが犯罪となることはまずありません。
保護者から攻撃された教員の心は折れます。そして多くの人が、黙って病気になって、黙って辞めていきます。みな自分が悪いのだと思っているからです。
しかし、違います。教員も、あえて言いますが保護者も、悪くないのです。悪いのは、批判されるべきなのは教育政策・教育行政なのです。……
版元から一言
2006年、第一次安倍政権時代に安倍首相は、戦後不可侵の領域だった〈教育基本法〉を改悪し、「戦後教育(民主教育)の否定」「戦前教育(軍国教育)への回帰」「学力テスト(点数)至上主義」「上意下達の教育行政」を始めました。それから18年をへて、今、小学校は「断末魔の悲鳴」の中にあります。
教員は子どもたちのために独自の教材を用意したり、出来ない子どもの進度に合わせた授業をしたり、『はだしのゲン』などを用いた平和学習を行ったりすることは許されず、「国際化」の名のもとに英語教員の免許をもたず大学でも勉強したことのない英語を小学校の先生が教えさせられ、「デジタル化」の名のもとにある日突然与えられたタブレットで生徒に漢字の書き取りをさせています。上から下りてきた「朝令暮改」の指示に少しでも従わない教員には、文科省-教育委員会のロボットのような管理職からの激しい「いじめ」が待っています。自殺する教員・うつ病で病欠する教員・定年前に退職する教員が年々増加しています。
子どもたちは「学力テスト」の点数を上げることだけを求められ、テストと宿題づけの毎日。遊びの時間や自治活動、運動会や遠足の時間などが削られています。勉強についていけない子どもは置いていかれ、特別支援学級に「分離」されていくこともあります。不登校もいじめも年々増加し、夏休み明けには全国で小学生の自殺が増えています。文科省ー教育委員会は子どもたちの「居場所づくり」を始めましたが、そこにいる「相談員」は子どもたちを追い込んでいった元凶である学校の、元校長。「子どもの居場所」が「元校長の居場所(天下り先)」になっているのです。
北海道で38年間、小学校教員を務め、退職後に小樽市の自宅を開放して「大人向け」の歴史塾を開いた著者のもとに、地元の小学生や中学生・高校生、そしてその親が「勉強を教えてほしい」とやってくるのだそうです。
そこで著者は、かけ算の「九九」ができないまま進級・進学して(させられて)苦しむ子どもたちと、それを本気で心配する親たちのために「大人向けの塾」から「子どもの勉強のつまずきをみる塾」も行うことになりました。しかし次から次へと入塾してくる子どもたちを一人でみるのには限界があり、そのような状況になっていることを本書で訴えることにしました。喫緊の国民的課題として小中学校の学校教育を見直してほしいという思いからです。
子どもが学校に通っている人も、そうでない人も、現在の学校教育ー教育行政にこれほどの問題があることを、ぜひ本書で知ってください。
より詳しく解説した小学校の学校教育の問題点については、著者が教員定年後すぐに書いた『だれも「おかしい」と言わない小学校〈超管理教育〉の実態』(寿郎社、税込1980円)をお読みください。
上記内容は本書刊行時のものです。