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明治の津和野人たち
幕末・維新を生き延びた小藩の物語
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2018年5月
- 書店発売日
- 2018年5月25日
- 登録日
- 2018年3月5日
- 最終更新日
- 2018年5月16日
書評掲載情報
2018-09-02 |
山陰中央新報
評者: 川島芙美子 |
2018-06-19 | 山陰中央新報 |
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紹介
小説家 伊東潤氏推薦!「幕府と長州藩の間に挟まれた津和野藩の状況は、大国の間で生きていかねばならない現代日本の問題と酷似している。」
森鴎外、西周……。なぜ山あいの小さな藩から、武ではなく文で活躍する多くの者たちが輩出されたのか。約4万石の小さな藩が激動の幕末・ 明治を生き抜いた秘密は、 豊富な人材とそれを育てた教育にあった!津和野の人物の魅力、 歴史をまとめた1冊。
目次
はじめに
第一章 津和野人たちの明治維新
津和野藩の明治維新前後史 亀井玆監と福羽美静を中心に 〇一二
最後の藩主亀井玆監による藩政改革/玆監の文教改革/藩校の学則を制定した国学者岡熊臣/明治政府の宗教政策に影響を与えた大国隆正/亀井玆監の情報戦略/行動派国学者福羽美静/長州藩の動きと津和野藩/幕府軍目付長谷川久三郎の津和野入り/軍目付引渡しを巡る藩境での攻防/和解の宴で謡曲「羅生門」を唱和/美静、幕府の劣勢を説く/長州「俗論派」領袖椋梨藤太、津和野藩で逮捕される/最後の内戦「戊辰戦争」へ/明治新政府の宗教政策と津和野/明治新政府での福羽美静/亀井玆監の「廃藩置県」建議
幕末の志士になった天才和算家と津和野藩和算三大家 〇四六
天才和算家、桑本才次郎/和算家から幕末の志士に転身/斬殺への経緯/事件後の経過/『奉公事蹟』とは/数学史研究家の感想/『奉公事蹟』以外の文献/津和野藩が生んだ「和算三大家」/津和野藩の和算三大家の祖 堀田仁助/堀田仁助と桑本才次郎をつないだ木村俊左衛門
幕府と明治政府の双方で独自の活躍をした 西周 〇六六
勉学に励む幼少期/「一代還俗」を命ぜられる/黒船を見て脱藩/オランダ留学を実現/徳川慶喜のブレーンとして日本初の憲法草案を起草/脱藩を許した藩主の求めに応じて百日間の帰郷/啓蒙思想家として官民を問わず大活躍/最晩年も研究の日々
津和野藩の乙女峠 キリシタン迫害史 〇七九
現在の「乙女峠まつり」/永井隆博士の絶筆『乙女峠』/「乙女峠」という地名について/「津和野本学」とキリスト教/福羽美静、高木仙右衛門と面会する/津和野での「説得」「吟味」「拷問」/迫害の終焉と喜びの帰還/地元住民の感情と交流/「乙女峠」の基礎をつくったビリヨン神父/ビリヨン神父の「光琳寺のキリシタン講演会」/ネーベル神父の思い出/キリシタン追福碑「至福の碑」/進められる列福列聖運動
第二章 明治を駆け抜けた津和野人たち
日本近代紡績業の草分け 山辺丈夫 一二二
不屈の精神は二人の父から/イギリスの大学へ遊学/日本初の従軍カメラマン亀井玆明(一八六一~一八九六)の生涯/渋沢栄一の支援を受けて紡績機械技術の習得に転向/血と汗の努力結実
日本地質学の父 小藤文次郎 一二九
地質学を専攻に選ぶ/貢進生制度と文次郎/師はナウマン博士/文次郎の博士号/濃尾大地震で成果/文次郎の学問的業績/国際的に高い評価
国産イチゴ第一号の生みの親 福羽逸人 一四二
イチゴは大人気の果物/新宿御苑の管理者として/幼い頃は勉強嫌いのガキ大将/多くの海外出張、パリ万博にも/日本初、イチゴ品種改良に成功/新宿御苑ほか、多くの都市公園も手がける/玄人はだしの料理人
北海道に生涯を捧げた 高岡兄弟 一五三
兄・初代札幌市長高岡直吉(一八六〇~一九四二)/弟・第三代北海道大学総長高岡熊雄(一八七一~一九六一)
島村抱月とともに演劇一筋の劇作家 中村吉蔵 一五九
行商から逃げて読書に没頭/懸賞小説の一位に/アメリカへ遊学を決意/社会劇から史劇へ/母のために最晩年に博士号を取得
「趣味講演」を創始した異色の童話家 天野雉彦 一六六
松永善五郎著『天野雉彦小伝』/甥は徳川夢声/島根師範ののち上京、デビュー/独自の境地を開拓
校正の神様として文人に愛された奇人 神代種亮 一七四
荷風と交遊 信頼も厚く/号「帚葉」と本名「種亮」について/教員を経て上京/豊富な知識は文豪らも絶賛
短くも華やかな生涯の新劇女優 伊沢蘭奢 一八六
愛児を残して離婚、上京/二十九歳の遅すぎる初舞台/最高傑作『マダムX』での迫真の演技
日本脳外科の先駆者 中田瑞穂 一九四
静かに雪の降るは好き/俳句との出会いと留学、新潟へ
膨大な民俗を記録した在野の民俗学者 大庭良美 一九七
民俗学が生涯の仕事/宮本常一博士も絶賛/野尻抱影と大庭少年の出会いと交流/民俗学の師は宮本常一博士/多くの「師」や「友」に恵まれた生涯/透明感溢れる文章の魅力/大クスノキとともに
第二回芥川賞候補となった作家 伊藤佐喜雄 二一二
母伊沢蘭奢と離別/文学同人誌に参加/第二回芥川賞候補に/上京して文筆活動に専念/戦後再び上京、児童書も多く執筆/抒情豊かな「津和野小唄」を作詞
なぜ津和野から多くの文化人が? 二二一
本当に「多い」のか?/藩校教育と藩費国内留学/維新後も郷土の子弟に奨学金や寄宿舎
第三章 津和野と鷗外
鷗外、その生涯と津和野への回帰 二三〇
誕生の喜び/母とともに勉学事始め/藩校「養老館」へ入学/藩主の目にとまった秀才ぶり/上京、東大入学、そして陸軍入り/ドイツ留学とエリーゼ/作家・鷗外の誕生/充電の小倉時代/軍医の最高位と豊熟な作家活動/陸軍退役、そして史伝の世界へ/死に臨んで/津和野人の見る鷗外と西周
鷗外の遺言を再考する 二六六
遺言本文/鷗外研究者・文学者たちの見方/伊藤佐喜雄の見方/安野光雅の見方/山崎国紀の見方/山崎一穎の見方/筆者の見方
鷗外旧宅余話 二八六
二度移築された鷗外旧宅/鷗外三十三回忌記念行事/「扣鈕」詩碑の建立をめぐって~森於菟の書簡をたどる~/詩碑後日談
鷗外、太宰、清張の意外な関係 三〇六
太宰治と松本清張の意外な共通点とは/鷗外と同じ場所に眠る太宰/鷗外を作家の出発点とする清張
My鷗外語録 一一九、二二 七、三一四
資料 三一九
おわりに 三二四
前書きなど
はじめに
本書は、山陰地方西部に位置する石見国津和野藩(現島根県津和野町)が、幕末から維新にかけての激動期をどのように乗り切ったのか、また、四万石余りの小藩ながら、明治期の日本の近代化を支えた多くの文化人が輩出した秘密と彼らの軌跡について、郷土史の視点を活かして綴ったものです。
まずは、本書の主な舞台である津和野の歴史を、藩成立以前から振り返っておきます。
津和野地方が歴史記録に最初に登場するのは、平安時代成立の『和名類聚鈔』に「石見国鹿足郡能濃郷」との表記です。「能濃郷」は、現在の津和野町と同じエリアを示す地名です。その後、津和野の歴史が大きく動くのは、鎌倉時代の弘安五(一二八二)年に能登の豪族だった吉見頼行がこの地方に入部してきたときです。頼行の入部は、二度の元の襲来(一二七四年と一二八一年)を受けた鎌倉幕府が、三度目の襲来に備えて日本海沿岸の再警備を命じたためだといわれています。頼行一族は、海岸部から山間の津和野地方に入り、津和野城(三本松城)を構えて統治を固めていきます。吉見氏は、戦国時代の前半は山口の守護大名大内氏に、後半は新興勢力の毛利氏に、有力家臣として仕え、十四代、三一九年間にわたって津和野地方を支配しました。その間、京文化を強く嗜好した大内氏の影響によって津和野にも京文化を導入し、その息吹は今も「山陰の小京都」と称される町並みや風土に色濃く残っています。しかし、慶長五(一六〇〇)年、吉見氏十四代広行のとき、毛利氏とともに戦った関ヶ原戦役で敗れ、同年、長州(現山口県)萩へ退転し、吉見氏の津和野での治世は終わりを告げました。
吉見氏に代わって津和野城主となったのは、坂崎出で 羽わの守かみ直なお盛もりです。直盛は備前(現岡山県)の名族、宇喜多氏の出身ですが、故あって宇喜多氏と袂を分かち、坂崎を名乗っていました。関ヶ原戦役では東軍で戦い、その功績により慶長六(一六〇一)年、徳川家康から三万石の封(のち四万石に加増)を受けて津和野に入りました。ここに徳川幕藩体制下の「津和野藩」が成立しました。ところが、元和二(一六一六)年、直盛は、いわゆる「千姫事件」によって自刃に追い込まれ、坂崎家も断絶します。津和野藩主として在位したのは、わずか十六年間でした。しかし、この短い期間にもかかわらず、直盛は津和野城の大改修、城下町形成、産業振興の基盤づくりなど、藩政に大きな功績を残しています。
元和三(一六一七)年、直盛のあとを受けて、因幡国(現鳥取県)の鹿野城主だった亀井政矩が津和野藩主となりました。亀井氏は、坂崎時代後半に四万三〇〇〇石となっていた石高をそのまま受け継ぎ、明治四(一八七一)年の廃藩まで、十一代、二五四年間の藩政を守り抜きました。その治世は、和紙の専売制などによって「津和野侯ハ四万石ノ禄ナルガ(中略)十五万石ノ禄ニ比ス」(太宰春台著『経済録拾遺』)と評されるほどに優れた経済運営や、藩校「養老館」による先見的な人材育成、などに特色がみられます。
しかし、黒船によって太平の世が揺さぶられると、激動の幕末期に突入し、津和野藩を取り巻く状況も大きく様変わりします。津和野藩の西隣の長州藩(山口県)は、倒幕の最強勢力として、吉田松陰門下の高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文ら多くの志士の活躍で、倒幕、そして新政府樹立を成し遂げることになります。一方、津和野の東に隣接するのは幕府側の浜田藩(松平氏)です。こうした特殊な地理的条件から、この時期の津和野藩の政局運営は、微妙かつ困難なものを強いられました。
本書は、まず第一章で、維新を目前にしたこの時期に、最後の津和野藩主亀井玆監を中心とした津和野藩の人々が、この難局をどのようにして乗り切ろうとしたのかを、幕末維新前後史を軸に、多くの人々の活躍の軌跡と、さまざまな出来事やエピソードによって描きます。
続く第二章では、活躍期が維新前後ではなかったものの、それにつづく明治という時代を個性豊かに駆け抜けていった津和野人たちの生き様と業績を紹介し、さらには、なぜ、そのように小藩津和野から多くの人材が輩出したのか、その秘密についても考えてみます。
なお、一部、活動期が大正・昭和で明治生まれの人物も含みます。
最後の第三章では、津和野出身の文化人としては、おそらく最も著名だと思われる、文豪森鷗外の生涯と業績、人となりを、できるだけ津和野人の視点や津和野にまつわるエピソードを中心に紹介します。なお、本文中の敬称は省略しました。
それでは、しばし一五〇年前の石見国津和野藩への小旅行をお楽しみください。
上記内容は本書刊行時のものです。