前書きなど

まえがき

日本におけるアニメの人気は絶大だ。『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』や『千と千尋の神隠し』などのアニメーション映画は、日本映画の歴代興行収入ベスト10のうち9作を占めるほどの人気を誇り、日本を代表する大衆文化へと成長を遂げている。またアニメの人気には遠く及ばないものの、日本における北朝鮮ウォッチャー（朝鮮クラスタ）の数も、共産趣味者や軍事マニアを中心に一定数の割合で存在し、多種多様な視点で書かれた北朝鮮関連書籍も数多く出版されている。ところが「北朝鮮アニメ好き（共アニ好き）」という人にはめったに会わない。仮に「アニメ好き」という集合と「北朝鮮好き」という集合を脳内で仮定するなら、「北朝鮮アニメ好き」は、それら二つの積集合の100分の1から1000分の1くらいの規模感だ。実際に「北朝鮮アニメ」というキーワードでググっても、ヒットするのは北朝鮮の強制収容所での苦悩を描いた3Dアニメーション映画『トゥルーノース』や、北朝鮮による拉致問題を啓発する政府広報アニメ『めぐみ』に関する情報が大半を占め、「北朝鮮が製作・公開したアニメ」がヒットするのは3割程度だ。なお『トゥルーノース』はそのチープな映像表現も手伝って、『火垂るの墓』『風が吹くとき』『やさしく雨ぞ降りしきる』『ブレッドウィナー』『FUNAN フナン』『フェイク～我は神なり』『豚の王』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』『メイドインアビス 深き魂の黎明』など数々の名作やヒット作を抑え、「オールタイム糞鬱アニメ映画ベスト1」に輝いている（自分の中だけで）。
いっぽう、イギリスの国際人権団体アーティクル19が2020年に発行した報告書によると、北朝鮮における「表現の自由度」は100点満点中0点で、これまで1点だった自己記録（かつ世界ワースト記録）をみごとに更新している。因みに、同年1点で世界ワースト2位となった国は、トルクメニスタン、エリトリア、シリアの三ヶ国で、 トルクメニスタンは「中央アジアの北朝鮮」「白亜の北朝鮮」、エリトリアは「アフリカの北朝鮮」という異名を有している。また、国境なき記者団が2002年以降、年次レポートしている「世界報道自由度」ランキングでも、北朝鮮は毎年のようにエリトリア、トルクメニスタンらと最下位を争う熾烈な戦いを繰り広げており、2022年には数年ぶりにワースト1に返り咲いている。ところが、これほどまでに自由がない状況下で創作された北朝鮮アニメには、ある大きな特徴がある。それは（北朝鮮の芸術映画など文化全般にも当てはまるが）海外からの影響が長期にわたり隔絶されている点と、その結果、高い独自性と特徴的な様式を有している点だ。特に、映像文化が普及しはじめた20世紀以降、北朝鮮以上に排外主義的な文化政策を続けてきた国は皆無と言って良いだろう。第二次大戦中の日本でも排他的な文化政策は行われていたが、その結果、日本映画のオリジナリティは大きな進歩を遂げたとも言われている。フランスの映画評論家ノエル・バーチも「日本映画は海外からの影響が排除された戦時下において、その独自性と様式を確立し、戦後はそのゆるやかな解体期に相当する」とさえ論じている。北朝鮮アニメにおいても、排他主義に起因する独特な様式は、長いあいだ担保され続けてきたが、それと同時に脚本の形骸化や演出のマンネリ化、それらにともなう多様性の欠如という、コンテンツ産業として致命的な問題もかかえてきた。政治観や倫理観といった基本的な価値基準がまったくアップデートされない点も、北朝鮮における大衆文化の特徴の一つだ。
本書では、そんな北朝鮮アニメを網羅的かつ体系的に解説することを目的に、北朝鮮アニメ史において重要となる作品と特徴を紹介しようと試みたが、この分野に関する先行研究がまったく見つからず、当初、どの作品がどれくらい重要なのか判断に窮した。日本国内の資料としては、門間貴志『朝鮮民主主義人民共和国映画史』である程度まとまった記述が確認できたものの、同書を橋頭保に韓国の書籍や論文を探しても、北朝鮮アニメを扱ったものは非常に少ないのが現状だ。さらにやっかいなのが、北朝鮮自身が情報発信しているケースである。北朝鮮といえば、世界でもトップクラスの歴史改ざん国家として知られているが、北朝鮮映画史においても、記録的なヒット作を残して脱北した映画監督の作品や、大ヒット公開後に公開処刑された女優の主演作品などは、黒歴史として闇に葬られている。特に金日成主席の建国神話に不都合となる表現や、金日成主席の最後の対抗勢力となった甲山派（カプサンパ）が関与していた作品には容赦のない改変が加えられる傾向が強く、北朝鮮アニメ史においても同様の注意が必要になる（一般論として、金日成主席の神格化が開始された1967年より前に発行された出版物は比較的、信頼性が高いと言われている）が、そういった限られた情報をもとに整理・再構築したのが、第1章の「北朝鮮アニメーション史」と巻末の「北朝鮮アニメ年表」だ。
また第2章から第4章では、第1章で述べた北朝鮮独自の映画分類法に基づき、北朝鮮アニメをセルアニメ（漫画映画）、人形アニメ（人形映画）、切紙アニメ（切紙映画）にカテゴライズし、各ジャンルにおける代表作を紹介する。
第5章では、北朝鮮アニメの発展に大きな影響を与えた「海外合作・下請けアニメ」について解説する。特に韓国と北朝鮮の合作アニメ第2弾となる『ポンポンポロロ』は、世界中でテレビ放映され、劇場映画も7作品公開されているモンスターコンテンツだ。
次の第6章では、2000年以降に発達した北朝鮮のCGアニメを紹介するが、この時期をさかいに北朝鮮アニメのクオリティは飛躍的に向上していく。脚本や演出については、大きな進歩は見られないものの映像だけを見るなら、韓国の最新アニメと区別がつかないレベルだ。
そして第7章では、「三大北朝鮮アニメ（三大共アニ）」と言われる『リスとハリネズミ』『少年将軍』『かしこいタヌキ』について集中的に解説を行う。この三作品さえ押さえれば、北朝鮮アニメにおける技術水準の変化、共アニが掲げるテーマ、脚本や演出の特徴、キャラクター造形など、共アニ（ウリ式児童映画）の7割程度は理解できてしまう、それくらい象徴的な作品だ。
ここ数年の間、『パラサイト 半地下の家族』のアカデミー賞受賞や、『愛の不時着』『イカゲーム』などの記録的な大ヒットで、「韓流」コンテンツは世界のエンタメ業界に確固たる地位を築いてきたが、そのいっぽうで、「北韓流」は世界から見向きすらされていない。北朝鮮アニメに限って言えば、その存在自体が一般的に認知されているかどうかすら疑わしい、というのが実状だが、これを機に「北韓流」コンテンツにも親しんでいただければ幸いである。