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竹内芳郎 その思想と時代
- 出版社在庫情報
- 不明
- 初版年月日
- 2023年11月1日
- 書店発売日
- 2023年10月27日
- 登録日
- 2023年10月2日
- 最終更新日
- 2023年10月5日
書評掲載情報
2024-01-07 |
読売新聞
朝刊 評者: 郷原佳以(東京大学教授・仏文学者) |
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目次
I
鈴木道彦/竹内芳郎と私
海老坂武/回想の中の竹内芳郎
II
澤田直 /サルトル受容者としての竹内芳郎
永野潤 /竹内芳郎とサルトル──裸形の倫理
小林成彬 /日本で哲学をすること──竹内芳郎の〈闘い〉
佐々木隆治 /竹内芳郎のマルクス主義──日本的精神風土を打破するために
清眞人 /竹内芳郎『言語・その解体と創造』の意義と問題性
北見秀司 /変革主体をめぐって──竹内芳郎とマルクス、サルトル、民主主義
池上聡一 /竹内文化論・宗教論をたどる──『文化の理論のために』、『意味への渇き』を中心に
鈴木一郎 /人権の哲学的基礎付け──なぜ人を殺してはいけないのか?
III
福地俊夫 /討論塾の理念と実践
德宮峻 /竹内さんと『討論』のころ
前書きなど
まえがき
竹内芳郎が読まれなくなって久しい。
その理由として考えられるのは、一言で言えば、彼の思想がある時期から「古くさく」見えるようになったからではあるまいか。そう見えたのは、サルトル、疎外、マルクス、文化革命など、もっぱら彼の参照する言葉によるものだと思われる。
しかしそれは見かけにすぎない。現在、彼の著作を虚心坦懐に読めば、彼の思想が生きていることは直ちに分かる。
これは、本書第Ⅱ部における北見秀司の論考、その冒頭にきている文章である。哲学者‐竹内芳郎の一見「古くさく見える」思想を読みかえし、その内容・意義を再確認すること、或いは批判的に対決しつつ時代と向き合うこと、そのような営みには、今なお重要な意義があると私も考えている。しかし、いまさら竹内思想と向き合ったとしても、そのような現代的意義が本当に見出せるのか、疑問を持つ読者も少なくないかもしれない。
ここではまず、竹内芳郎の思想的歩みについて、ごく概略ではあるが触れておきたい。
戦後、『サルトル哲学序説』、『実存的自由の冒険』(ともに『竹内芳郎著作集』第一巻、閏月社、二〇二一年所収)など、ニーチェ、ベルグソン、サルトルの「思想体験」から思索を始めた彼は、一九五〇年代後半から「マルクス主義」の理論とその歩みをとことん学び、教条化した旧マルクス主義を乗り越えるための論考(「唯物論のマルクス主義的形態」に始まる)を通して史的唯物論や近代科学の弱点である認識論を問い直し、その弁証法的再構成のために奮闘した。
そして竹内は、一九六〇年代後半の学生叛乱などへ真摯に応答する経験を積み重ね、「文化革命」(さらに直接民主主義的な変革)を展望しつつ、新たな思想形成に取り組む。六九年の『文化と革命』、七二年『言語・その解体と創造』、七五年の『国家と文明』、さらには「あらゆる文化現象を整除しうる一般記号学を建設し、〈文明転換〉の課題にしっかりした理論的基礎を提供する作業」に正面から挑んだ『文化の理論のために』の執筆がそれにあたる。
その後、竹内は、日本における集団同調的な思考・行動様式の底にある「天皇教=天皇制的心性」について解明するため『意味への渇き』を発刊する(八八年)。「人類の全宗教表象を整除しつつその中にこれ(天皇教)を的確に位置づけてその特性を浮き彫りにする」試み、そして「万人平等思想」と「人権思想」の根源に迫る労作である。
さて、本書(『竹内芳郎 その思想と時代』)は文字どおり、時代に正面から向き合い全力で応答していく彼自身の思想的営為を浮き彫りにすることをめざして編まれた。
五〇年代後半から竹内が吸収・再構成していったマルクスの理論的営みが本来「歴史を変革するために現実を明らかにすること」をめざすものだったことを考えれば、竹内思想が自ら生きる時代に向き合うものとなったのはある意味当然ではある。だが、その姿勢はマルクス主義論のみならず、初期における「ニーチェの思想体験」から八〇年代の文化論・宗教論にいたるまで、さらにはその後の討論塾の実践にいたるまで、実に一貫している。八六年の『具体的経験の哲学』で自ら述べているように、「現実が突きつけてくる諸課題におのが存在の総体をもってして能うかぎり誠実に応接する」実践こそが、竹内の変わらぬ思想的営為だったのである。
本書は大きく三部に分かれている。第Ⅰ部は、フランス文学やサルトル思想に深い関心を寄せる「同志」でありかつ友人でもある鈴木道彦と海老坂武の回想が主な内容であるが、単なる思い出話ではなく、竹内の思想を「体験」した友人として、その核心に迫る記述が随所に見えるはずである。
第Ⅱ部は、研究者(サルトル、フランス現代思想やマルクスの研究者)の協力も仰ぎつつ、可能な限り竹内芳郎の思想的歩み全体に迫ろうとしたものである。戦争体験から出発した彼がニーチェ、ベルグソン、サルトルを体験し向き合った時期、マルクス主義と対決し乗り越えようとした時期、文化革命を展望しつつ国家論・民主主義論・文化論・宗教論を展開した時期、討論塾での実践をとおして人権論など自らの思想を鍛えなおそうとした時期……。竹内思想自体が歴史としての現代に向き合いつつ不断に発展するものであったがゆえに、また、それらが深く関連し合うものであるがゆえに、いくつもの著書(論者によっては竹内の著作ほぼ全て)を読み返し、彼の歩み・現代的意義に迫ろうとした論考が数多く盛り込まれている。
最後の第Ⅲ部は、竹内が賛同する有志とともに八九年に開設した討論塾の理念と実践に関する稿である。討論塾の現事務局担当者、そして『討論 野望と実践』を世に出すことをめざし、竹内に伴走しつつ発刊にこぎつけた閏月社代表の文章を収めた。
以上、数々の論考や回想を含むessayによってなる『竹内芳郎 その思想と時代』の編集にあたって、多くの執筆者にご寄稿いただいた。「まことの思想家とは必ずや向き合う者にするどく応答を迫ってくるものである」というのは本書第Ⅱ部における小林成彬の言葉であるが、時代と格闘する竹内芳郎の思想と向き合い応答することそれ自体が、大変な実践であったことは想像に難くない。また、極力、竹内の思想的歩み全体に迫ることをめざして論考の対象・主題等、複数の執筆者に無理をお願いしたにもかかわらず、ご快諾いただいた。根本的な思想の在り方・哲学仕方も含め、「竹内芳郎論」への寄稿という困難な課題に力を尽くしていただいた執筆者の一人ひとりに、あらためて感謝申し上げたい。
本書の編集を企画したのは、『竹内芳郎著作集』とともに、彼の思想を歴史に残し、現代から未来へと受け継いでいくことを強く願ったためでもある。本書、そして著作集全体の発刊が、多くの人にとって竹内芳郎の強靭な思想に触れ、時代と向き合っていく機会になることを願ってやまない。
二〇二二年 六月
編者 池上聡一
本「まえがき」を書いた時点で、執筆者全員の原稿が出揃っていたにもかかわらず、発刊が遅れたことについて、編集担当として責任を痛感している。とりわけ時代状況も踏まえつつ執筆していただいた皆さんに、深くおわび申し上げたい。
二〇二三年 九月 付記
上記内容は本書刊行時のものです。